事務所トピックス
弁護士 折本 和司

ゴールデンウイークに入ったので、久々に連投します。

 

ちょっと前に、宮本亜門さんが東京オリンピックの中止を訴えておられましたが、全く同感です。

一方、政府や組織委員会は、国内外でコロナウイルス感染が収まる気配が見えない中で、スポンサー絡みの聖火リレーをこそこそ続けたり、さらにはオリンピックのために医療者を500人確保すると宣言するなど、相変わらず、国民の命や健康よりもオリンピックの開催を優先させる姿勢を変えていません。

政策の優先順位として論外であり、怒りを禁じ得ませんが、オリンピック開催の可能性という観点からしてもずれているとしか言いようがありません。

もはや、オリンピックが、多くの諸外国や多くの国民が納得する形で開催されることはおよそ期待できないからです。

以下、私が東京オリンピックを中止すべきと考える理由について述べます。

 

今回の東京オリンピックは、招致の段階から、安倍首相が原発事故の影響についてアンダーコントロールと実態とかけ離れたプレゼンテーションを行ったり、震災の地と離れた場所での開催なのに「復興五輪」を謳ったり、さらには、海外の捜査で、IOCの委員への買収疑惑が取りざたされたりする等、のっけからケチの付き通しでした(そんなことに比べれば、一時大きく取り上げられたエンブレムに関する疑惑など、かわいいものだったと感じる人も多いのではないでしょうか)。

さらには、コンパクト五輪を謳いながら、いざ招致が決まると、みるみる予算が膨れ上がり、当初7000億円強程度だったはずの予算額は、いつの間にか数兆円は下らないとも言われるようになっており、オリンピック利権という甘い蜜に有象無象が群がっているようにしか見えない状況になっています。

これは日本だけの問題ではなく、オリンピック自体が、ロサンゼルスオリンピックの頃から、商業五輪へと変質し、腐った商業主義が究極にまでエスカレートしてしまっていることの現れともいえるでしょう。

オリンピックが夏の暑い盛りに実施されるようになった理由も、高額の放映権料を支払うアメリカのテレビ局の都合が優先されたためだそうですが、言うに事欠いて、招致の際に、日本政府は、この時期の穏やかな気候が開催に適しているという発言をしてもいました。

しかし、マラソンなどの体力の限界に挑む過酷な競技が酷暑の盛りに行われることが如何に危険であるかは子供でもわかる話で、そのこと一つを取っても、「アスリートファースト」は口先だけで、オリンピックビジネスを成功させるためだったらなんでもありという印象を抱かせます。

要するに、もはやオリンピックは、それに乗っかって一儲けしたい人たちのためのイベントに成り下がっており、このような商業主義が跋扈している限り二度と誘致すべきではないし、オリンピック出場を夢見て頑張って来られたアスリートの人たちには申し訳ないのですが、「アスリートを利用し、食い物にする銭儲けのための運動会」という根っこが変わらない限り、世界の何処であれ、開催されること自体に否定的な感情が湧いてくるほどです。

 

そんなわけで、オリンピック自体に否定的な考えを持っている私ですが、そうした考えをいったん封印した上で、今のコロナ禍におけるオリンピック開催の是非という点のみに絞って意見を述べたいと思います。

ですが、コロナ感染の広がりとの関係のみからしても東京オリンピックの開催は無理だというのが、かなり前からの私の結論です。

もちろん、コロナ感染については、感染抑制のためにどのような政策が採られるかによっては、あと3か月弱の間に劇的に収束する可能性がまったくないとまではいえませんので(まあ、その可能性もほとんどないでしょうが)、日本国内のことだけにフォーカスするなら、もう少し様子を見てからという考え方もあり得なくはないのかもしれません。

また、無観客開催とか、入国者数を制限するとか、入国の際の検査を徹底するとかいったことで、感染拡大を防ぐ取り組みが一定程度奏効する可能性もないとはいえないでしょう。

 

しかし、国内におけるコロナウイルス感染リスクをある程度抑制できたとしても、別の視点から見れば、やはり東京オリンピックの開催はおよそ不可能であり、このままで行けば、中止に追い込まれることは必至と思います。

なぜならば、仮に国内の感染がある程度抑制されたとしても、世界中のコロナ感染状況があと2か月くらいの間に劇的に改善することはまずもってあり得ないからです(実際、ここに来て、変異株が一気に広まっていますし、インドではたった3日で100万人以上、一日あたり40万人以上が感染するという凄まじい状況になっています)。

自国内のコロナ感染がある程度収まらない以上、そう遠くない時期にかなりの国がオリンピックへの参加をボイコットするという決断をすることになり、そうなれば、世界のアスリートが平等に参加できるイベントとはいえなくなるに違いありません。

欧米ではワクチン接種が進んでいる国もありますが、十分に行き渡っているわけでもありませんし、あちこちで変異種も発生していて、ワクチンがそのすべてに効くのかも不明です。

要するに、世界を見渡せば、コロナパンデミックが収まる気配はなく、冷静に見れば、日々多くの感染者が出ている国の人たちにとっては、とてもオリンピックイベントなんかにうつつを抜かしているどころではないでしょう。

もちろん、未だ予選すら開催できていないという競技もあります。

オリンピックは、世界の最高峰のアスリートが一斉に集い、培った力を競う4年に一度の貴重な機会ではありますが、コロナ禍で混乱する世界の現実を見れば、スポーツ大会の開催が優先されるべき状況でないことは明白です。

 

かつて、政治や戦争などでオリンピックが開催できなかったこともあり、また一部の国のボイコットによりアスリートが無念の涙を流したこともあるわけで、「スポーツと平和の祭典」であるはずのオリンピックが政治や戦争などに左右されることなく開催され、全世界のアスリートが集えることには、何物にも代えがたい価値があります(そこが変質してしまっているということに抗うべきであると思うのですが、その点は措きます)。

ただ、逆にそうであるがゆえに、もはや全世界のアスリートが集えることができないことがほぼ確実となっている東京オリンピックを、世界中でコロナにより多くの命が日々失われている現実から目を背けてまでして、開催に向けて血道を上げることが、如何に誤った選択であるかは火を見るより明らかではないでしょうか。

もし、このまま開催につき進めば、他国の人たちからも軽蔑され、また大部分の日本国民からも批判を浴びるという、「呪われたオリンピック」になることは想像に難くありません(逆に、ここで開催を断念すれば、その決断については多くの国から理解は得られるでしょうし、またこれまでの準備が無になったことへの同情も集まるはずであり、その方が国益に叶うとも考えられます)。

もちろん、そこから先のことは、各競技の国際団体が中心になって考えることかもしれませんが、もし、来年あるいは再来年になってコロナの状況が落ち着けばオリンピックに代わる個別競技の世界大会を実施するという目標を立てるということはありかもしれません。

オリンピックに向けてトレーニングを積み、研鑽を重ねて来たアスリートの人たちに報いてあげるという意味があると思うからです。

 

とにもかくにも、諸外国が次々と参加ボイコットを表明した挙句に中止に追い込まれる前に自ら中止を表明し、徹底したコロナ対策に注力して国民の生活を守ることこそが、政府の取るべき道だというのが私の意見です。

2021年05月02日 > トピックス, 日々雑感
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