事務所トピックス

日々雑感~なすべき基本を見失っている政府のコロナ対応の過ちについて

葵法律事務所

先日の記事で、コロナウイルス感染拡大の「分水嶺」のことを書きました。
特に、人口密度が高いだけでなく、交通網が発達していて活動範囲が広く、移動も頻繁な大都市圏においては、どのような対策を執っても爆発的に感染者が増えることになる「分水嶺=デッドライン」があるはずで、それを超えないようにするためには、検査の徹底が図られなくてはならないという趣旨の内容でした。
今回は、分水嶺を超えるとどうなるかにつき、イギリスでのコロナ感染の推移を検証しつつ、コロナ対応について、なすべき基本を見失っている菅政権の対応の過ちを指摘するとともに、あるべきコロナ対応について述べてみたいと思います。

あるべきコロナ対応を考えるうえで参考になると思いますので、イギリスでのコロナ感染の推移を取り上げます。
イギリスは総人口が6000万人台ですので、概ね日本の半分強となります。
加えて、日本と同じ島国であり、他国と地続きではないという共通性もあります。
そのイギリスでは、ここに来て感染力の強い変異種が見つかったというニュースもあり、年末年始をまたいで1日の感染者数はずっと5万人を超えています。
感染者数だけを単純に対比すると、まるで対岸の火事のようにも思えますが、イギリスの推移を検証してみると、決してそのようにはいえないと思います。
ざっと感染者数の推移を見て行きますと、イギリスで1日あたりの感染者数が100人台に乗ったのは去年の3月12日ですが、1000人台に乗ったのはそれからわずか9日後の3月21日です。
現在の日本の1日あたりの最多感染者数である4000人台ですが、前述のとおり日本の総人口はイギリスの2倍近いので、4000人の半分にあたる2000人にイギリスが到達したのがいつかを見てみると、3月26日となります。
つまり、1000人台になってわずか5日後なのです。
さらに、3月31日には3000人台、4月3日には4000人台、そしてその2日後の4月5日には5000人台になっています。
要するに、2000人台から5000人台に到達するまでにわずか9日しかかかっていないことになるわけです。
これを日本に当てはめれば、4000人台になったのが12月31日ですから、1月9日に1万人に達することになります。
もちろん、当初から急激に感染者数が増えた欧州の一角であり、検査数も異なるイギリスとの単純比較はできませんが、この急激なネズミ算式な増え方こそがコロナ感染の恐ろしさです。
前にも書いたとおり、コロナ感染の厄介なところは、無症状の感染者が自身の感染を自覚できないまま感染を広げてしまうことであり、そうである以上、人口が密集するエリアでは、一定のラインを超えれば加速度的に感染者数が増加するであろうことが容易に想像できるからです。
イギリスに限りませんが、世界中で感染者数が加速度的に急激に増加してきたという現実を見るにつけ、超えるとネズミ算式に急激に感染者が増えることになる「分水嶺=デッドライン」なるものが存在することは間違いないでしょう。
ちなみに、その後のイギリスにおける感染者数の推移を見ると、しばらく数千人台が続き、夏場にかけていったん感染者数が落ち着きを見せますが、秋に入って再び増加し、10月に入ると1日あたりの感染者数は1万人台から一気に2万人台となり、11月には3万人台となって、12月の下旬には5万人台に到達しています。
今のイギリスの数字を人口比で日本に当てはめますと、1日あたりの感染者数は10万人を超えることになるわけですから、そう考えただけでも本当に恐ろしい話です。
あくまでも統計的な比較ではありますし、イギリスでの最近の急激な増加は、感染力が強いとされる変異種の影響かもしれませんが、とにかく、コロナの場合、感染が急激に広がり始めると、そこからわずかな期間で桁違いの感染者数になってしまうであろうことを念頭に置いて政策を考えなくてはなりません。

翻って日本の状況を見ますと、感染者数がここに来て右肩上がりで増加しています。
夏場の8月の増加は措くとして、10月以降で見て行くと、11月5日に1000人台、11月18日に2000人台、12月17日に3000人台、12月31日に4000人台、そして1月5日は4900人強とイギリスほどではないにせよ、十分に急激な増加傾向といえます。
中でも、東京圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)の増加は顕著です。
それは、検査数との対比でみても明らかです。
ある報道によると、東京で大みそかに1300人台を記録していますが、これはその2日前の検査結果を反映したものとのことで、その日の検査数は1万件を超えていたそうです。
それに対し、1月4日の800人台の感染者数は、その2日前の検査数が3000人台であったとのことですので、対比すると、もし1万人規模で検査が実施されていれば、2000人を優に超える人数がはじき出された可能性があることになります。
もちろん、このような検査数との単純比較の信ぴょう性については異論があるやもしれませんが、問題なのは検査数が少なすぎるということであり、そのため、本来把握され、移動が制限されるべき無症状の感染者が野放しになってしまっているであろうということなのです。

ところで、このような急激な感染者数の増加を受け、菅政権は、国民からの非難と支持率の急激な低下に恐れをなしてか、Go toを止め、緊急事態宣言の発令を決めました。
もっとも、現時点までで示されている今回の緊急事態宣言の内容を見ると、飲食業については午後8時までの営業自粛を強く求めるようですが、それ以外の業種や、当面の国民生活に影響のあるものについては、どうやら幅広い規制をかけない方向で検討しているようです。
しかし、それではあまりに中途半端で効果は乏しく、またずるずるとコロナ感染が遷延化して行くことは避けられないと思います。

本気でコロナ感染を封じ込めようというのであれば、執るべき基本政策は二つに一つでしょう。
一つは、1か月間のロックダウンです。
生活必需品の購入などのための外出を除き、また医療や福祉、役所などの欠くべからざる生活インフラに携わる人を除き、すべての外出を制限するという方法です。
感染から治癒までが概ね2週間とすると、仮に家族の中に感染者がいたとしても、2クールで治癒させることができますし、無症状の人は外出しなければ他者に移すこともないわけです(もちろん、症状の出た人は病院に行くことになります)。
その場合、外出が制限されるすべての国民に対して、一か月分の生活費や避けられない支出を補償することがセットとなります。
もう一つの方法ですが、ロックダウンほどの厳しい制限をかけず、移動や接触を許容するというのであれば、その代わりに徹底したPCR検査の実施を義務付けるという政策をセットにします。
何度も指摘しているとおり、無症状で無自覚な感染者が外出して他者と接触することを容認している限り、感染拡大は避けられません。
したがって、もし、外出を強く規制しないというのであれば、最寄り駅などでのPCR検査を義務付けるなどして、検査を移動、外出の条件とするほかないと思うのです。
特に、東京圏、大阪圏など、県境をまたいでの移動が当たり前の大都市圏では、徹底した感染の洗い出しが不可欠です。
検査は、規制の実施に伴い、2~3週間の間を置いて2回行えば足りるでしょう(もちろん、感染者の濃厚接触者についてはそれとは別に実施すべきですが)。
ほかにも医療への手厚い補助など、組み合わせるべき政策はいろいろとあいますが、基本とすべきはこのいずれかの政策を措いてほかないでしょう。

とにかく、今の政府の中途半端なやり方ではコロナを短期間で収束させることは不可能です。
特に、東京圏ではすでに潜在的な無症状感染者が激増しているので、感染者の徹底した洗い出しもせず、中途半端な規制を行うだけでは、無症状で無自覚な感染者が他者と接触するということを防げず、今後、一気に爆発的な感染増となる可能性が高いし、地方への波及も防げません。
国会議員の人たちには、党派を超えて、一刻も早く、その場しのぎではなく、コロナの徹底的な封じ込めにつながるような政策を決め、それを実行してもらいたいと強く望みます。

2021年01月05日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~この国に正義はあるか?

弁護士 折本 和司

安倍前首相が「桜を見る会の前夜祭」に関する疑惑で、東京地検特捜部が「嫌疑不十分不起訴」としたとの報道がありました。

その理由は、「桜を見る会の前夜祭」のホテル利用料の補填をしたことについて、自身は知らなかったという安倍氏の弁解を覆す証拠がないということのようです。

しかし、こんな説明で納得する人間なんているのでしょうか(納得した振りをする人間はいるかもしれませんが)。

ましてや、証拠を精査し、被疑者の不自然な言い訳の中にある嘘を見抜いて真実に到達することが生業であるはずのプロフェッショナルの検察官が納得するなんてまずもって考えられないことです。

なのに、不起訴?

しかも、この年末のコロナの大変な時期に、拙速に?

検察がそのような結論を出してしまったなんて、もはやこの国に正義なんてものは存在しないといっても過言ではないのかもしれません。

法治国家である(あった)はずのこの国の現実に深い絶望と憤りを禁じ得ませんので、今日はこの問題を取り上げます。

 

まず、この「桜を見る会の前夜祭」に関する疑惑について、簡単に問題点を指摘します。

「桜を見る会の前夜祭」は、「桜を見る会」の直前に安倍氏の支援者らを集めてホテルニューオータニで開かれた会食形式の集まりですが、参加者が負担した会費は5000円にすぎませんでした。

しかし、腐っても(言葉のあやです)ニューオータニですから、5000円で済むはずはありません。

そこで、不足分を安倍氏側が補填していたのではないかという疑惑が持ち上がることになります。

もちろん、そうなれば、選挙区の選挙民、支援者に対する利益供与となるので公職選挙法違反の問題も生じますし、収支報告書への不記載もあるため政治資金規正法違反の問題も生じます。

それを恐れてのことだったのでしょう。この問題について、安倍氏は、森友や加計の時と同様、補填の事実を否定し、ホテル側から領収証を渡されたことについても否定するなどして、参加者の名簿も開示せず、国会の質疑で、しらを切る姿勢を取り続けます。

今にして振り返ると、今年8月末の突然の首相退任表明もこの問題が表面化することが避けられないと見たからなのかもしれません。

 

そしてこの退任表明からわずか4ヶ月弱で、不起訴処分での幕引きが図られようとしているわけです。

皆さんはどう感じておられるでしょうか。

私は、最初に書いたとおり、この国の現実に絶望しています。

もはや正義はないのだと。

かつてボブ・ディランが、無実の黒人ボクサーを救えと歌った「ハリケーン」という曲の中で、「この国では正義はゲームでしかない」と訴えていましたが、まさに、今の日本では、正義なんてものは、権力者の都合で、恣意的に操作できる歪んだものに成り下がってしまいました。

 

安倍氏の弁解はおよそ信じがたいものであることは、事件の経緯を振り返れば明白です。

たとえば、この桜を見る会の前夜祭で行われた補填は、この年が初めてではなく、少なくとも5年間は繰り返されているとのことですが、1回限りのことならいざ知らず、毎年、多くの選挙民、支援者を呼び寄せて、その費用の一部を負担するということが、秘書だけの判断でなされていたなんてこと(少なくとも安倍氏が全く知らないなんてこと)があり得るでしょうか(不起訴後の会見では、さらにその原資が個人の預金からのものと述べていますので、なおさらおかしなことになります)。

また、国会での質疑で、彼は、補填を何度も強くきっぱりと否定していますが、そうだとすると、一国の首相ともあろう人物が、秘書の虚偽の説明を鵜呑みにし、自身ではその裏付けを取ることもなく、国会できっぱりと疑惑を否定し続けていたことになります。

しかし、実際にいくらかかったかについては、一方当事者であるホテル側に確認すればすぐに明らかとなったはずですし、実際、野党側からの照会には回答がなされ、答弁の矛盾点が示されたにもかかわらず、安倍氏はその後もまったく検証を試みることすらしていません。

実際、ニューオータニのトップは、安倍氏の支援者の一人とされており、本当の会費がいくらであったか、領収証を誰宛に発行したかなどは、なおのこと、容易に確認し得たはずです。

それをやろうともせず、国会で嘘を垂れ流し続けたということ自体、ほかならぬ安倍氏自身が嘘であることを承知していたからというのが、ごく自然な見方でしょう。

いくら、ニューオータニの代表者が安倍氏の支援者であるとしても、さすがに多くの出席者がいる集まりについて、安倍氏の嘘に沿うような証拠を公に出せるはずはなく、ニューオータニに対して証拠の開示を求めることは墓穴を掘る(嘘がばれる)ことになるからです。

つまり、国会での審議中に、安倍氏がニューオータニに証拠開示を求めなかったこと自体が、「わかって嘘をついている」ことを裏付ける重要な事実となるのです。

変な言い方かもしれませんが、秘書のせいにして逃げ切るなら、国会審理中に「ホテルに確認したところ、補填の事実が明らかになった。秘書が勝手にやっていたことだが、すべて私の不徳の致すところで、責任を痛感している」とでもいえばよかったわけです(まあ、責任は痛感しても、責任を取らないのが安倍流なのですが)。

そこまで知恵が回らなかったか、今回もごまかしていれば逃げ切れると読んだのかわかりませんが、国会での疑惑追及が進行中の間の安倍氏の振る舞い自体、一連の補填が安倍氏の指示もしくは了解のもとに行われ続けたことの証左といえるでしょう。

 

ところで、安倍氏の不起訴と同じ日に、くしくも安倍氏が検事総長にと目論んでいた黒川元検事長の賭け麻雀疑惑について、検察審査会が「起訴相当」の結論を出したとの報道がありました。

安倍氏についても同様の判断が出ることを予感させるニュースですが、裏を返せば、この国の刑事司法のメインエンジンである検察庁がまともに機能しておらず、権力に取り込まれてしまっている現実が二重に浮き彫りになったともいえます。

黒川元検事長の賭け麻雀疑惑について、今後、検察がどのような結論を出すのかにも注目が集まりますが、安倍氏の処分についていえば、今後の展開による条件付きの状況ではあるものの、検察に対して強く求めたいことがあります。

おそらく安倍氏の不起訴処分については、今後、検察審査会への申立がなされるでしょうから、そこで「起訴相当」もしくは「不起訴不相当」の結論が出された時には、今度こそ、勇気を見せて、検察こそが正義の実現の担い手なのだという気概を私たち国民に示してほしいのです。

特に、担当となる検察官に対しては、もし上からの圧力があっても、決してそれに屈することなく、場合によっては、内部告発をしてでも、安倍氏を正式に起訴してもらいたいと思います(この件は、検察審査会で2回起訴相当の判断が出る可能性が十分にありますが、そうなること自体、検察の死を意味するといっても過言ではないでしょう)。

 

最後に申し上げたいのは、こうした問題の根っこにある、今の自民党中心の露骨な利権誘導型政治を終わらせない限り、この国の未来は暗澹たるものになるということです。

多くの国民が感じているように、コロナ感染再拡大という今の日本の状況もまた、やはり自民党の露骨な利権誘導型政治によってもたらされた人災の面が大きいといえますが、安倍氏の一連の疑惑もまた同根といえます。

野党は頼りないし、軸がぶれぶれの議員も多いですが、アメリカのように、現状を変えることで政治が浄化されるということには、それ自体、大きな意味があるはずです。

私たち国民一人一人が、常に政治のあり方に関心を持ち、怒りの声を上げなければならないし、そうしなければ本当に手遅れになってしまうと、心からそう思うのです。

 

2020年12月27日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~コロナ感染の「分水嶺」とコロナ検査の徹底について

葵法律事務所

いよいよ年末が迫る中、コロナ感染は終息の兆候どころか、ちょっと前まで一日あたり数百人どまりだった感染者数もあっという間に1000人台から2000人台を飛び越え、3000人台に達し、さらに4000人台になろうかという状況になっています。
しかし、このような事態に至ることは夏前からずっと予測されていました。
政府が、春先からずっと的外れでその場しのぎの対策に終始し、金融市場にはじゃぶじゃぶと金をつぎ込む一方、コロナ感染を抑え込むために最も優先されるべき対策を怠っていたからです。
実際、政府がやってきた対策は、国民の税金を使って安倍マスクをばらまき、いきなり学校の休校を指示し、曖昧な自粛要請や、口先だけの「勝負の*週間」などで右往左往した挙句、国民一人一人に10万円を支給し、あちこちで詐欺を誘発することとなる持続化給付金制度を立ち上げ、電通やパソナなどに美味しい思いをさせ、さらにはコロナ終息後に行うとしていたGo to travelを前倒しし、さらには終息が見通せない中、Go to eatまでをもスタートさせるといったものです(しかも、Go to travelもGo to eatも、安倍政権、菅政権の中枢とつながりのある業界、関係者が利益を享受できる構図が明らかになりつつあります)。
今の感染拡大は、冬を迎えたことによる部分もあるでしょうが(冬季の乾燥状態はウイルスにとってはありがたい環境となりますし、寒くなれば換気もおろそかになります)、それだけに、人の移動を拡大し、より密な状況を生み出すGo to travel、Go to eatを政策として押し進めて来た政府のやり方は愚の骨頂というほかないでしょう(もちろん、コロナ感染の影響を受ける業界の方々の大変さは重々承知していますが、方向が間違っていると申し上げたいのです)。

個々にはあれこれ指摘したいこともありますが、その点は省きます(関連で触れることはありますが)。
政策の立案遂行の前提として肝心なことは、目指すべき目標が的確であることです。
この点で、あまりに場当たりで、しかも、関係者の思惑でしか考えていられない政府のやり方は、根本から間違っています。
何よりも目指すべき目標は、コロナ感染者、特に重症者、死者を減らすことです。
そのために大切なことは、モーニングショーの玉川さんあたりがずっと言っているように、「コロナ感染の早期発見」に尽きます。
早期発見の必要性はどのような病気でも言われることですが、とりわけ、コロナの場合、その必要性は極めて高いといえます。
前にも書きましたが、コロナ感染者の大部分は、無症状であり、しかも厄介なことに、無症状の時期に強い感染力があるからです。
表現は悪いですが、わかりやすく例えれば、コロナ感染とはつまり、「誰がゾンビかわからない状況で、ゾンビが街を歩き回っており、突然襲い掛かって来るようなもの」です(そして、自分がゾンビ化したことに気づかない感染者がさらに自覚なく感染者を増やすという悪循環に陥ります)。
インフルエンザも死に至るリスクはありますが、インフルエンザの場合、最も感染力が高いのは発症後なので、この点で決定的に違います。
ではどうすればいいかですが、「誰もができるだけ早く感染の有無を把握するために検査を受けることができるような態勢を構築すること」、これに尽きます。
無症状でも感染が明らかになれば、そこから2週間、誰とも接しないことにすればいいわけです(もちろん、重症者、高齢者、そして、癌などの感染が増悪しやすい持病を抱えている人は別ですが)。
しかし、当初からずっと言われていることですが、政府の政策は、たとえば、37度5分以上の発熱が4日以上続いてからでないと検査が受けられないといった制限を付け、その後、さすがにそれは止めたものの、未だに、簡単に検査を受ける態勢は構築されていません。
無症状感染者を野放しにして、そうした患者がどんどん増えているのに、その根本を改めようとしない政府の対応こそが、感染をずるずると蔓延化させ、観光、飲食、風俗産業あたりを中心に、真綿で首を絞めるがごとくダメージを与え、破綻に追い込もうとしている元凶たる愚策であり、もはや人災というほかありません。
とにかく、一刻の猶予もなく実施すべきは、誰でもすぐに検査が受けられる態勢の構築なのです。

もう一つ、そのこととも関連しますが、全国一律の横並びの対策にも疑問があります。
なぜならば、主として感染が広がっているのは、大規模な歓楽街を抱える中核都市だからです。
ここにきて全国的に広がっているのは、東京圏、大阪圏あたりの人の行き来による可能性が高いからであり(時期的な重なり合いから見てGo to travel、Go to eatが大きく寄与していることも明らかでしょう)、そうなると、「くさいにおいは~」で、大規模都市圏、特に東京圏における感染の抑え込みに注力すべきです。
そして前述のコロナ検査も、このエリアにこそマンパワーを割く必要があります。
ちなみに、広島などの地方の中核都市でもコロナ感染が広がっており、確かに広島には中四国一の歓楽街といわれる流川地区もありますが、そこをどうこうするよりも、大都市圏の感染を徹底的に抑え込むことが肝心で、それさえできれば、地方で感染が広がりつつあるエリアでは、当面、大都市圏との人の移動を最小限にすることが最大の対策になるはずです。
もちろん、地方でも医療機関や福祉施設などでは感染リスクが高く、またいったん発生するとクラスターとなったり、死に至ったりするリスクがあるので、コロナ対策を軽んじていいということではありませんが、全国に感染を拡散しているのは紛れもなく大都市圏だということを念頭に置いた取り組みが必要だと思うのです。

この点で今最も気がかりなことは、東京圏の感染者数の増加の著しさです。
あまり正面から議論されていないようですが、諸外国の感染状況を見ても、感染者数が爆発的に増加するか否かの「分水嶺」なるものを想定する必要があると思います。
つまり、人の移動が激しく、濃厚接触となりがちな歓楽街を抱える大都市圏においては、感染者の割合が一定のラインを超えると、このエリアは人口密度が高いだけでなく、交通網が発達していて活動範囲が広く、移動も頻繁なだけに、そこからはどのような対策を執っても爆発的に感染者が増えることになる、見えないデッドラインがあるはずです。
たとえば、ニューヨークは、クオモ知事になってから、非常に的確な対策と情報発信を行っているようですが、感染者数は減少していません。
それは、早い段階で感染爆発の分水嶺を超えてしまったからと見れば説明がつきます。
統計的に厳密に評価するのは難しいのかもしれませんが、たとえば、一両の電車に数人以上の無症状感染者が乗車していれば、必然、感染リスクが高くなることは避けられません。
気になることとして、12月中旬以降、大阪、北海道あたりは、やや感染者数が減少しつつあるのに対し、東京圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)では、下旬になってさらに増加傾向が続き、24日には4都県の合計で1800人を超えており、もしかすると、すでに「分水嶺」を超えてしまっているのではという危惧さえあります。
となると、この東京圏については、最優先で、全員がコロナ検査を受けられる態勢が構築されなくてはならないということを強く訴えたいと思います(大阪圏も、京都、兵庫あたりの増加傾向からすると、同じように対策を執るべきでしょう)。

コロナ対策についてはほかにもいろいろと述べたいことがありますが、この続きはまたということで。

2020年12月27日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~「半沢直樹」の心に沁みた言葉たちPART3

弁護士 折本 和司

「半沢直樹」の心に沁みた言葉たちの「最終回」です。

前の2回と併せて、合計3つを取り上げるわけですが、「心に残った言葉」という視点であれば、いくらでもあるというか、面白かったり至極名言だと思えたりするような言葉は溢れ返っており、言葉という点だけでも「宝箱」のような作品でした

「感謝と恩返し」「施されたら施し返す。恩返しです」「おしまいDEATH」「おかげでファイト満々よ!」「記憶にないは国会でしか通用しません」など、脳裏に刻み込まれた言葉は拾い上げたらきりがないくらいです。

もちろん、原作からそのまま使われたものもあれば、脚本で加えられたもの、さらには現場で俳優の方たちがアドリブで付け加えたものもあったそうですので、その意味でも、原作者、監督、脚本家、プロデューサー、俳優の人たちの総力が結集され、化学反応を起こしてできた奇跡のようなドラマだったといっても過言ではないでしょう。

 

そんな中で、今回取り上げる「心に沁みた言葉」は、何といっても第10話、最終回のクライマックスシーンにおける半沢直樹の、魂の叫びともいえるようなあの言葉たちです。

最終回、半沢直樹は、簑部幹事長が設定し、テレビで実況中継され、大勢の記者が待ち構える場所に中野渡頭取に代わって赴きます。

そして、債権放棄の要請を拒否すると伝え、それに引き続いて、簑部幹事長の不正な錬金術を暴くのですが、その場から逃げようとする簑部幹事長を白井大臣が引き留めたところでその言葉は放たれます。

「政治家の仕事とは人々がより豊かに、より幸せになるよう政策を考えることのはずです」「今、この国は大きな危機に見舞われています。航空業界だけでなく、ありとあらゆる業界が厳しい不況に苦しんでいる。それでも人々は必死に今を耐え忍び、苦難に負けまいと歯を食いしばり、懸命に日々を過ごしているんです。それは、いつかきっとこの国にまた誰もが笑顔になれるような明るい未来が来るはずだと信じてるからだ」「そんな国民に寄り添い、支え、力になるのがあなた方政治家の務めでしょう」「あなたはその使命を忘れ、国民から目をそらし、自分の利益だけをみつめてきた」「謝ってください。この国で懸命に生きるすべての人に。心の底から詫びてください」

 

リアルタイムで視聴しながら、これは本当にすごい言葉だと感じました。

もちろん、半沢直樹のこの発言は直接には本作のラスボスである簑部幹事長に対するものですが、同時にそれは、今まさにコロナ禍で苦しみながら必死でそれを乗り切ろうとしている私たち国民の状況を目の当たりにしながら、およそ国民に寄り添った政治に取り組もうとしない今の腐りきった政治家たちに向けて、その姿勢を痛烈に批判する強烈なメッセージとなっていたからです。

 

正直、このドラマを見始めた時、7年間の空白により時代背景が少しずれてしまっているので今の時代にフィットするのだろうかという一抹の不安がありましたが、観ている内にその不安はものの見事に吹き飛びました。

しかし、この最終回のこの場面を観た時には、それどころか、このドラマは、まさに今の日本国民、日本の政治家たちに向けて作られたものだし、ここで放たれたメッセージはその集大成であると感じ、強い感銘を受けました。

 

半沢のセリフの内容を順にじっくり見て行くとその素晴らしさがわかります。

「今、この国は大きな危機に見舞われています。・・・ありとあらゆる業界が厳しい不況に苦しんでいる」とは、明らかに長引くコロナ禍で苦しむ今の日本の現状を念頭に置いたものでしょう。

続く「それでも人々は必死に今を耐え忍び、苦難に負けまいと歯を食いしばり、懸命に日々を過ごしているんです。それは、いつかきっとこの国にまた誰もが笑顔になれるような明るい未来が来るはずだと信じてるからだ」も同様で、それは紛れもなく今のコロナ禍で明日が見えない嵐の中で、必死に頑張っている人たちを励まし、鼓舞するメッセージとなっています。

 

そこから、半沢の言葉は為政者に向けられます。

「そんな国民に寄り添い、支え、力になるのがあなた方政治家の務めでしょう」「あなたはその使命を忘れ、国民から目をそらし、自分の利益だけをみつめてきた」は、今の政治家たちに対する、よりリアルで強烈な批判となっています。

翻って現実を見れば、この国で懸命に生きる人たちを守るために誰よりも額に汗しなければならないはずの政治家たちはいったい何をやっているのでしょうか。

政治のトップにいる人間が、政治を私物化し、国の行事を選挙のために利用し、お友達のために不可解な国有地の払い下げや学部の設立に手を貸したりとか、コロナ対策で意味不明のマスクを怪しげな選考経過で実績のない業者に発注したりとか、コロナ対策事業をおかしな法人を介して電通あたりに丸投げしたりする様は、まさに半沢直樹が指摘する「使命を忘れ、国民から目をそらし、自分の利益だけをみつめる」ものとしか見えません。

ほかにも、金で買ったとの疑惑もあるオリンピックやJR東海や土建屋のためとしか見えないリニア新幹線に膨大な国費をつぎ込み、さらにはカジノというギャンブル事業に入れ込む様は、もはや骨の髄まで・・・なのではないかと絶望的な気持ちになります。

また、本来、政治家とは一線を画すべき立場にあるはずの官僚たちも、その大部分は政治家の言いなりとなり、それに歯向かう勇気さえ失っているようです(ここでも「黒崎を見習え!」と声を大にして言いたいところです)。

実際、総理大臣の不正が疑われる事件で公文書の改ざんを指示し、部下を自殺に追い込んだ恥知らずな官僚や、総理大臣に近い人間の犯罪容疑で裁判所が発した逮捕状を執行しなかった腐った警察官僚が、ぬくぬくと出世しています。

ついでにいえば、安倍政権から菅政権に代わっても、その政権の本質は変わっていないと断言しておきます。

安倍政権下で起きた数々の不正に関する疑惑が解明に向かう気配はなく、また、菅政権では官僚に対する支配をさらに強めようとしているように見えるからです。

本の表紙を変えても、中身が変わらなければ意味がないのに、こんな目くらましでいとも簡単に支持率が大きく上昇することには強烈な違和感があります。

 

話が少し逸れましたが、半沢直樹の言葉は、まさにそういう政治家を断罪し、心ある政治家、あるいはそれを志そうとする人たちに勇気を与えるものです。

ドラマの最後で、白井大臣が幹事長に反旗を翻し、無所属でやり直そうとする様がさわやかに描かれていましたが、そのような覚悟を持った政治家が多数派になれば、間違いなく未来は明るいものになるのだと信じます。

逆に、無所属となった白井大臣が孤立し、簑部幹事長の同類が国政を牛耳り、利権をむさぼるという状況が、衣替えをしただけで続くようであれば、未来も暗く腐ったものに違いありません。

そう考えると、半沢直樹の言葉は、国民の不満や日ごろ感じているうっ憤を晴らすためなんかではなく、このドラマを見たひとりひとりの国民が、今の政治を変えるべく、自身の意識を変え、行動することを強く促すもので、私たち視聴者に向けられたもののように思えます。

おそらく、このドラマは録画され、またいずれDVDが発売、レンタルされることから、今後も長く多くの人が繰り返し視聴することになるでしょうが、半沢直樹の言葉に何かを感じた人たちが、この国の未来を良い方向に変える力を得るための起爆剤になるのではないかとさえ期待してしまいます。

 

こうやって振り返ってみても、このドラマには至言といえるような言葉が煌めいています。

このような作品を生み出してくださった原作者、プロデューサー、脚本家、監督、そして堺雅人をはじめとする俳優の方々に心から感謝したいと思います。

2020年10月11日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~「半沢直樹」の心に沁みた言葉たちPART2

弁護士 折本 和司

前回に続いて、「半沢直樹」の中から、心に沁みた言葉を取り上げます。

今回は、第4話の中で半沢直樹が東京セントラル証券の部下たちに語り掛けた熱いメッセージです。

堺雅人がすごいのは、難しい長台詞を、本当に役になりきって画面を飛び越えるほどに力強く伝えきるところで、その真骨頂は、「リーガルハイ」でも観ることができます。

しかも聞くところでは、それをNGなしにやり遂げるというのですから、本当に信じられません。

才能もあるのでしょうが、何より見えないところで準備を重ねておられるに違いないわけで、心から敬服するしかありません。

とにかく、この第4話の長台詞でも、そんな堺雅人の演技の素晴らしさを堪能することができます。

 

この第4話は前半のクライマックスですが、取り上げるのは、あくどい連中に倍返しを成し遂げた半沢直樹が、いよいよ東京セントラル証券を去るにあたって、部下たちから促され、彼らにメッセージを残すというシーンです。

半沢直樹が伝えるメッセージは、バブル期以降の日本で何が起きていたかを知らない人たちにとっても強く心に響くはずですが、あの馬鹿げたバブルで何が起きていたか、その顛末を知っていれば、より深く伝わると思うので、前半部分と後半部分に分けて取り上げます。

最初、半沢直樹は、「勝ち組負け組」の話をします。

「勝ち組負け組という言葉がある。私はこの言葉が大嫌いだ」「だが、ここに赴任した時によく耳にした。銀行は勝ち組、俺たち子会社の社員は負け組だってな」「それを聞いて反発するものもいたが、大半は自分はそうだと認めてた」「大企業にいるからいい仕事ができるわけじゃない」「どんな会社にいても、どんな仕事をしていても、自分の仕事にプライドを持って、日々奮闘し、達成感を得ている人のことを本当の勝ち組というんじゃないか」

アメリカ的な新自由主義的な方向に舵を切った今の日本は、貧富の差が拡大し、階層が固定化してしまう、そんな社会になりつつあります(もちろん、そうした方向性そのものを変えるべきなのですが)。

ドラマの中で語られたこの「勝ち組負け組」という言葉は、一見すると企業社会におけることのように聞こえますが、今や社会全般で否応なく使われている分類用語ともいえます。

この言葉は自分がどこにいるかを意識づけさせてしまう悪魔の呪文なのです。

半沢直樹は、プロパーと呼ばれ、親会社の社員から蔑まれる子会社の人間たちに、その意識を振り払い、プライドを持って生きるよう勇気づけるのですが、「勝ち組負け組というカテゴライズに囚われてはいけない」というメッセージは、すべての世代に、すべての人たちに通じるに違いありません。

 

ドラマの中で、半沢直樹はさらに続けてこのような話をします。

「君たちは、大半は就職氷河期で苦労をした人間だ」「そうした事態を招いた馬鹿げたバブルは、自分たちのためだけに仕事をした連中が顧客不在のマネーゲームを繰り広げ、世の中を腐らせてできた」「その被害を被った君たちは、俺たちの世代とはまた違う見方で組織や社会を見ているはずだ。そんな君たちは10年後、世の中の真の担い手になる」「君たちの戦いはこの世界をより良くしてくれるはずだ」「どうかこれからは胸を張って、プライドを持って、お客様のために働いてほしい」

ここはさらに深い発言だと思います。

 

私が弁護士になった平成元年、日本はまさにバブルの絶頂期でした。

急激な円高に対する極端な金融緩和によってあり余った金が不動産や株式市場に流れ込み、異常な不動産価格の上昇、株高を招き、気が狂ったような異様なマネーゲームが繰り広げられます。

しかし、行き過ぎたバブルを調整するために取られた金融引き締め策の影響もあり、いびつに膨れ上がったバブルはいきなり崩壊します。

そして山が高かった分、谷はいつまで経っても底が見えないほどに深く、以後、バブル、そしてバブル崩壊の後遺症は重く日本社会にのしかかるのです(実際、弁護士の仕事の現場では、その後遺症はまだ終わっていないと感じることがしばしばです)。

ロスジェネ世代やゆとり世代は、紛れもなくその被害者です。

しかし、時代が変わり、彼らが世の中の担い手になる時が必ず来ます。

このドラマの中で、主人公が、バブルを招き、マネーゲームに狂奔した世代を痛烈に批判しつつ、次の世代に対して、「胸を張って、プライドを持って、お客様のために働いてほしい」と訴えかけるそのメッセージは、あの時代を演出した人間たちの愚かさを知れば、より重く、より深いものだといえるでしょう。

 

かつてのバブルは極端な金融緩和によって後押しされて起きたものですが、今の日本は、安倍政権における「異次元の金融緩和」なるものによって、多くの国民は実感できないものの、一部の大企業は間違いなく、不公正、不公平な形でその恩恵を受け、上げ底の株高、東京などの主要都市における不動産バブルをもたらしています(ドラマの中の「伊勢志摩空港」のような腐った錬金術は、まさに今の日本で現在進行形で起きている現実ともいえます)。

かつて見たあの景色と似たデジャブと感じるのは私だけではないはずです。

そうなると、次に起きるのは、異次元の金融緩和の反動であり、遅かれ早かれ必ずやって来る近未来です。

公正な所得の再分配がなされなくてはならないと強く思いますが、少なくとも、あの馬鹿げたバブルとその崩壊から何かを学び、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしなくてはならない、そのためには自分たちの利益の追求のみに奔走するのではなく、お客様(他者)のために働くという姿勢をすべての人が共有する価値観にすることが大切なのです。

 

半沢直樹の作者である池井戸潤氏は、まさにそんな狂ったバブルとその崩壊を目の当たりにして来た元銀行員ですので、きっとそんなことを思いながら、この作品を作られたのでしょう。

原作のタイトルである「ロスジェネの逆襲」とはきっとそういうことなのだと思います。

 

「半沢直樹」のお話はまだ続きます。

 

2020年10月04日 > トピックス, 日々雑感
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