医療過誤の証拠保全のことについて
昨年、当事務所で扱った医療事件で証拠保全手続を実施した事件は3件ほどです。
医療事件の相談や受任はもっと多いのですが、最近は証拠保全ではなく、任意開示手続で入手したカルテを持参されるケースも多くなっているので、証拠保全手続に関しては以前よりも少なくなっています。
また、受任時点からカルテの入手を始める場合であっても、敢えて手間をかけて証拠保全まで実施する必要がないと判断できる場合もありますので、そうしたこともあって証拠保全手続の実施に至るケースは必然的に減ることになります。
ただ、私たちとしても、迷った場合には、後顧の憂いをなくすためにも、慎重を期して証拠保全を選択したほうがよいと判断し、そう助言することもありますが、証拠保全は費用も余分にかかるので、弁護士に相談する場合は、費用対効果も含め、その得失を判断されるとよいと思います。
昨年実施した証拠保全の内の1件は、久々の手書きカルテでした。
電子カルテには電子カルテ特有の大変さがありますが、手書きカルテは写真撮影が必要となることが必然多くなりますので、分量にもよりますが、作業的にはかなり大変です。
しかも、当該医療事故の場合、対象となる診療の期間を区切っていたのですが、出てきた検査用紙(カルテに貼り付けてあります)は、時間的な順番がめちゃめちゃだったのでなおさら余分に手間がかかりました。
もっとも、3件とも証拠保全を実施した結果、真相解明に必要な情報が入手できましたので、やはり証拠保全の選択が正しかったといえそうです。
もちろん、費用のこともあるので、いったん任意開示で入手し、疑問があれば証拠保全に移行するということもあるのですが、改ざんのリスクとの兼ね合いもありますので、ケースバイケースで判断していくことになります。
昨年の証拠保全では、ベテランの信頼できる弁護士の方にカメラマンをお願いしました。
銀塩カメラの時代であれば、プロのカメラマンにお願いすることもありましたが、今の時代は、写真のチェックもデジカメデータをその場で確認できますので、プロのカメラマンである必要はありません。
ましてや電子カルテの時代になれば、電子カルテの仕組みを理解して、それを踏まえた段取りを踏めることや、パソコン上で必要な情報の確認ができることの方が重要なので、医療事件の経験があり、パソコン上で電子カルテをチェックできる人がベストチョイスとなります。
とにかく、証拠保全は、一期一会というか、ワンアンドオンリーの機会です。
実際、意図的なものかはともかく、医療側が出してきたものだけでは不足しているというケースは決して少なくありませんし、電子カルテの時代になり、よりその傾向が強くなっているようにも感じます。
それだけに、保全の現場では、必要な資料を漏れなく押さえられるよう集中して取り組まなくてはなりませんし、その分、終わったら疲れ果てます。
とにかく、医療事件の証拠保全なりの特徴というか、ポイントのようなものがありますので、そのあたりを理解して手続に臨むことが肝要といえます。
参考にしていただければと思います。
医療事件日記~良い協力医、鑑定医に出会うためにPart1
このホームページでも何度か取り上げたことがありますが、医療訴訟で最も大変な活動の一つが、私的鑑定意見書の作成を専門医にお願いし、作成、そして裁判所への提出に漕ぎつけるまでの手間暇です。
元々、医療事件では、基本的な資料は医療側に偏っている中、原告は医療については素人の一般人であるのに対し、被告は医療の専門家だというハンディがありますが、実際に事件を扱って行く中でいうと、節目節目で事件の領域の専門医の協力を得て、適切な助言をいただき、できれば鑑定意見書の作成まで協力していただくまでが本当に苦労の連続なのです。
医師の協力という点でも、医療側には、事件当事者の医師、その所属病院、さらには保険会社のルートで協力してくれる医師を確保できますが、患者側には基本的にそのようなルートはありませんから、その点のハンディはさらに大きく、そもそも当該事故の領域でピンポイントで協力いただける医師に辿けないということも決して稀なことではありません。
しかし、現実の裁判では、裁判所は、このようなハンディがあることを知ってから知らずか、それとは関係なく、原告側に医学的な立証活動を求めてきます。
もちろん、そうした準備は提訴前の段階で行ってできる限りおくべきではありのですが、実際の裁判においては、どんなに周到に準備をしたつもりでも、医療側から思いがけないような医学的主張が飛び出してくることは普通に起きることなので、やはりその主張に対応して医学的反論を行わなくてはなりませんし、そのために専門医の協力をお願いしなくてはなりません。
といった次第で、訴訟が始まって以降に専門医から新たな助言を受け、さらには鑑定意見書の作成を依頼するということはごく普通に起きることなのです。
そこで、ここのところの医療裁判で、裁判中に私的鑑定意見書の作成を依頼し、提出に漕ぎつけた体験(苦労話)をいくつかご紹介させていただきます。
なお、今回の記事は提訴前ではなく、提訴後にフォーカスしたものになっています。
提訴前だと、無限ではないものの一定程度時間がありますが、提訴後は次回期日や提出期限が定められてしまうので、限られた期間で鑑定意見書作成にまで持って行く苦労は、提訴前とは大きく異なるからです。
ともあれ、いろいろありますが、最後は「当たって砕けろ!」(砕けてはいけないのですが)の精神が肝心という結論になります。
実際、ある程度医療事件を経験し、相談できる協力医の方との信頼関係を構築している弁護士であっても、一つ一つの事件の様々な局面で医師からの適切な助言を得るための苦労は尽きず、それゆえ、あれこれと知恵を絞り、良い協力医の方に出会うための努力(失敗も含めて)を積み重ねてまいりましたので、そのようなことでお悩みの弁護士がおられましたら、多少なり参考にしていただければ幸いです。
専門医に私的鑑定意見書を作成していただくといっても、そのプロセスはいろいろあるのですが、事故の医学的な争点の専門領域の医師との関係があるかないかによってその苦労の度合いも大きく異なります。
中でも脳や循環器の領域の事故は難しく、最初は非常に苦労しました。
最近では大体の領域について相談できる医師との関係が直接、あるいは間接的にでも構築できつつあるので、相談自体はできるのですが、結構悩ましいのは、医師の専門領域も実際には分化していたりして、畑違いで協力いただけないこともあります。
実際、ある時、カテーテルの事故で循環器内科の専門医の方に相談してみたところ、「自分は不整脈の専門なので、カテーテルのことはわからない」と断られました。
裁判の中で、鑑定意見書の作成をお願いしなくてはならない場合、まずは提訴前から協力いただいている医師にそのまま追加の鑑定意見書の作成をお願いするというのが最も多いパターンとなります。
それはやはり事案をよく理解していただいているので、被告側のごまかし的な反論に対して的確な医学的反論をしていただけることが可能だからです。
同じ鑑定医であれば、私たちの労力的な負担も少なく済むので助かります。
しかし、医療側が全然別の争点を持ち出してきて、それが明らかに別の領域であるような場合は、当然別の医師にお願いしなくてはなりません。
そのような場合に、まず試みるのは、信頼関係のある協力医の方に新たな領域の医師をご紹介いただくというやり方ですが、鑑定意見書となるとハードルは高く、紹介いただいても鑑定意見書の作成にこぎつけるのは容易ではありません。
いくら信頼できる親しい友人の医師からの紹介があっても、医学的助言と実名で鑑定意見書を作成するということの間には彼岸の差があるからです。
そうやって断られた時に成果なく帰途につくのはとてもつらいのですが、致し方ないことでもあります。
協力医からのルートで見つからない場合にどうするかですが、その場合は、名古屋にある「医療事故情報センター」ルートでの紹介という手順を踏むという方法を試みることがあります。
医療事故情報センターで登録しておられる医師であれば、検討の結果、積極意見がいただけそうであれば、基本的には鑑定意見書の作成に応じていただけますし、ある程度経験を積んでおられる医師であれば、非常に良い鑑定意見書を作成していただけることが期待できます。
ただ、専門領域によっては登録している医師が少なく、時間をかけても良い医師に出会えないこともあるという難点もありますし、手順として候補の医師が決まった後に面談をしてもらわなければならず、時間も一定程度かかり、費用もかなり高額です。
また、センター経由でも領域によっては登録している医師自体が少ないという問題もあります。
そういったことから、裁判手続が進行中の状況でセンターに申し込んで、面談、意見書作成という手間をかけるのは現実的には難しいことが多いというのが実状でもあります。
協力医からの紹介やセンター経由でのアプローチも難しい時にどうするかですが、いよいよ「当たって砕けろ!」になります。
長くなるので、続きはPart2で書きたいと思います。
医療事件日記~「不適切」と「適切でない」の違いについて
医療事件で、多くの弁護士が最も苦労し、負担となるのが鑑定意見書の問題です。
もちろん、鑑定意見書といっても、患者側、医療側がそれぞれ自ら依頼して作成してもらう私的鑑定意見書と、裁判所の手続として行われる公的鑑定意見書では準備の手順も異なるのですが、いずれも我々にとっては非常な負担となることに変わりはありません。
いろいろな苦労がありますが、本日は鑑定事項の設問の表現ということに焦点を当てて取り上げてみます。
私的鑑定意見書の何が大変かというと、医療事故の争点に合致する協力医を見つけて、鑑定意見書の作成に協力してもらうところまでたどり着くこと自体が、決して容易ではないということです。
もちろん、争点を理解してもらうための面談や資料の提示、説明に労を要しますし、裁判の展開の中で、私的鑑定意見書の作成をお願いしなければならなくなったときは、いきなり目の前に3000メートル級の山が聳え立ったという感じで暗澹たる気分になることも少なくありません。
これに対し、公的鑑定意見書では、鑑定医のリストは裁判所が用意してくれるので、その点ではまったくゼロから探すのとは違いますが、実際にはそこから適切な鑑定医の選任に至るまでで医療側や裁判所との協議を経る必要があり、相当な苦労があります。
もっとも、鑑定医の選任に関する協議と並行して、鑑定事項を詰めていく作業があり、こちらもかなり大変となることが少なくありません。
最近では、訴訟手続きの中で争点整理を早い段階で行うことが増えているので、大体の争点は共有できているのですが、鑑定事項の中にどこまでそれを反映させるかについては議論になってしまうこともあります。
最近も経験したことなのですが、鑑定事項の設問の表現を巡って議論となり、明らかにおかしいと思うことがありました。
それは何かというと、過失に関する鑑定事項の末尾の表現について、医療者の個々の診療行為が過失にあたるか否かを尋ねるにあたって、「不適切でしょうか」と問うか、「適切ではないでしょうか」と問うかということに関する議論です。
この点、裁判所の傾向としては、「不適切でしょうか」と問うように求めてくることが多くなっているようです。
この違いがどのくらい重要な意味を持つか、ピンとこない方が多いと思いますが、実際に医療訴訟に関わっている立場からすると、結構重大な分岐点になることも少なくありません。
まず、そもそも、裁判所は、なぜ「不適切でしょうか」と問うように求めてくるのでしょうか。
裁判官と話していたら、「適切ではないという答えは、イコール過失を意味しないからだ」との返答がありました。
現に裁判官がそのような見解を滔々と述べている文章もあります。
しかし、適切でないと第三者の医師が指摘するような医療行為が過失にあたらないなんてことがあり得るでしょうか。
実際にいろいろな医師の方にお会いしていて感じるのは、現実にその医療行為に携わっておらず、患者も診ていない第三者の医師としては、軽々にミスを指摘できないというのが医師の心情としては率直なところだということです。
そのような前提からすれば、鑑定医が当該医療行為について「適切ではない」という意見を述べるということ自体、相当踏み込んだ表現であり、それは医療ミスを明確に指摘したものとできると思います。
裁判所の一部にある「適切ではないという答えがイコール過失を意味しない」という発想は、言葉遊びに等しく、まさに机上の空論だと感じざるを得ません。
もう1つ、実務的にはこの点がとても重要なのですが、「不適切でしょうか」と問いだと、「不適切とまではいえません」という意見が引き出されてしまうことがあるという問題があります。
これは答える側の人間の心理の問題でもありますが、鑑定医が当該医療行為は間違っていると感じている場合、「適切でしょうか」との問いに対しては、さすがに「適切です」とは答えにくいのに対し、「不適切でしょうか」との問いに対しては、「不適切とまではいえません」という曖昧な答えが出てくる可能性が少なからずあります。
特に鑑定医としては、当該医療事故に直接関わっていない以上、断言しづらいという心理が働くこともありますし、同業者のミスを積極的に指摘しづらいという心理が働くことも否定できません。
鑑定事項の表現については、このような鑑定医の心理への影響も踏まえて検討されるべきだと思います。
裁判所があくまで「不適切でしょうか」と問いに固執するのであれば、それこそ「不適切にもほどがある」のではないでしょうか。
医療裁判の領域は、まだまだ発展途上であり、これからも試行錯誤は続くと思いますが、鑑定に関する裁判所の運用のあり方についても、どのようなやり方が真相解明に資するかという視点を忘れずに取り組んで行ってもらいたいし、患者側代理人としてもきちんと訴えて変えて行かなくてはならないと思います。
医療事件日記~研修医による医療事故Part2
前回から続きます。
研修医が初歩的なミスを犯し、それを指導医がきちんと指導できていない、そんな医療現場で重大な医療事故が増えてきているのはいったいなぜなのでしょうか。
色々調べたり、話を伺ってみると、たまたまということではなく、増えることになった背景的な事情があるのではないかということに思い至ります。
すなわち、これはある臨床医から伺ったことでもあり、医療関係者が書かれた文献でも目にしたことですが、いろんな背景事情によって、医療機関が研修のためというよりも、現場の戦力として研修医を雇うようになっているという面があるのではないかということです。
今の医療の現状を見ると、たとえば、国の政策で医療費が削減され、医療機関が赤字になっているという現実もあり、また、医師の研修制度の問題で、一定の経験を有する医師を市中の医療機関が確保するのが難しくなっているという事情もあるのだそうです。
その結果、本来であれば、一定のキャリアを有する医師が配置されるべき場所に、経験の少ない研修医をあてがってしまっているわけで、それでも、指導医がしっかり指導、助言できるようになっていればよいですが、患者の側からすると、そうなっているかどうかなんて知る術はないのですから、空恐ろしい限りです。
腰椎穿刺のミスのケースでは、当該研修医は、それまで一度も腰椎穿刺をやったことがないそうで、それで髄液採取まで7回も穿刺を繰り返したというのだから、まるでモルモットかといいたくなるような信じがたい話です。
また、これもちょっと前に県内のベテランの医師の方に聞いたことですが、神奈川県内のある地域の基幹病院では、夜間の救急対応はすべて研修医に対応させているそうです。
当該医師いわく、そのエリアで救急車を呼んでもらうことがあっても、絶対に別の病院にしたほうがいいとのことでしたが、もはやシャレになりません。
実際、思うのですが、何度も何度も穿刺に失敗している間、もし指導医がそばにいたら、「これ以上は危険」となって途中で手技を交代するでしょうし、多数回の穿刺の危険性を知っていれば、術後管理は当然厳重にと考えるはずなのに、いずれの症例も、術後に明らかな異常が起きているのに、そこにも指導医が関与した形跡はありませんでした。
となると、研修医のミスは、本当は誰のミスなのでしょうか?
それは、指導医のミスであり、さらにいえば、研修医に危険性の伴う医療行為をスルーでやらせてしまっている医療機関の構造的なミスと評価されるべきだと思うのです。
前に、お世話になった医師から、研修医の医療事故を起こした病院のことで相談に行ったとき、たまたまその病院で研修医がひどい目に遭っている実情を承知しておられ、あの病院ではまともな指導が受けられないから、研修医を派遣できないと憤っておっしゃっておられました。
研修医を育てるのではなく、安易に戦力として扱うだけの病院では、研修医のためにならないということのようでしたが、本当にその通りだと思います。
医療事故を扱っていて思うのは、患者側で扱っていて感じたこと、気づいたことを医療側にフィードバックしないといけない、時には制度のあり方についても物申さなければならないということです。
まさに研修医制度のあり方が見直されなくてはならないのだと思います。
とりあえず、二つ提案があるので、書いておきます。
一つは、研修医には名札に何年目の研修医かを明記してもらい。患者が不安を感じたら、指導医の対応を求められるようにするということです。
病院側にとっては煩わしいことかもしれませんが、患者が疑問を感じたときに、声を上げられるようになるので、間違いなく医療事故の防止につながると思います。
もう一つは、すべての医療機関に、ラピッドレスポンスチームなるものを設置するということです。
これは、前に助言いただいた医師から教わったことですが、指導医がきちんと助言してくれない場合、あるいは、指導医の指示が間違っているのではと若い医師が疑問を持った場合に、科の枠を超えて、横断的に相談できるようなチームが院内に設けられていれば、研修医がそこに駆け込むことによって、医療事故の防止につながります。
検討していただければと思います。
それと、最後に医療側に強く訴えたいのは、研修医にとっても、スタートのところで、きちんとした指導を受けられず、重大な医療事故を起こしてしまうと、真面目な医療者ほどトラウマになって、その後の医師としての人生が大きく狂ってしまいかねないということで、実際に、事故を起こした研修医の方から、そのような体験談を伺ったこともあります。
医療事故は、患者だけでなく、医師にとっても大きなダメージとなるのです。
ここで取り上げた研修医による事故は、いずれも初歩的なミスで、また、いずれも指導医が目を配って普通に気を付けていれば、避けられるか、リカバーできたはずのものばかりです。
それだけに、この種の事故をいかにして無くすか、しっかりと知恵を絞って良い医療を実現していかなくてはと強く思う次第です。
医療事件日記~研修医による医療事故Part1
これまでにも、個別の医療事故の中で何度か取り上げたことがありますが、今日は研修医による医療過誤の問題について、あらためて正面から取り上げてみたいと思います。
なぜ研修医による医療事故について正面から取り上げることにしたかと申しますと、それは、ここのところで当事務所で扱っている複数の医療事故、あるいは比較的最近解決した医療事故を分析してみると、研修医による医療事故の割合が非常に高いということにあらためて気づいたからです。
たとえば、現在、当事務所で扱っている医療事故で、訴訟になっている症例は、6件ほどあり、ここ1年余りの間に解決した医療事故が4件(歯科医や一般開業医の事件を除きます)、さらには提訴準備中の案件が2件ほどありますが、このうち、なんと半数が研修医のミスが絡んだ医療事故なのです。
ほかにも現在調査中もしくは示談交渉中の症例もありますので、厳密には半数よりは下回りますが、一方、上の12件のうちには医療事故といっても、介護あるいは入浴がらみの事故が2件含まれていますので、総合病院における医療事故に関していえば、実感としては、研修医のミスによる事故の比率が非常に高い印象です。
あくまで当事務所だけのことではありますが、他の弁護士からも同じような話を聞くこともありますから、たまたまということではないように感じますし、以前と比べても増加は顕著ですので明らかにそうした傾向が強くなっているのだと思います。
当事務所でここの所扱った研修医による医療事故をさらに分析してみますと、ある種の傾向、特徴があります。
その一つが、非常に初歩的なミスが多いということです。
たとえば、使ってはいけない薬を誤って投与したというものですが、現在訴訟中の事件では、敗血症の患者について血液培養検査を行って起因菌が判明したにもかかわらず、その起因菌には無効とされる薬を選択して投与し、その後の感受性テストで最初の薬が効かないことがわかったのに、またもや誤った薬を投与して、患者が死亡するに至りました。
また、最も多いのが、基本的な手技を間違ってしまうというものです。
これはたまたまなのかもしれませんが、当事務所で扱っている症例についていえば、4件が穿刺、つまり針を刺すという手技に関するものです。
具体的には、中心静脈カテーテルが2件、腰椎穿刺が1件、肝生検が1件ですが、中心静脈カテーテルの2件と肝生検は、いずれも動脈誤穿刺で出血多量となって患者は亡くなられていますし、腰椎穿刺の症例も、患者に重篤な後遺症が残っています。
また、この4件のうち3件は、合計の穿刺回数が、6回ないし10回に及んでいます(肝生検は途中でベテランの医師に代わっていますが、ほかはすべて研修医が終わりまでやっています)。
ほかにも、これは少し前ですが、重篤な急性腹症の事案なのに、対応した研修医がレントゲンも撮らず、3歳の子供を急性胃腸炎と診断して帰宅させたら、その夜、イレウスで急変して死亡したという症例もあり、これは研修医による明らかな誤診でした。
もう一点、研修医の事故を分析すると、看過し難い特徴があると感じます。
それは、いずれの事故についても、指導医がチェックした様子がまったくなく、ほぼノータッチで任せきりにしてしまっているのではないかと思われるということです。
いうまでもないことですが、研修医は、経験が浅く、基本的な手技にしても、薬や治療方針の選択にしても、デリケートな症例に関する診断にしても、必ずしも的確に行えるわけではありません。
ですから、場面場面で、指導医が適宜助言、指導をすることは必須といえるわけです。
しかし、上記の症例で、指導医が、途中で関与した症例は1件しかありませんでした(もっともその症例も、経過観察では完全に研修医任せで、結局患者は出血性ショックで亡くなりました)。
普通に考えて、中心静脈カテーテルにしても、腰椎穿刺にしても、7回とか10回もの回数穿刺を繰り返せば、動脈などに致命的な損傷をもたらす危険があります。
にもかかわらず、指導医が途中で交代せず、そのまま最後まで研修医に穿刺を繰り返させるというのは、もしその場に指導医がいたのであればあり得ないことで、研修医のミスというよりは、指導医のミスというしかありませんし、もっといえば、ミスというより、未必の故意なのではないかとさえ思えてきます。
実際、協力医の方とお話をすると、たとえば、電子カルテでも指導医が必ずチェックを入れるような仕組みになっており、重要な医療行為については、常に指導医がそばでチェックしながら行わせるようにしているそうです。
ところが、誤診で3歳児を死なせたケースでも、複数回の誤穿刺のケースでも、抗菌薬の選択を誤ったケースでも、指導医がその過程に関与した形跡はまったく見られませんでした。
前述した抗菌薬の誤投与の症例では、こんな信じられないことも起きています。
そのケースは黄色ブドウ球菌感染での敗血症だったのですが、血液培養検査と併せて実施される感受性テストでどの抗菌薬が効くかを調べるのですが、そのテストの結果が出た時点で、研修医は、感受性テストの判定の対象となっていない抗菌薬であるPIPCという薬を選択して投与する(そしてそれが間違っている)というミスを犯しているのですが、どうやら感受性テストで感受性ありと判定されたMPIPCと同じものだと勘違いしたためだというのです。
命に関わる場面で、笑い話にもならないような初歩的なミスを犯しているわけですが、このケースで指導医が選択に関与したとは到底考えられません。
とにかく、研修医の医療行為を指導医がまともに監督していないとしか思えないような症例ばかりなのです。
長くなるので、Part2に続きます。




















