事務所トピックス
弁護士 折本 和司

コロナウイルス対策の続きです。

対策の3つ目は、取るべき経済政策についてです。

政府は、現金を配るとか、商品券を配るというような話をしていますが、これまた、姑息的であり、愚策の極みです。

政府が考えるべきは、短期的な収入減への対応と、中長期的な実体経済へのダメージの緩和という目的に資する政策とは何かということです。

しかし、現金や商品券をばら撒いたところで、ほとんど効果は見込めません(経済的な効果がなく、バラマキでしかない以上、それは単純に将来の増税につながるだけです)。

実際、配られた現金や商品券がどうなるかといえば、多くの場合、現金は貯蓄に回るか、生活必需品の買いだめに回るだけだし、商品券も多くは生活必需品の購入のために費消されるだけである可能性が高いことは容易に想像できます。

短期的なことでいえば、今回の学校の休校で給食業者や食材料を支給する事業者、そして子供を学校に預けられず働けなくなった親といった、具体的に収入を失った人たちに対する補償を速やかに行うであるとか、コロナの影響で失業した人たちへの失業手当の支給を早め、支給額を増やし、支給期間を伸ばすなどの、ピンポイント的な政策が取られるべきです。

そして、中長期的には、何よりも、間違いなく訪れるであろう実体経済へのダメージをいかにして緩和するかということになります。

しかし、この点について、現在政府のやっていることは、真逆というか、最悪と言っても過言ではありません。

それは株価の動きを見ていたり、経済ニュースを見ているとよくわかります。

コロナパニックになって以降の株価の変動は、日本に限らず、非常に極端なものとなっています。

日本でも平均株価が一日で1000円以上変動することはざらで、アメリカではなんと約3000ドルも変動した日があるほどです。

ところが、政府、日銀は、この株価の下落を防ぐために、国民の資産となるべきものや年金原資などをじゃぶじゃぶと注ぎ込んでいます。

それは、あたかも外資のいわゆるハゲタカファンドを売りで儲けさせるために、政府、日銀が買い支えて貢いでいる構図だとの指摘もあります。

今回のコロナパニックは、ある意味、一見見えにくくなっている日本の抱えた矛盾、破綻の兆しを浮き彫りにしてくれているという面もあるように感じますし、その問題はまた別に取り上げてみたいと思いますが、それはともかく、国民の大切な金が、政府や日銀の一部の人間によって、ギャンブルのような相場に注ぎ込まれていることは異常というほかありません。

もちろん、急激な株価の減少という現象自体を避ける必要があることは理解できないわけではありませんし、年度末で決算期も近づいており、株価下落によって、企業の資産価値が目減りしてしまうことが信用不安を引き起こす面があるため、それを防ぐ必要が全くないわけでもないでしょう。

しかし、これまでずっと、政府、日銀が、アベノミクスと称して、GRIF(年金積立金管理運用独立法人)、ETF(上場投資信託)によって株価を買い支え続けたため、かなりの民間企業の筆頭株主が政府、日銀になっているという報道もあるとおり、あまりにいびつな株価誘導が繰り返されたところへもって、今回、ETFの枠をさらに大きく広げての買い支えですから、日本の証券市場が不健全極まりない状態となっていることもまた明らかです。

そして、決定的に問題なのは、今の政府の金の使い方はおよそ実体経済に資するものではないということです。

端的にいえば、国民の金は、金融市場ではなく、実体経済を支えるために優先して使うべきです。

そして実体経済を支えるという視点から見て最も大切なことは、国民が安心してお金を使えるような心理的環境を整えるということであり、それが一定期間続くことです。

そのために取るべき政策の第一は、消費税の撤廃だというのが私の考えです。

現時点では、少なくとも1年、できれば2年程度の実施が必要と思います。

8%とか5%ではなく、ゼロにすることは、仕組みの変更に煩雑な手間がかからないということで即効性もありますし、何よりインパクトがあります。

そもそも、消費税は全然公平な税制ではありません。

導入当時にはよく言われたことですが、消費税の最大の問題点は「逆進性」です。

生活用品、食材、耐久消費財などは貧富の差とは関係なく必要なものでそのための購入が避けられない以上、消費税は経済的に苦しい人により大きなダメージを与えるものだからです(消費税は、公平に見えて、実は非常に不公平な税制です)。

それだけに。逆に消費税をいったん撤廃するということは、逆進性の逆を意味することになり、経済的に余力のない人にとって大きな福音となります。

仮に、年間300万円を支出するとした場合、今よりは30万円も支出が少なくすむことになるわけですから、一時しのぎの現金や商品券などと違い、コンスタントにひと月あたり2万5000円もの確実な消費行動を促す効果があるはずです。

今の政府の下では、このような思い切った政策は打てないでしょうが、どこかの政党もしくは議員提案で国会で発議をして、少なくとも期限を切って消費税を撤廃し、1年もしくは2年後にその効果を見極めて、政策論議をし、場合によっては選挙をすればいいと思うのです。

もちろん、大幅な税収減となりますので、その分はどこかでカバーしなくてはなりません。

それは、時期をずらしての所得税のアップであったり、以前、議論して立ち消えになった企業の内部留保課税であったり、さらには、相続税についてももう一度上げてもいいかもしれません(ほかにも海外に法人を作って課税逃れをしている大企業もありますが、税法を改正して、少なくとも日本国内の企業活動をして利益を得ている企業への課税逃れを許さない仕組みを作る契機にしてもいいと思います)。

特に、企業の内部留保課税については、課税されるとなれば、内部に貯めた金を塩漬けにしないで設備投資などに使おうという動機付けになるのでかなり効果的なはずです。

特に、大企業においては、今こそ、得て来た利益を還元することで、経済を立て直すことは、社会的責任でもあるし、将来的なことを考えれば、各企業にとっても大きなメリットを産むはずだと認識してもらいたいと思います。

それと、現状でコロナウイルスの影響を最も多く受けているのは、特に非正規のパート、アルバイト、そして中小零細企業を営む人たちです(特に外食、観光、旅行、その他サービス業などは壊滅的な影響を受けています)。

そこで、中小零細企業を営む人たちには徳政令的な支払猶予、緊急援助を受けられるようにし(これはすでに一部で始まっていますが)、非正規雇用の人たちについては、解雇や雇止めをされた場合の失業手当をすぐに、そして給付要件の緩和、さらには給付期間の延長や増額を含め、できるだけ手厚いサポートをすべきです。

とにかく、今は、実体経済を下支えするような施策をどんどん打ち出して、国民に安心を与えるべき時です。

株価操作に血道を上げることよりも、優先してなすべきことがあることだけは間違いありません。

 

3回に分けてコロナウイルス問題を取り上げましたが、検査の徹底、通勤ラッシュの緩和などの感染拡大防止の施策、そして消費税の撤廃を含めた実体経済へのダメージを緩和する施策は、三位一体で行うべきです。

もちろん、個々の具体的な政策については、専門家が制度の整合性を考えながら行う必要があり、いろいろと選択肢があるとは思いますが、喫緊に発案して実施しなければ、パニックは拡大し、国民生活の基盤が破壊される危険が高くなっていることだけは間違いないと思います。

最後に、もう一つ、指摘しておきたいのは、コロナパニックの見通しです。

最初に述べたように、致死率を下げる対策を打ち、それが効を奏せば、過剰にパニックに陥るまでのことはないはずで、過度に恐れるべきではありませんが、このウイルスのもう一つ厄介な点は、世界中で、しかもそれが時間差でずれて広がっているということです。

つまり、いったん、感染の広がりを抑えることができたとしても、他の国で感染が広がり、それが逆輸入の形で国内に流入する危険があるわけです(現にすでに中国ではそうした兆候が現れています)。

今は、ヨーロッパ、アメリカなどが中心ですが、今後、ブラジル、インド、さらにアフリカあたりで感染が爆発的に広がる可能性は十分にあります(もちろん、日本もしかりです)。

そうなると、現在、感染がピークを迎え、対策を打っている国でいったん感染が収まっても、今度はそこに海外から新たな感染者が流入し、無限ループのようにいつまでも感染が完全には治まらないで流行が数年単位でぶりかえすという可能性もあり得ます。

ただ、日本だけについていえば、幸い極東の小さな島国ですので、まずしっかり国内での対策を立て、実行することで、感染の広がりを抑えることが可能ですし、経済的な立て直しを図る余力はあるはずです。

それを実行して行く中で、諸外国の感染の広がり防止のために様々な協力を図るという取り組みをすることが求められているのだと思います。

 

このコロナウイルスについては、そのことをきっかけにいろいろと感じたことがあり、また取り上げたいテーマもありますが、それはまた別の機会に取り上げたいと思います。

 

2020年03月31日 > トピックス
弁護士 折本 和司

PART1に引き続いて、コロナウイルス問題について取り上げます。

PART1で取るべき対策について列挙するとしながら、やっと2つ目ですが、感染の広がりを防ぎつつ、国民生活の破綻を防ぐというデリケートなかじ取りが求められる状況です。

この点について、緊急事態宣言の発動の議論が出ていますが、特に、国民生活の破綻を防ぐという観点からしても有害であり、発動すべきではないというのが私の考えです。

そもそも、緊急事態宣言の発動については、国家権力による私権の制限が広範囲で可能になるということで憲法上の問題もありますが、それは措くとしても、今回のコロナウイルスについては、そもそも政府、厚労省は、やるべきことをやっていないわけで、それすらやらずにいきなり緊急事態宣言という副作用も大きい禁じ手を用いることには疑問を感じざるを得ません。

前述の検査のこともそうですが、これから書く通勤ラッシュの緩和の手立てにせよ、パチンコ、風俗など感染リスクが高い業務に対する働きかけなど、やれることはまだまだたくさんあります。

そうしたことに対して知恵を絞ることもせず、安易に緊急事態宣言に踏み切ることは、これまでの政策のミスを帳消しに見せるためのパフォーマンスにすぎないのではないかの印象も拭えません。

また、緊急事態宣言を出すと、多くの国民はより委縮し、経済や国民生活の混乱にはさらに拍車がかかることになります。

すでに、十分な余力のない多くの事業者の経営が破綻、あるいは破綻の淵に追い込まれているわけで、決定的な打撃をもたらすことは避けられないのではないでしょうか。

日本も深刻な状況ではありますが、日本人は勤勉ですし、医療体制、通信ネットワークを含め、まだ十分に余力がありますから、緊急事態宣言などではなく、隣接する自治体同士で連携し、対策を立てることで、感染を抑え込むことは十分に可能だと思います。

コロナウイルスを恐れるあまり、かなりの国民に経済的な意味での致命傷をもたらすことにはやはり慎重であるべきだし、きちんとした情報と気を付けるべき具体的指針を出すことの方が有用なのではないでしょうか。

そういうことからしても、まずは、感染リスクが高く、多くの国民に不安を与えている通勤ラッシュの緩和に取り組むべきです。

たとえば、特に、大都市、各都道府県の中核都市においては、公益性が高く、現状のマンパワーを維持しなくてはならない、交通機関や医療機関などを除いて、従業員の出勤日を偶数日、奇数日に分けるというような思い切った通勤ラッシュ緩和対策を立て、その徹底を図るというのはどうでしょうか。

そうすれば、朝夕の通勤ラッシュは単純に半減します(これにテレワーク、時差通勤を組み合わせれば、経済活動への影響を最小限にとどめつつ、通勤ラッシュのドラスティックな緩和が図れることになります)。

実際、この間に政府が打ち出している対策は、ナンセンスで矛盾しているのではないかと感じている人は少なくないと思います。

政府は、これまでも、学校を1~2週間がヤマだと言って、休校を要請(実際には強要に近いですが)したり、休日の外出自粛を呼び掛けたりしています。

それ自体がまったく効果がないとは言いません。

まあ、その効果のほどについては検証しようがなく、本当のところはわからないのですが、休校や外出自粛の呼びかけは、パニックを引き起こす要因の一つになっているばかりか、学校や消費活動に関わっている事業者、生活者に重大な経済的ダメージを与えている面があり、デメリットも大きいと思います(また、1~2週間がヤマだと言った影響もあるのか、その後は気が緩んでみんなあちこちに出歩いていました)。

しかし、このような自主規制を一般国民に強いておきながら、その間も、電車は普通に混んでいました(仕事で霞ヶ関に行くと、東横線だと自由が丘を過ぎたあたりから、東海道線だと横浜駅のホームですでに人が溢れていました)。

日本の中で最も人口密度が高い東京及び東京周辺、大阪および大阪周辺で感染者が増えつつあるにもかかわらず、毎日、1000万人以上もの人たちが通勤電車で行き来するのをまったく規制しないというのは、穴の開いたバケツで水を汲むのに等しい間の抜けた愚策ですし、それこそ「コロナ対策をやってますよアピール」的なパフォーマンスにしか見えませんでした。

もちろん、こうした政策は、それに協力する側に経済的なマイナスを強いる面があります。

それについてはきちんと補償をするということも必要ですが、それは経済政策のところで触れたいと思います。

ほかにも、感染の広がりを防ぐためにはいろいろとできることがあります。

カラオケやスポーツクラブ、ライブハウスなどをやり玉に挙げながら、パチンコ屋とか風俗、特に性風俗産業あたりについて政府、厚労省、自治体が大きく問題にしないことは明らかに均衡を失しています。

これらの業種が濃厚接触のリスクの非常に高い業種であることは分かり切ったことです(中にはそのものずばり「濃厚接触」によって成り立っている業種もあります)。

そもそも、コロナウイルスは家から出たら即感染するようなものではないわけで、にもかかわらず、国民に外出自粛を執拗に呼びかけておきながら、パチンコ屋や風俗系の業種は普通に営業しています(まあ、客が減っていることはあるので、個々の業界ではいろいろと対策を打っているのでしょうが)。

少なくとも、これらの業種については、営業時間にせよ、接客対応、衛生管理などの営業方法にせよ、政府、厚労省あたりから、明確な指針を出すであるとか、端的に規制をかけてもいいと思います。

今の中途半端で均衡を失した規制では、絶対に感染は治まらないし、そう遠くない時期に感染爆発を起こす可能性が日に日に高まっていると思います。

さらにPART3に続きます。

2020年03月31日 > トピックス
弁護士 折本 和司

コロナウイルスの感染が世界中に広がり、その影響も計り知れないほどになりつつあります。

それに対する日本政府を含めた各国の対応を見ていると、明らかに間違った政策が実行されていたり、そもそも進むべき方向自体が誤っているとしか考えられないようなものもあって、このままで行くと、世界中が悪循環のループから抜け出せず、この大混乱が延々と長引き、今よりも一桁、いや二桁違うレベルの感染者、死者を生み、また病気と並行して、経済的な面で倒産や失業者の増大を招いて、多くの国民の生活が破綻に追い込まれるのではないかという気すらします(実際、アメリカでは失業者が短期間で数倍以上に膨れ上がっているとの報道もあります)。

そこで、これまでの経緯を踏まえて、私見を述べてみます。

ところで、この記事を書いていたら、志村けんさんの死去の報に触れました。

ドリフターズの時代から見ていて、加藤茶さんも好きでしたが、コントについては志村けんさんは一人だけ次元が違っているなあと感じていましたし、紛れもなく稀代の天才コメディアンといえる人でした。

これからもまだまだ現役で活躍できたに違いないのに、あまりに早い急逝で、本当に残念でなりません。

心からご冥福をお祈りいたします。

志村けんさんのことはまたいつか書きたいと思っています。

 

本論に戻りますが、コロナウイルス対策として今後何をどうすべきかについて、端的に列挙してみたいと思います。

まずは、検査のあり方について指摘します。

検査については、増やすと医療崩壊につながるなどとして反対する意見もありますが、可能な限り増やすべきです。

医療崩壊になるかならないかは別の問題です。

感染者や不安を感じている人であっても、無症状、持病がない軽症者については医療機関を利用してはいけないといったルールを政府が明確にし、その周知を図るためのアナウンスをしっかりやれば足りることです。

高熱や嘔吐などの感染症状が現れているであるとか、糖尿病、肺疾患など、重症化しやすい持病を抱えている人で一定の症状が現れている人たちを優先することにすればいいのです。

なぜなら、コロナウイルスの致死率自体は決して高いわけではなく、感染症状が重篤化し、呼吸機能が低下する前に治療をしてあげることで、致死率が大きく変わって来ることがすでに分かって来ているからです。

端的な例は、ドイツです。

ドイツの場合、現時点での致死率は0.6%程度だとのことで、今後の変動の可能性はあるものの、イタリア、スペインと比べ、圧倒的に低いのですが、ドイツ当局も、早期発見して、重症化する前に対処することで致死率を下げることができていると明言しています。

この点についていろいろな考え方はあると思いますが、今起きているパニックのような現象の一要因は、多分に心理的なものであると思います。

私たちは、コロナウイルスを過度に恐れすぎていると思うのですが、それは、感染者数が一気に膨れ上がっていることよりも、致死率が国によっては10%にまで上がっているといったことが大きいのではないでしょうか。

もし、コロナウイルスが「死なない病気」なら、ここまでのパニックにはなっていないはずです。

元々、持病を抱えているであるとか、医療機関にかかるタイミングが遅れてしまい、助からないケースもあるでしょうから、完全に「死なない病気」にすることは無理でしょうが、それでも、「こうすれば助かるはずの病気なのだ」という情報が共有されるようになれば、少なくとも、パニックの一因となっている心理的な要因はかなりの部分で排除できると思います。

ちなみに、致死率が大きく異なる理由ですが、ちょっとだけ私見を述べます。

単なる偶然の符合の可能性もありますが、イタリアについていうと、感染が広がり、死者が多く出ている北部地方は、イタリアの中でも大気汚染がひどいとされています(ある統計によると、イタリアの大気汚染は世界でワースト7位で、その統計では、中でも北部地方が酷いと指摘されています)。

実は同じく、大気汚染がひどいとされるイランも死者数が多い国です。

いうまでもなく、大気汚染がひどいということは、呼吸器系の疾患を引き起こします。

私が関わった川崎公害訴訟でもそうでしたが、川崎に住んでいた原告の人たちは、気管支喘息などの持病で苦しんでいました。

つまり、大気汚染がひどいということは、健常人より呼吸器系の機能が劣っていることになるので、コロナウイルスによって肺炎を引き起こすと、一気に重篤化しやすいのではないかとの推論が成り立つはずです。

もちろん、国ごとの致死率の違いについてはいろいろな要因が複合的に絡み合っていると考えられます。

年齢であるとか(イタリアは高齢者が多い国です)、医療制度、医療水準であるとか、人口密度であるとか、さらには、イランや教会でクラスターが引き起こされたとされるマレーシア、韓国の例等を見ると、国民が信じる宗教の違い、宗教観、さらには政治体制、国民性なども影響しているかもしれません。

ただ、こうしたことを丁寧に分析することで、その要因を如何に排除して行くかを検討できるわけで、そうした分析や対策の検討こそが、本来の厚労省、専門家会議の役割ではないかと思ったりもします。

長くなりましたので、PART2に続きます。

2020年03月31日 > トピックス
葵法律事務所

昨年からつい先日まで、当事務所で扱って来たある刑事事件のお話をしたいと思います。
その事件は、地裁で実刑判決が出たところから引き受けた窃盗の控訴、上告事件だったのですが、高裁でも実刑判決が出て、そこから最高裁への上告、さらには上告が棄却されてからの異議申立というかなり稀な手続にまで関わりました。
正直、途中から刑事弁護を引き受けるというのはやりにくい面があり、躊躇するところもあるのですが、その事件の場合、被告人には非常に気の毒な事情があって中途受任することとなりました。
「気の毒な事情」の中には、刑事弁護、刑事司法手続のあり方に関わる問題もあるように思いますので、取り上げてみたいと思います。

その事件は昨年春に地裁で実刑判決が出たのですが、その直後、被告人の内縁の妻の女性が事務所に相談に来ました。
そこで聞いた話は、俄かに信じ難いような内容を含んでいました。
まず、被告人は、家族のために働かなくてはならず、被疑者段階から、被疑者国選弁護人となった弁護士に示談交渉をとお願いしたそうですが、それにはまったく応じてもらえなかったというのです。
示談交渉すらしていなかったこともあってか、被疑者はそのまま起訴されるのですが、驚いたのは、国選弁護人のそれまでの接見回数と接見時間です。
被告人によると、弁護人は合計10回くらい接見に来たそうですが、毎回数分程度しか接見せず、すぐに帰ってしまうというのです。
そして、起訴となった頃に、これからはもうあまり来ないというようなことまで言われたそうです。
また、保釈申請をとお願いしたら、それも自分でやるようにと言われ、やむなく自分で申請したら保釈は認めてもらえなかったそうです。
その後、2度目の保釈申請はお願いしてなんとかやってもらえ、保釈許可決定はおりたのですが、判決前には、弁護人から「示談しなくても執行猶予になる」と言われていて、いざ判決期日に臨んだところ、実刑判決が出たのです。
また、判決の直前には、「もし万一実刑判決になっても保釈中なので家に帰れる」とも説明されたそうです。
しかし、そんなことはあるはずもなく、被告人は判決後、そのまま身柄拘束されます。
国選弁護人は、法廷で、「すぐに控訴するように」と助言したそうで、被告人もそれに従い、即日控訴の手続を取ったのですが、家族のために働く必要もあることから、すぐに家族を通じて再度の保釈申請をと要望したところ、「控訴したらもう弁護人ではない。すぐに保釈申請したいなら、私選受任となるので着手金を用意するように」と言われたそうです。
幼い子供を3人抱えている状況で、元々経済的に厳しいところへ持って来て、夫が働けないわけですから、どうしようもなくなって、当事務所に駆け込んで来られたのです。

いろいろと事情を聴いた結果、その弁護士の活動があまりにひどいと感じたので、結局、控訴審から弁護を引き受けることにしました。
保釈申請の準備のため一審における事件の経緯などを把握する必要があると思い、問題の弁護人に連絡をしたのですが、一切協力できないと断られました。
さらに、その直後、内縁の奥さんにその弁護士が連絡を入れ、事務所に呼びつけた上で、「控訴しても保釈なんか認められるはずはない。その弁護士は金目当てだから断った方がいい」と言い放ったそうです。
その弁護士の対応にあきれつつ、まずは保釈申請をしました。
一審の裁判所も、国選弁護人の弁護活動に疑問を持っていたのか、保釈はわりとあっさり認められました(ちなみに、保釈については、時間が経つと高裁での判断となりますが、それだと記録を読めていないため、さらに判断が遅くなるので、控訴後すぐに地裁と掛け合って、地裁に記録をとどめて判断してもらうことで、早期保釈を実現することができました)。
なお、保釈金については保釈支援協会を使っており、そのことについてはいろいろと思うところもあるのでまた別の機会に取り上げたいと思います。
その後の控訴審における弁護活動ですが、親族に協力をお願いして、被害者との示談を成立させるなどできる限りのことはやりました。
控訴審では、示談できたこともあって減刑はされたものの実刑判決は変えられなかったのですが、被告人も弁護活動の内容については納得してくれていると思います。
しかし、それだけに、被疑者段階から一審を担当した国選弁護人に対しては強い憤りを感じているとのことです。
確かに、被疑者、被告人にとっては担当する弁護士しか頼れる人がいないわけですから、唯一の頼みの綱である弁護人がなすべき弁護活動をやってくれなければ、不起訴、罰金となるべきものが起訴となり、執行猶予どまりのはずのものが実刑となるという、まさに天国と地獄の差となってしまうこともあるわけで、憤慨されるのも当然のことと思います。

実は、このような弁護人がいるという話はこれまでも耳にしたことがあります。
ただ、その背景には、国選弁護の費用が低すぎること、特に収入が不安定な若手弁護士にとっては、国選弁護で効率よく日当などの収入を得たいという動機が働いてしまうという現状があるように思います。
もちろん、個々の事件において手抜き弁護にあたるようなことがあってはいけないのですが、一方で国民の方々に知っておいてもらいたいこともあります。
私たちは刑事司法の一翼を担い、被疑者、被告人の権利を守り、また可能な限り被害回復、再犯を防ぐための説諭や環境調整にも努めているわけです。
しかし、刑事手続の現状を見るにつけ、この国の司法行政は、弁護人が負っている重い役割を軽視していると感じることがしばしばあることもまた事実です。
刑事司法の一翼を担う弁護士に対して、それに見合う報酬が支払われるようにならなければ、結果として司法に対する信頼が失われることになりかねません。
カルロス・ゴーンの問題もあり、刑事司法手続に対する国民の関心が高くなっていますが、多くの弁護士が、弁護士による弁護を受ける憲法上の権利を実践するという重い重責を低額の報酬で実践させられている、このおかしな現状を変えるべきではないかという視点、問題意識を共有していただければと思います。

2020年02月16日 > トピックス, 事件日記
葵法律事務所

今から2年余り前に提訴した、横浜市内にある総合病院における生後11か月の乳児に対する肝生検後の死亡事故に関する損害賠償請求訴訟の弁論期日が本年1月29日に横浜地方裁判所において開かれました。
この裁判では、この間、ずっと弁論準備手続という、法廷ではない場所で手続が行われていましたが、今回の期日は公開法廷における弁論手続に戻してもらいました。
その理由はいろいろあるのですが、一番大きな理由は、当時、本件事故に関わった複数の医師から、被告病院の医師らの過失による死亡事故であることについて真実を伝えたいという申し出をいただけたということによるものです。
私たちは、この内部告発を受け、この病院の体質といえるかもしれませんが、事故の背景にある実態といったことも含め、公開法廷でそのことを正面から訴えるべき時期に来ていると判断をしました。
まだ事件が終わったわけではありませんが、そのことについてご報させていただきます。
なお、確認したところでは、翌1月30日付の神奈川新聞の社会面でこの期日のことが取り上げられていました。
今回は、公開法廷で意見陳述を行いましたので、その原稿を転記する形でご報告ということにしたいと思います。
長くなりますが、以下、ほぼ原文のままで引用して掲載いたします。

本日の弁論期日におきまして、時間を取っていただき、まずは裁判所に御礼申し上げます。

通常の民事事件で審理中途で意見陳述を行うことは比較的稀なことかと思いますが、本件については、弁論準備手続を重ねていた間に、様々なことが起きており、それによって判明した事実もございます。
その結果、本件事故自体、そしてその後の対応も含めて本件に関する被告の悪質さがより明らかとなってもおりますので、これらの事実について、本日提出の準備書面、証拠を踏まえて、意見陳述させていただきたいと思います。

まず、本件は、被告の運営する病院において、生後11か月の乳児に対する肝生検が実施され、それから数時間後に急変して死亡したという症例であり、司法解剖においても「肝生検に起因する出血死」と明確に結論付けられております。
にもかかわらず、被告側はずっと肝生検後に出血が生じていたこと自体を争い、ミトコンドリア肝症による急激な代謝異常で生じたことだとして、肝生検後の経過観察における過失をも否定して争っているわけです。

本日提出した2通の準備書面では、この点に関する被告主張が虚構であること、本件は極めてシンプルな「肝生検に起因する出血死」の症例であり、肝生検後の経過観察で多々あった出血兆候を見逃し、出血に対し適切な対処を怠ったことによって、体内の血液の2分の1を優に超える出血を来し、生後11か月の乳児を死なせたもので、被告が法的責任を負うべきことが明白な事案であることを、医学的な知見と事故関係者の陳述書などを基に詳細に指摘いたしました。

準備書面の要旨は以下のとおりです。
まず、本件では、肝生検後、脈拍数が分あたり200を超え、呼吸数が分あたり60を超え、さらに口唇チアノーゼ、四肢冷感、亡尿などの、明らかに出血によって生じたと見られる症状、所見について、たとえば、発熱は出血によるショックとは矛盾するであるとか、多呼吸だとクラスⅡのショックにあたるはずとしながら、拡張期血圧が上昇していない等として、あくまでショックではなかったとし、出血が起きてないといった主張を行っていますが、そもそも発熱はサイトカインの影響で起きるもので、出血性ショックと矛盾しないし、クラスⅡのショックではない根拠とされた拡張期血圧については被告病院では異常が現れて以降そもそも測定すらしていないにもかかわらず、「上昇していない」として、ショックを否定する根拠としているわけです。
わかりやすくいえば、ショックに陥っていたことを否定するために、嘘の情報、誤った医学的知見を紛れ込ませているといっても過言ではありません。
結局のところ、本件における被告の主張は、6回もの穿刺を行った肝生検後の出血で普通に説明のつく事象を、出血とは無関係であるとこじつけようとしているにすぎず、およそ医学的にも合理性のない主張なのです。
本件事故では、肝生検当日の午後3時50分ころに急変していますが、その直後のレントゲン写真でも明らかな出血所見が確認できます。
被告は、乳児は脂肪組織が少ないため、はっきりと写らないことがあるなどの医師の意見書を証拠として提出し、出血はなかったとしていますが、前日の写真では臓器がくっきりと写っているのでその差は一目瞭然ですし、今回、内部告発をした当時救命に関わった医師も、このレントゲン写真で、肝臓の周囲がくっきりと写っていないことから出血が確認できると陳述書で明言されています。

被告が誤った情報で責任を言い逃れようとしていることは、ミトコンドリア肝症に関する主張においてより顕著となります。
そもそも、ミトコンドリア肝症は、極めて稀な疾患です。
この点、被告が主張の拠り所としているミトコンドリアの形態異常は、本件の場合、およそ典型的なものではありませんし、形態異常は、ミトコンドリア肝症の鑑別において特異性がなく、続発性、つまり他の疾患から二次的に発現することがあるとされているもので、およそ鑑別の決め手にはなりません。
被告もそのことは承知しているためか、患者に現れた所見、身体的特徴を根拠にミトコンドリア肝症が疑われるなどとの主張を行っています。
しかし、被告が取り上げた「強度の貧血」「凝固異常」「中等度以上の肝障害」といった所見は、すべて急変後のものであり、これまたすべて出血性のショックが非代償期に陥っていることと矛盾しないものです。
現に、死後の解剖においても、ショック肝、ショック腎であったことが指摘されており、肝臓にも腎臓にも、心臓にも血液がなかったことが確認されています。
逆に、肝生検前には、貧血も、凝固異常も、中等度以上の肝障害もなかったわけで、それが肝生検後わずか数時間の間に進行し、大出血を来すことなどあるはずもありません。
ちなみに、急変後、強度の貧血を来した点についても、被告は出血では説明がつかないと言い切っていますが、急激な出血が起きると、血管外から水分が血管内に戻って来るため、血液は希釈されることになりますし、本件では肝生検開始前から輸液が行われており、肝生検後には輸液量が倍に増量されたという事実もあり、この輸液によっても血液は希釈されることになります。
要するに、被告は、出血に関する基本的な医学的知見も無視し、さらには、本件で輸液が実施されていたことも無視して、誤った医学的評価でもって責任を逃れようとしているもので、これは一例にすぎず、被告のこのような手法は枚挙に暇がないといっても決して過言ではありません。
今回、私たちは計40ページに及ぶ準備書面を提出しましたが、かなりの部分を、被告の虚偽主張を医学的に論破するために割いており、怒りを通り越して、あきれるくらいなのです。

本件では準備書面を2通提出しましたが、2通目の準備書面は、今まで述べたことを踏まえつつ、本件における真実をより明らかにするためのものです。
弁論準備手続が行われている間に、私たちは、本件事故等、被告病院に勤務していた複数の医師から内部告発を受けており、今回の手続で、2名の医師の陳述書を証拠として提出いたしました。
いずれの医師も、本件事故に直接関わっていた方ですが、両医師とも、本件事故が「肝生検に起因する出血死」であり、被告病院の医師らの過失さえなければ救命できていたはずだと断言しています。
また、内部告発の中には、被告病院において直近で同種事故が起きていたことの指摘もありますので、その点を含め、被告の有責性についてもはや争う余地のないものであることを準備書面において指摘しております。
告発をしてくれた医師の内のお一人は、本件事故に直接関わり、肝生検施行後の患者の容態観察を行っていて、刑事手続で書類送検された当時の研修医の方です。
同医師は、「本件事故は肝生検に起因する出血死であると認識していることを前提に、自身が肝生検後の経過観察に直接関わり、出血を疑うべき状況を確認していながら、上級医の指示に従い、出血に対する対処をせず、そのまま経過観察を続けた過失を認め、それがなければ救命できたはずである」と述べておられます。
また同医師は、遺族である原告らに謝罪の手紙を渡されていますので、その手紙も証拠として提出しております。
同医師は、陳述書や手紙で、何か重大なことが起きていると思い、上級医に何度も相談に行ったが、対応してもらえなかったことを具体的に述べ、その後経験を積んだ医師として事故を振り返り、本件事故については「当然に出血を疑うべき状況であった」として、「出血を疑って対処をしなかった過失」を認め、その過失さえなければ救命できていたと明確に述べてくれています。
もう一人の内部告発者である医師は、現在も、済生会系列に勤務されている医師であり、勇気をもって告発していただきました。
同医師は、急変後の蘇生に関わった方ですが、やはり本件事故について極めて重大な事実を述べておられます。
同医師は急変から1時間半あまり経過した時点でエコー検査を実施した医師ですが、このエコーで肝臓の周囲、つまり外側ですが、出血の所見を確認したそうです。
同医師は、急変直後のレントゲン写真を確認し、同写真でも出血所見があることを明言しており、やはり、本件が肝生検に起因する出血死であることを明言しております。
このエコーについては不可解な事実もあります。
同医師は、エコー画像をプリントアウトしたそうですが、その後、このエコー写真は病院内で紛失したそうです。
また、裁判で被告は、当初診療経過一覧表で、同医師のエコーで、カルテの記載通り、腹腔内出血を疑う所見と診断したことを認めていたのですが、後になって、腹腔内出血は認めず、肝被膜下血腫と言い換えています。
しかし、この点について、同医師は自身の認識とは異なるし、そのように述べたことはないと断言しておられます。
端的に申し上げれば、被告側は、裁判の手続が進行するなかでも、自身に不都合な事実を捻じ曲げるような対応を重ねていることになり、非常に悪質というほかありません。
同医師は、本件事故に関連して、もう一つ重大な事実を指摘しておられます。
それは、本件事故に先立って、被告病院内で肝生検に起因する出血事故が起きていたという事実です。
同種事故の有無については、すでに求釈明を行っておりましたが、被告は、同種事故の存在を明らかにしておらず、もし同医師の指摘どおりであれば、この点でも被告は虚偽の回答をしていたことになります。
告発した医師によれば、この同種事故は、本件事故の1~2年前に、同じ小児肝生検チームが行った肝生検の後に起きた事故で、被告病院には小児外科がないため対処できず、世田谷にある国立成育医療研究センターに救急ヘリで搬送され、一命を取り留めたとのことです。
研修医の方は本件事故の年に被告病院に来ている医師で、その事故のことは知らないそうですが、上級医は当然知っていたことになります。
仮に肝生検後の出血事故であったとすれば、その教訓がまったく生かされず、本件事故の発生につながったもので、その意味でも同種事故の内容は非常に重要な意味を持つことになります。
私たちは、この内部告発を踏まえ、再度の求釈明を申し立てました。
今度こそ、被告側が誠実に対応してくれることを強く求めます。

本件ではほかにも重大な問題があります。
その一つが電子カルテの改ざんの事実です。
この改ざんの経緯ですが、事故後の遺族との話し合いの中で、病院側が「死因は不明だが、病院に責任はない」等の極めて不誠実な対応を行ったため、不審を感じた遺族が司法解剖を希望し、未明に警察介入となったのですが、その明け方に電子カルテの改ざんが繰り返されます。
実際、穿刺回数を少なくするであるとか、肝生検の1回目はリアルタイムエコー下ではなかったといった記載を削除するといった改ざんが行われています。
この電子カルテの改ざんの手法は、確定履歴の改ざんではなく、仮登録状態にした中での改ざんであるため、通常の証拠保全手続ではまず入手できないというものです。
一般の方には理解しづらいことかもしれませんが、このやり方がまかり通るのであれば、事故の事後的な検証はおよそ不可能になりかねないというもので厚労省が定めた電子カルテの原則に反するとも考えられますので、あわせて問題提起したいと思います。

以上、本件について述べさせていただきましたが、詳細な医学的反論に加え、2名の医師の内部告発もありましたので、本件事故の法的責任の有無ということでいえば、すでに決着は着いたといっていい事案です。
事故に関わった医師が自身の過失を認め、医師が適切に対応していれば救命できていたと述べて、謝罪している事件で、被告がさらに争い続けることは、単に不毛ということにとどまりません。
かけがえのない生後11か月のお子様を失った遺族に対し、医学的にでたらめな主張を重ねることで、さらなる苦しみを与え続けているのだということを、被告、そして被告病院の関係者の方々は、強く自覚し、反省していただきたいと心から願っています。

医療事件を扱っていると、あるべき医療とは何かということをいつも考えさせられます。
私たちは、本来、医療者、医療機関を断罪したいと考えているわけではありません。
医療事故が完全になくなることはないのかもしれませんが、医療者、医療機関が、常に事故を真摯に反省し、教訓とする姿勢で臨んでいただければ、不幸な事故を減らすことができます。
「患者のための医療」は、突き詰めて行けば、「医療者の幸福」にもつながるのだと確信しています。

最後に、本件については年末ぎりぎりに刑事事件に関し、不起訴処分が出されていますが、ご遺族の意向を踏まえ、近日中に検察審査会に審査請求の手続を取る予定です。
刑事事件についてのお話はまたいろいろありますが、そのことについては申立時点でご報告したいと思います。

2020年01月31日 > トピックス, 医療事件日記
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