事務所トピックス

日々雑感~「核抑止力」の欺瞞と幻想

弁護士 折本 和司

ロシアがウクライナへの侵略を続ける中で、核抑止力の問題が大きくクローズアップされています。

ただ、その議論を見聞きしていて非常に気になることは、日本もロシアに侵略されないようにするために、核抑止力が必要であり、核兵器を持つべきだという主張が声高に語られていることです。

今日はこの問題について取り上げます。

 

今回のロシアによるウクライナ侵攻は、国際的な緊張関係の激化をもたらすとともに、これまで曖昧にされてきた様々な問題を私たちに突きつけました。

たとえば、国連の機能不全の問題や資源や食料に関する安全保障の問題は、もはや人類全体にとって避けて通れない喫緊の課題といえるでしょう。

そして、その中でも、核抑止力なるものの危うさが白日の下に晒されたことは、今後の世界的な安全保障の枠組みをどう構築していくか、その方向性に重大な影響を与えることは必至です。

問題はその議論がどちらの方向に向かうかです。

端的に言えば、人類の叡智を注いで、核兵器(に限りませんが)の削減、廃絶の方向に向かうのか、それとも、逆に各国が競って兵器開発に血道をあげ、核兵器等の非人道兵器が世界中にはびこり、暴発、破滅の危険と隣り合わせの瀬戸際の、Close to the edgeな世界になってしまうのかであり、これまで超大国のエゴで見えにくく、先送りにされてきた問題がいきなり正念場を迎えたといっても過言ではないでしょう。

 

プーチン大統領の発言などを聞いていると、核抑止力という言葉自体が欺瞞であり、超大国が核兵器を持ち合うことでバランスを保つという仕組み自体がそもそも砂上の楼閣に過ぎないことに気づかされます。

もちろん、核兵器を保有している国に対して戦争を仕掛け、追い詰めれば、核兵器が使われかねず、そうなると軽々に戦争は仕掛けられないという意味で、ある種の「抑止力」はあるといえなくはありません。

しかしながら、プーチン大統領やその取り巻き連中からは、「思ったとおりに事態が進まないなら核兵器を使うことも辞さない」といった趣旨の発言がしばしば繰り返されており、それは抑止力とは明らかに次元を異にするものです。

つまり、それこそが核兵器を保有する国にとっての本音であり、核兵器を国家が保有することの恐るべき本質といえます。

間違いなく、核兵器保有の最も危険な本質は、抑止力などではなく、「威嚇力」と表現されるべきなのです。

「核抑止力」と聞くと、戦争を未然に防ぐようなニュアンスですが、「核威嚇力」(言うことを聞かなければ核兵器を使うぞ)となれば、破滅の淵で脅しをかけているに等しく、詰まるところ、「核抑止力」という用語も、核兵器保有の本当の意味をオブラートで覆い隠しているようなものです。

私が、ここのところで繰り広げられる論争を見聞きしていて非常に危惧を感じるのは、この核兵器保有の本質を見誤った、あるいは、その本質にあえて触れないで、核兵器保有の必要性までもがもっともらしく語られていることであり、また、そうやって一面的なとらえ方で危機を煽るような論調を目にした人たちが短絡的に核兵器保有を肯定してしまうのではないかということです。

 

振り返ってみても、プーチン大統領は、2014年にクリミア半島を略奪した時にも核兵器の使用に言及しており、結局、その時点でロシアはクリミア半島を支配下に治め、今に至っています。

この時、いざとなれば核兵器を使うと言い放つプーチン大統領の強硬姿勢を前に、アメリカやドイツ、日本を含む西側諸国はクリミア半島の侵略に目を瞑ったばかりか、あろうことか、その後はプーチン大統領に尻尾を振って、先を競うようにロシアとの経済交流を深めていきました。

プーチン大統領にしてみれば、核の威嚇力をちらつかせることで、侵略を既成事実化し、自国の権益を拡大することができたわけで、大いに自信を深めたに違いありません。

今回、プーチン大統領がウクライナ侵攻に踏み切ったのは、これまでの西側諸国の腰砕けの姿勢を見て、ウクライナを侵略しても、前回と同じく侵略を既成事実化できると踏んだからでしょう。

突き詰めて考えれば、核兵器は、自国を守るためのものではなく、その脅威を見せつけて、自国、もっと端的にいえば、国家権力を握る一部の人たちにとっての利益、エゴを実現するための最も強大かつ非人道的な手段にほかなりません。

そして、権力者にそのような悪魔の誘惑をもたらしてしまう恐ろしさこそが核兵器の本性ともいえるでしょう。

 

私は広島で生まれ育った被爆二世であり、被爆者の訴訟にも関わってきました。

核の抑止力が幻想にすぎないことは、いかにして原爆が作られ、なぜ広島、長崎に落とされたかといった歴史的経緯からも明らかだというのが私のずっと変わらない認識でしたし、今もそうです。

広島、長崎に原爆が投下されて以降、核兵器は、それを開発し、保有する国々にとって、国家間のパワーゲームにおける優位性を保持するための最も強力なツールとなりました。

そうである以上、イランであれ、北朝鮮であれ、核兵器開発を軽々に断念することはありえず、このままだとそうした国はさらに増えて行き、国際的な緊張は今後、より一層高まり続けることになるでしょう。

 

核兵器が、国家間のパワーゲームのキーアイテムになっているのを見ていると、もしかしたら、人類に残された時間はそう多くないのかもしれないとさえ感じます。

他国を威嚇する力こそが核兵器の本質だということが明らかになった以上、私たち人類が地球上で存在し続けるためには、この悪魔の連鎖を断ち切るほかないのです。

まずは、核兵器を減らし、万が一にも暴発することがないような仕組みを如何にして構築するかについて、国境を越え、思想信条の違いを超えて、人類の叡智を注がなくてはなりません。

そのためには唯一の被爆国である日本国内でも、そのように考え、行動し、世界に発信することができるような政治家や表現者が、特に若い世代から多く出て来てほしいと心から強く願って止みません。

2022年11月29日 > トピックス, 日々雑感

事件日記~成年後見と医療同意

葵法律事務所

成年後見人として活動していると、時に重大な判断を迫られることがあります。
その中でも、非常に悩ましいのは、医療機関から、手術などの侵襲的な医療行為をするにあたって、あるいは延命医療を行うかどうかといった局面で同意を求められた場合の対応です。
成年後見人の主たる仕事は、財産管理と身上介護ですが、いったん成年後見人に就任すると、時に家族と変わらないくらい長くお付き合いすることになりますので、当然、医療機関の受診が必要となることもまた珍しいことではありません。
もちろん、身近なご親族がおられる場合は、そちらにお話が行くので、診療契約といった手続きを除いて成年後見人の出番はほとんどないのですが、そのような身近な親族がおられない、あるいは事情があって協力が得にくい状況では、具体的な医療行為や延命治療の要否について成年後見人に連絡が来て同意を求められることがあるわけです。
今日は、そのことについて述べてみます。

この問題に関する実務における基本的な考え方は、「成年後見人は本人が受ける医療行為について同意するか否かを判断する立場にはない」というものです。
確かに、私たち弁護士は、職業として被後見人と接しており、元々、本人のことをよく知らないことが多く、もちろん近親者ではないわけですから、そのような立場の人間が、本人の尊厳に関わる、手術をするか否か、延命医療を拒否するか否かについて、軽々に判断できないことはそのとおりでしょう。
ただ、現実的には、ことはそんなに単純ではなく、時に避けて通れない問題になります。
医療行為に関するデリケートな選択をしなくてはならない状況は様々であり、緊急性があったり、親族に十分な判断力がないこともあり、また非協力的であったりなどいろいろですので、命にかかわる問題で、たらいまわしになって判断が遅れてしまいかねないことも少なからずあるからです。

この問題の本質は、なぜ医療機関が医療行為、医療の方針について同意を求めてくるのか、逆に言えば、医療同意の法的な意味をどう捉えるかというところにあります。
一つには、インフォームドコンセントの問題で、医療行為について患者に対するきちんとした説明と同意が必要とされる、つまり患者の自己決定権が重視されなくてはならないということがあるでしょう。
一方で、医療側の刑事責任の存否に関わる問題もあります。
医療行為は大なり小なり侵襲を伴うので、患者の同意を得ないでそれを行えば、刑事責任が生じる可能性があり、本人や家族の同意が得られれば、正当な行為として違法性が阻却され、刑事責任を問われないことになるとされており、そのため、医療側としては、患者側の同意に拘らざるを得ないという事情があります。
ただ、よくよく考えてみると、たとえば、本人が意識不明でかつ緊急性が高い場合には同意なんて得られないわけで、そうした場合には、「推定的承諾」、つまり、本人に意識があれば医療行為に承諾したであろうということで、医療行為に踏み切ることがありますが、その場合は、常識的な医療行為であれば、正当なものと評価されるのです。
一方、身近な親族がいたとしても、本人ではないわけですから、厳密に考えれば、第三者による承諾でもって、患者の自己決定権が充足されたとか、違法性が阻却されると言い切れるのだろうかという疑問もあります。

詰まるところ、医療同意の問題については、限界的な状況を想定してみると、何が正解なのか判然としませんし、成年後見の場合だけではなく、元々の位置づけからして曖昧なところがあります。
したがって、医療同意のあり方については、成年後見の実務的な問題ということのみならず、もっと広く、患者が時機を逸することなく適切な医療行為を受けることと、医療者の刑事的な免責の問題を、いかにして整合させていくかが議論されなくてはならないと思います。

とはいえ、成年後見人であれ、親族や施設の責任者であれ、そうした局面に置かれることがある以上、本人が適切な医療を時機を逸することなく受けられるようにするためには、何らかの方策が必要に違いありません。
以前、医療と人権部会の責任者を勤めていた時に、日弁連から単位会(弁護士会)の意見の取りまとめを行うようにと言われたことがあったのですが、第三者委員会のような審査機関でのチェックを行うような方策が議論されていました。
もちろん、時間的な猶予がない場合には、事後的なチェックとなりますが、それはそれで意味のあることと思います。
ただ、私個人としてはこう考えています。
示された医療行為を行うか否かについては、緊急性が高い場合で、身近な親族の判断が仰げない場合に限って、推定的承諾の法理があるわけですから、成年後見人と医師が協議して判断することは現実的には容認されるべきと思います。
そもそも、インフォームドコンセントの法理は、患者本人が適切な医療を受けられるようにするためのもので、それに形式的に拘って、適切な医療の機会が奪われるほうが本末転倒だからです。
もっとも、成年後見人がそのような判断をするためには、医療同意について、成年後見人になる人に対してきちんとした研修を実施するなどして、成年後見人が医療同意をすることの意味、同意するか否かの判断基準について共通の理解、問題意識を持てるようにしておくことが前提として必要だと思います。

2022年11月28日 > トピックス, 事件日記

事件日記~ある成年後見事件で起きたこと

葵法律事務所

当事務所の弁護士にとっての主要な業務の一つといえるのが成年後見です。
高齢となられた方の成年後見もありますし、様々な障害を抱えた方の成年後見もあります。
成年後見人の役目はケースバイケースですが、最近、ある成年後見事件で起きたことをご報告します。

知的障害を抱えた息子さんと一緒に暮らしておられたお母さんが昨年6月に急に亡くなられ、成年後見人を引き受けたのですが、周囲の手厚いサポートによって、去年の秋口までに生活の本拠となるグループホームで共同生活支援を受けられることとなり、本人も徐々にそこでの生活に慣れて来てくれて胸を撫で下ろしていたところにとんでもない事態が起きました。
まず、今年9月に、本人をサポートしてくださっているケースワーカーの方から、緊急に会議を行いたいので時間を取ってほしいとの連絡がありました。
何事かと思って駆け付けたところ、本人が暮らすグループホームを運営する法人が、急に施設の運営方針を変更すると連絡してきて、困っているといわれました。
その内容は、確かにひどいもので、これまでは、施設の職員がグループホームに寝泊まりし、食事の世話や、作業所に行く際のバス停までの送り迎え、病院の付き添いなどを行っていたのをすべてやめ、「食事はレトルトのものを運んで来るだけ」「職員は、1日に1回見回りに来るだけ」「送り迎え、付き添いなどはやらない」「何か困ったことがあった時の連絡は、備えおいた携帯電話で本人が行う」といったもので、本人の障害レベルからすると、作業所に行くこともできないし、日常生活の中で不測の事態が起きた時に対処できなくなってしまう危険が非常に高いため、とてもそのままにしておけないということになりました。
また、雇用の関係でも、直接、本人の面倒を見てくださった職員の方々がみんな会社を辞めざるを得なくなるということで、きわめて安易なコストカットが行われているという印象を強く持ちました。

その話が出て来てから、このままでは本人が安心して暮らせないということで、施設の職員、作業所の担当者、市の職員、ケースワーカーといった大勢の方々が何度も集まってくださり、善後策について協議が繰り返されました。
結論的には、この事業者には任せられないということになり、早急に別の施設を探そうということになったのですが、本人にしてみると、やっと慣れて落ち着いて暮らせるようになったばかりですから、なかなか他の施設への転居にうんと言ってもらえません。
もちろん、別の施設を探すことも決して容易ではなく、どうしても空白が生じるため、その期間中、どうすれば本人の支援に漏れがないようにできるかといったことも並行して考えなければならず、本当に大変だったのですが、ケースワーカーや市の職員の人たちが制度の制約の中で最大限の工夫を重ねつつ、本人にも納得してもらって、なんとか共同生活支援の枠組みを維持してサポートを続けていけるようにしてくださいました。
尽力していただいた関係各位には心から感謝申し上げたいと思います。
あとは、本人が新しい環境に一刻も早く慣れて、落ち着いて生活できるようになればと心から願っています。

しかし、返す返すも腹立たしいのは、利用者のことを微塵も考えていないとしか思えない事業者の対応です。
先月中に、今回のような異常な対応を非難する書面を送りましたが、行政にも報告して、このような安易な福祉の切り捨てのようなことが起きないようにしていかなければならないと考えています。
また、この国では、事業者の下で働く被用者も含め、弱い立場の権利が簡単に踏みにじられてしまっている、それが日常的に起きているのが偽らざる現実です。
福祉が簡単に切り捨てられてしまうような国に明るい未来なんてないし、そうならないために何をすべきかを一人一人の市民、国民がもっと真剣に考えなくてはいけないと強く思います。

2022年11月07日 > トピックス, 事件日記

日々雑感~救急搬送の顛末

弁護士 折本 和司

先日、胸の中心に向けて絞るような痛みが繰り返し訪れて、収まらなくなり、もしかしたら心筋梗塞かもしれないということで、生まれて2度目なのですが、救急車にお世話になりました。

病院では、問診の後、心電図、レントゲン、そして血液検査が実施され、そのまま救急センターのベッドで横になっていました。

その後しばらくして看護師さんが、「血液検査の結果が出ました」と医師に電話しているのが聞こえたのですが、待てど暮らせど医師は来ません。

そして、1時間近く経った頃でしょうか、医師がやって来たのですが、来るなり、「血液検査の結果、心筋梗塞ではありません」と淡々と説明を始めたのです。

こちらは、カテーテル検査をやることになるだろうとある程度覚悟をしていたので、それを聴いた瞬間は、ホッとしたというか、逆にちょっと拍子抜けした感じでした。

心筋損傷があると、心筋からCK(クレアチンキナーゼ)―MBという酵素が血中に流れ出るのと、トロポニン(i高感度)なんていう検査項目が、心筋損傷後短時間でも異常値となることを仕事柄知識として知っていたので、(ちょっと知ったかぶって)訊いてみましたが、「その両方を検査項目に加えて検査した結果なので、大丈夫」とのことでした。

 

ただ、医師は、心筋梗塞ではないと説明した後、「なので、帰って結構です」と言ったのです。

私は驚いて、「えっ?まだ胸痛が続いているんですが。原因は調べてもらえないんですか?」と尋ねたのですが、「それは、平日、別の病院に行ってください」とにべもなく言われたのです。

一瞬、タクシーを停めて「近いところまで乗せて」と言って、乗車拒否をされたような気分になり、呆然としてしまったのですが、医師の対応は変わらず、仕方なく、胸の痛みが収まらない中、病院を後にしました。

 

その日、胸の痛みは一向に治まりません。

激痛というほどではありませんが、胸の真ん中あたりでギューッと絞るような痛みが波状的に続き、特に仰向けになると痛みが強く、眠ることすらできません。

そこでいつもお世話になっている友人の医師に連絡をしたところ、翌朝病院に来るようにと言ってもらえました。

ほとんど眠れないまま、朝を迎え、ちょっと遠方なのですが、病院に行き、診察を受けたところ、胸痛の原因としては胃の方から来ている可能性もあるということで、胃カメラをやってみようという話になったのです。

実は、胃カメラは生まれて初めてだったのですが、結構、苦しいものですね。

それはともかく、胃カメラを入れてからしばらくして、胃カメラを操作する医師が、「胃は異常ありませんね」と診断結果を説明してくれたのです。

一瞬、ホッとしつつ、では胸痛の原因は一体何なのだろう?と思っていたら、引き続いて、胃カメラを操作する医師が、「でもアニサキスがいますので、取っときましょう」と言ったのです。

今年、アニサキスが多いというニュースは知っていましたが、まさか自分がそんな目に遭うとは思ってなかったので、びっくりです。

ところが、「取れました」と言った後に、さらに衝撃の一言が待っていました。

「食道にもいますので、取っときましょう」

「えっ?食道?まじ?」

 

そう。

胸痛の原因は、これだったのです。

食道の壁に食いついたアニサキス!

道理で胸の真ん中あたりが痛かったわけです。

そういえば、前の日の夜、居酒屋で刺身の盛り合わせを食べました。

その時食べた魚の身に潜んでいたわけです。

 

というわけで、周りの方々にもご心配をおかけしましたが、皆様もどうかお気を付けください。

アニサキス、恐るべし!です。

ちなみに、あとで友人の医師に報告をしたら、笑いながら、「俺はアニサキスが5匹いたこともあるよ」と笑っていました。

兵(ツワモノ)です!

2022年08月30日 > トピックス, 日々雑感

医療事件日記~医療事故の院内調査報告書の問題点について

葵法律事務所

医療事故の中でも、死亡事故に関しては、平成27年に始まった医療事故調査支援センター(医療事故調)による調査の手続が利用できることになっています。
ただ、難点ともいえるのですが、手順としては、いきなり医療事故調による調査となるわけではなく、まずは事故を起こした医療機関内での調査(院内調査)が先行されることになります。
この制度が新たに立ち上がる時、死亡事故に限定することもさることながら、調査の対象とするか否かは医療機関側の判断に委ねられ、さらに先行される院内調査について、果たして調査の公正性が担保されるのかといったあたりも議論になったところです(他にも問題点はいろいろと指摘されています)。
実際、過去に当事務所で経験した症例でも、院内調査がかなり恣意的で不公正な内容だったということもありました。
ところが、また最近になって当事務所で相談を受けた症例で、以前扱ったものと非常によく似た内容の院内調査報告書を読みましたので、新たな疑問を感じたこともあり、あらためて、院内調査報告の問題性について述べたいと思います。

今回の症例は、コロナ感染で入院した高齢の女性に対し、中心静脈カテーテル(CV)挿入を試みた際に、誤って主要動脈を損傷し、対処が遅れて亡くなられたというものでした。
ところが、病院側は、当初、死因について、「コロナ感染による感染症の増悪」によるものと説明し、死亡診断書にもそのように記載されたのです(典型的な医療事故なのに、都合よくコロナ関連死とされることにも驚きますし、逆に、コロナ関連死とされる中には、医療過誤が結構紛れ込んでいるのではないかとの疑念さえ湧きますが)。
しかし、遺族の希望による画像診断を経て、解剖が実施され、「出血性ショック」による死亡であることが明らかとなり、院内調査が実施されることになったのです。
ご遺族は、その結果を記した院内報告書を手にして当事務所に来られたのですが、内容を一読して、奇妙な既視感(デジャブ)を覚えたのです。
目にしたその報告書は、形式的にも、また論旨にしても、以前当事務所で扱った別件の院内調査報告書と酷似していました。

何よりも驚いたのは、病院側が検討事項を自ら設定して、それに応じた記述がなされているのですが、この検討事項なるものが、「説明の妥当性」とか「CV挿入の妥当性」といった記載ばかりで、肝心かなめの「事故がなぜ起きたのか」という観点からの検証に向けた設問になっていないことでした。
そのため、出血性ショックで亡くなったこと自体の記載はあるものの、なぜ主要血管を損傷したのかの具体的な検証の記述もなく、また、血管損傷が即死亡につながるわけではありませんから、血管損傷後の経過を追って患者を救命できなかった要因についての検証の記述もなかったのです。
これでは一体何のための調査なのか、意味不明というほかありません。
そして、私たちが二重に驚いたのは、設定された検討事項の内容が、前に目にした報告書と瓜二つだったことです。
前に目にした報告書でも、説明の妥当性を複数回問うような内容でしたし、やはり「事故がなぜ起きたのか」「なぜ死亡という結果が生じたのか」という観点からの設問はなく、設問がそのような設定になっているため、それに対する具体的な記述も、やはり事故の真相からはほど遠い内容でしたが、ここまで似通っているというのは偶然の一致とは考えにくいのではないかと感じたのです。

医療事故調査制度が立ち上がる時に、大きな議論となったのは、医療事故調査が医療側の責任追及につながるものとなっていいかどうかという点でしたが、まさに、この院内調査報告書の曖昧さは、医療側の責任追及につながるような記載を極力避けようとしているように思えます。
しかし、医療事故の中には、間違いなく、不適切な医療行為によって起きた、それさえなければ死亡という結果を避けられたはずの症例が存在するわけで、事故を教訓にし、再発防止につなげるという制度の目的からすれば、そのような場合に医療行為の問題点を指摘しない報告書は有害無益といっても過言ではありません。
調査報告書がその点を明確に指摘する内容であることは同種事故を防ぐためには必要不可欠であり、その結果が、時に責任追及につながることがあるとしても、やむを得ないことだし、逆にそれが明確に記載されることこそが、医療に対する信頼を高めることになるのではないでしょうか。

私たちが目にした2つの報告書は、単なる偶然の一致とは考えにくいほど類似していましたが、医療事故調がそのような指導をしているのか、あるいは医療機関同士が情報交換をしてそのような結果となったのかはわかりません。
実際、この二つの医療機関はまったく無関係で、距離的にも1000キロは離れた医療機関ですから、どこかに院内調査対策マニュアルのようなものが存在するのかもしれないと思ったりもします。
ただ、いずれにしても、医療事故調査制度は、ある程度の運用期間を経たところですので、当初から指摘された問題点の検証も含め、そろそろ見直されるべき時期に来ているのではないでしょうか。
この制度の下で、すでに医療領域ごとに症例分析などがなされており、それはそれで非常に有意義だと感じるところもありますが(実際、CV挿入の事故に関する分析がなされたものも読みましたが、非常に勉強になる内容でした)、不備については改善して、より実効性のある制度にブラッシュアップして行くべきだと思います。

2022年08月29日 > トピックス, 医療事件日記
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