事務所トピックス

日々雑感~コロナ危機のどさくさに紛れてでたらめな法改正を強行しようとした安倍政権の亡国的愚行に強く抗議しますPART1

弁護士 折本 和司

コロナ危機に対して、後手後手で不十分な対応を重ね、国内外で批判を浴びている安倍政権が、緊急性の高いコロナ危機への対応をおろそかにしたまま、どさくさ紛れにでたらめな法改正を強行しようとしました。

その内の一つは、検察官の定年延長法案ですが、ほかにも種苗法の改悪という問題があります。

それぞれ、看過し難い重大な問題を含んでおり、多くの反対意見があるにもかかわらず、また、今は何より、多くの国民の命や健康、そして経済的基盤が危殆に瀕しているといっても過言ではなく、機敏できめ細やかな対応が必須であるコロナ危機の真っただ中であるにもかかわらず、よりによってこのタイミングでどさくさ紛れに国会に上程し、成立を強行しようとしたのです。

このタイミングということ自体、国民の健康や生活を守る覚悟がないのだという意味でとんでもないことですが、それぞれの法案が、不要不急どころか、有害で亡国的なものだということがさらに大問題なわけです。

というわけで、今回は、この問題を取り上げてみます。

 

まず、検察官の定年延長法案ですが、この法改正の目的が、時に国家の権力者の不正をも断罪することができる検察という組織を時の為政者が牛耳るためにほかならないことは、この法改正の議論の経緯を見れば明らかです。

とりあえず、今国会での成立は見送られましたが、秋以降の成立を目論んでいる節もありますし、的外れな議論がされていると感じるところもありますので、経緯を振り返りつつ、この問題の本質を考えてみたいと思います。

この法案が出てくるきっかけは、今年の1月末の時点で、安倍政権が、「検察庁の業務遂行の必要性」を理由に、63歳を迎える東京高検検事長の黒川弘務氏の定年を半年延長する閣議決定をしたことにあります。

現在の検察トップである稲田伸夫検事総長は、今年の7月に交代時期を迎えるため、黒川氏の定年が8月初めまで延長されれば、稲田検事総長の後釜に据えることが可能になるので、そのための閣議決定ではないかとの疑念が抱かれることになりました。

そもそも、検察庁法は定年を63歳と定めており、しかも同法には定年延長の規定はないので、その点を指摘されると、安倍政権側は、定年延長の根拠は国家公務員法であると説明します。

しかし、直後、安倍政権側の説明は、かつての政府答弁と矛盾することが明らかとなります。

1981年に当時の政府が、「国家公務員法の定年延長は検察官に適用しない」と国会で答弁しており、人事院も、この政府答弁が現在も生きていることを明言したのです。

つまり、黒川氏の定年を半年延長するとの閣議決定自体、法律違反の疑いが強くなったのです。

これについて、森雅子法相は、この法解釈を変更したと強弁し、書面の存在について確認を求められると、口頭で法解釈を変更したとまで言い張り、国会の議論は当然ながら紛糾することになります。

そうした経緯の後、突如として出て来たのが、国家公務員法の改正とくっつけた形での検察官の定年延長法案だったわけで、しかも、安倍政権は、自身がコロナ危機への対応で右往左往しているその真っただ中であるにもかかわらず、唐突に国会審議にかけ、強行採決を目論んだのです。

 

この法案について安倍政権を擁護する意見もありますが、およそ中立公正な視点からの意見とはいえませんし、大局観を欠くものであることは明らかです。

何よりも、検察官は、裁判官と同様、国家公務員であることに変わりがないにもかかわらず、なぜ他の国家公務員と同じ扱いがなされていないのかという視点が肝心なことなのです。

検察庁法が、裁判所法と同様、国家公務員法とは別に成立し、いわゆる一般法と特別法の関係にあるのは、検察が司法の一翼を担う機関であるからにほかなりません。

かつてトマス・ジェファーソンも述べたとおり、権力が常に乱用され、国民の利益を大きく損ねることがある以上、権力の乱用を監視し、制裁を加える権限を司法が有することは、三権分立の鼎であり、司法は、立法、行政から独立した存在でなくてはなりません。

そのためには、検察の人事権が、時の政治権力に握られ、検察のトップが政治権力の言いなりになってしまうという仕組みに変えてしまうことは、三権分立の実質的崩壊といっても過言ではありません。

裁判所は、逮捕状を出すこともできますし、起訴された被告人を裁くことはできますが、それは捜査機関が令状を請求し、検察官が起訴をすることが前提であり、裁判所自体は受け身の組織なのです。

ということは、検察が、政治権力の言いなりになって、重大な汚職や公職選挙法違反などを摘発せず、起訴もしないということであれば、裁判所の出番はなく、権力者はやりたい放題になってしまいます。

安倍政権が、ここまで露骨なえこひいき人事を強行し、このタイミングで法改正にまで踏み込んだことがいかに危険なことは明々白々です。

この点、検察の独善、横暴や、いわゆる人質司法を問題にし、安倍政権側のやり方を擁護する意見もありますが、それは問題の本質を理解しないか、意図的に論点をすり替えようとするもので、明らかに間違っています。

現在の検察実務にいろいろと問題があることは、刑事事件を扱っている私たち弁護士が常々感じていることでもありますし、事務所のホームページなどで取り上げたこともありますが、検察が政治権力と一線を画することを人事権の面で制度的に保障することとは別の問題であり、別の方法で解決すべきことだからです。

たとえば、取り調べの可視化や弁護士の立ち会いを認めるなど、自白強要を抑制する方法はいくらでもありますし、人質司法といわれる身柄拘束のあり方についても、特に裁判所の実務を見直すことで変えて行くことは可能ですし、そうあるべきです。

民主党政権時代に、検察側は取り調べの可視化に抵抗していますが、検察の独善、横暴による人権侵害を防ぐための制度については、国会できちんと議論を尽くして進めて行けばよいのです。

しかし、今回の検察庁法改正は、まったく問題性が異なります。

時の政治権力の言いなりになるような検察がいかに危険なことか、それを実現しようとした、腐敗した安倍政権の目論見が如何に亡国的な愚行であるかは明らかです。

ただ、それに対して多くの国民が声を上げ、ひとまずということではありますが、この亡国的愚行を阻止できたことは本当に意味のあることだと思います。

 

関連しますが、この問題で、小泉今日子さん、浅野忠信さんら多くの芸能人の方々が声を上げたことを批判する人もいますが、とんでもないことです。

一人一人の国民が、政府の横暴に対して声を上げることは当然の権利ですが、芸能人の方々に対してとても失礼な批判であるとも思います。

実際、芸能界に身を置かれる人たちは、テレビを含むマスコミ、スポンサー、芸能プロダクション、広告代理店などの力関係に翻弄され、芸能プロダクションとの契約関係でも不利な立場に置かれる等、いろいろな意味で世の中の不合理、不公正と向き合わざるを得なくなることが多いはずであり、それゆえ、社会の仕組みや政治のあり方について関心を強く持つようになる比率は他の領域に属する方よりも必然的に高くなってしかるべきだからです。

また、その一方、芸能人が時の政府の方針に反対するような政治的意見を述べるということは、テレビ、スポンサー、芸能プロダクション、広告代理店などの不興を買う危険があり、また人気商売でもあるため、視聴者からの心無いバッシングを受ける危険もあるわけで(最近は特にインターネットでの匿名のバッシングがエスカレートするという恐ろしさもあります)、下手をすると、あっという間に仕事や居場所を失いかねないリスクと背中合わせなわけですから、種苗法改正に疑義を唱えた柴咲コウさんや、芸能人の人権、芸能文化を守るために声明を出された西田敏行さんらも含め、今回のコロナ危機以降に、芸能人の人たちが公的に声を上げるということは、本当に勇気の要ることだと思います。

ですので、今回の芸能人の方々の勇気ある行動に対しては、まず心より敬意を払うべきだと思いますし、仮に個々の意見については違った考えを持っておられるとしても、私たち視聴者は、声を上げた芸能人の方々が、今後居場所を失うことがないよう、しっかり応援してあげなければいけないと強く思うのです。

 

最後に、今回、いったんは強行裁決を断念しましたが、安倍政権は、検察官の人事権を牛耳るための法案成立をあきらめていないようです。

しかし、国民の権利を守る最後の砦である司法の崩壊を招くことが確実な悪法の制定を決して許してはいけません。

あと、そもそも、定年延長ができないのに、定年延長の閣議決定をしてしまったくらいですから、より巧妙な形で実質的に検察の人事に手を突っ込んで来ることも十分にあり得ることです。

ですので、そうした脱法的な手法で司法を骨抜きにしようという企みについても、引き続き監視し、声を上げなくてはいけないと思います。

長くなりましたので、種苗法の改悪の問題はPART2で取り上げます。

 

2020年05月23日 > トピックス, 日々雑感

事件日記~ある刑事事件における勾留請求却下決定

葵法律事務所

それまで平穏な日々を送っていたのに、ある日突然刑事事件の被疑者になってしまうということは、実際、誰にでも起き得ることです。
弁護士なんて因果な商売をやっているとつくづくそう思うのです。
実際、最近当事務所で扱ったある刑事事件はまさにそのような事件であり、正直なぜこれが刑事事件になり、身柄拘束にまで至ったのかということも疑問ですし、捜査のプロセスにおける捜査機関の手法にも非常に問題があると感じました。
その事件では、努力の甲斐あって勾留請求が却下され、被疑者は早期に自由の身となれたのですが、時間的制約もある中での弁護活動は非常に難儀なものです。
というわけで、捜査のあり方に警鐘を鳴らす意味も含め。ここで取り上げてみます。

事件は、男女間のトラブルがきっかけで起きたものです。
最近親しくなった女性から、いきなり自宅に呼びつけるような連絡が入り、被疑者となる男性が女性の自宅に行ったのです。
ここからは双方の言い分が食い違うので、いったん端折りますが、男女は口論からもみ合いになり、男性が女性の首を絞めてけがをさせたということで刑事事件になります。
男性は後日自宅を訪れた警察官により傷害罪でいきなり逮捕されます。
その日、すぐに連絡が入り、接見に行き、男性の言い分を確認しました。
男性によると、女性宅に呼びつけられて自宅に行ったところ、酔っぱらっていた女性に絡まれ、興奮した女性が平手で暴力を振るって来たそうです。
そこから女性が今度は手拳で殴り掛かって来たので、さすがにそれを制止しようとして体を抑えたりしたところ、女性はさらに興奮し、足で蹴りつけるなどしたとのことでした。
そこからもみあいになって、倒れこんだものの、女性がさらに暴行しようとしたので、やめさせようとして首のあたりを抑えようとしたものの、女性がますます激昂し、怖くなったのでそのまま逃げ帰った、これが被疑者である男性側の言い分でした。
刑事事件になってしまっている以上、女性の言い分はまったく逆なのでしょうが、事件は室内で起きたものであり、直接その場面を目撃した第三者はいませんので、おそらく、女性の言い分だけでいきなり警察に逮捕されたことになります。
勾留請求が迫っているので、すぐに検察官に連絡を取り、面談しました。
「双方の言い分しかなく、正当防衛の可能性もある事件だし、男性は横浜市内で真面目に商売をしている人物なのだから、少なくとも勾留の理由、必要性はないはずだ」という意見を述べ、勾留請求を行わないよう求めました。
さらに、その日は、東京で仕事があったので、意見書作成の準備の時間的余裕が必要なため、念のためと思い、「もし勾留請求に踏み切るなら、裁判所に勾留請求の却下を求めたいので、勾留請求すると決めた時点で連絡してほしい」と頼んだところ、検察官は「連絡します」と答えていました。
しかし、午後4時を過ぎても検察官から連絡がないため、こちらから連絡をしたところ、担当事務官から、すでに勾留請求をしたとだけ伝えられました。
検察官に代わってもらい、「約束違反ではないか」と抗議しましたが、検察官からは「そんな約束はしていない」と開き直られてしまいました。
日々の業務の中では、このように足元を掬われることも時折ありますが、勾留がついてしまうと少なくとも10日間近くは身柄拘束されてしまうわけで、被疑者にとっては仕事上も非常なダメージがありますから、検察官のアンフェアな対応に本当に怒り心頭でした。
ただ、こうなった以上、裁判官との交渉にかけるしかないので、すぐ裁判所に電話し、面接を申し入れ、並行して意見書を作成しました。
面接では、裁判官に事案に関する被疑者の言い分や被疑者の抱えている事情を伝え、勾留請求を却下してもらうよう口頭でも意見を述べ、その日急いで準備した親族の身元引受書を提出しました。
その日の夜になって裁判所から勾留請求却下の連絡が入り、午後8時頃でしたが、被疑者は釈放され、身元引受人とともに無事自宅に帰ることができたのです。

早期に身柄拘束を解き、自由にしてあげることは、刑事事件を担当する弁護士にとっては非常に重要な役割の一つですが、実際、身柄拘束による被疑者の社会的不利益は非常に重大なものがあります。
被疑者段階の勾留は原則として10日間であり、さらに通常事件ではもう10日間延長ができますので、逮捕からいうと3週間以上にも及ぶことになりますし、大体が予想できていない事態ですので、この身柄拘束が社会的な意味で致命傷となることも決して稀なことではありません。
また、逮捕から勾留請求までにはわずかな時間しかないので、その間に勾留をさせないようにするための弁護活動を行うことはそう容易なことではなく、弁護士にとっても相当な瞬発力を求められます(当事務所の場合、そのような状況になれば、複数弁護士で対応することもあります)。

逆に、捜査の現状を見ると、逮捕にせよ、勾留にせよ、お役所におけるルーティーンというか、流れ作業のように手続が進められているのではないかと感じることも少なくありません。
それは、決して、捜査機関の問題のみならず、裁判所においてもしかりで、実質的に見て勾留の理由があるのか、また、勾留によって身柄拘束をする必要性があるのかを、事案ごとに裁判所がきちんとチェックしてくれていないのではないかと思うこともあります。
すべての事件で弁護士が適切かつ機を逸することなく対応できるわけでもありませんが、検討されるべき事情を裁判所に気づいてもらうという意味で弁護士の役割は大きいといえますし、弁護士が捜査機関の問題性を裁判所に知ってもらうことは、勾留制度が適切に運用されるという意味でも非常に重要なことだと思います。
とにかく、もし何らかのトラブルによって逮捕されることがあったら、いえ、もしかすると逮捕されるかもしれないという状況になったら、できるだけ早めに弁護士の助言を仰ぐことを強くお勧めします。
いったん強制捜査のレールに乗ってしまうと、そこから降りることは必ずしも容易なことではないからです。

2020年05月12日 > トピックス, 事件日記

事件日記~遺言作成にあたっていろいろと注意すべきこと

葵法律事務所

遺言は、遺言者の人生の集大成として、死後に自身の財産をどうしたいかを書面の形で残すものですが、死後のトラブルを避けるという意味合いもあるので、一定の財産を保有されていて、複数の推定相続人がおられる場合には、ぜひ作成を検討されるとよいと思います。
ただ、いざ遺言を作る段になったら、それぞれのご事情に応じて、いろいろと気をつけなくてはならないこともあります。
実際、良かれと思って作ったはずの遺言が、かえって、予期せぬ形で相続人間でトラブルのもととなったり、遺言者の本来の意思に沿った結果とならないといったことは決して珍しいことではありません。
というわけで、具体的な実例を踏まえつつ、いくつか注意点を指摘してみたいと思います。

まず、遺言を作るにあたっては、その時点におけるすべての財産を遺言の対象とするよう気を付ける必要があります。
しかし、自筆で作成したような場合には、例えば、不動産だけ、あるいはその時点に存在する特定の財産だけを遺言の対象としてしまうということがしばしばあります。
では、この場合、残りの財産、あるいは遺言作成より後に形成された財産の帰属はどうなるでしょうか。
これも基本的には遺言者の意思によって決まることになります。
ただ、その意思が遺言の中に明記されていればいいですが、それがはっきりしない場合は厄介です。
法的な表現でいうと、「持ち戻し免除の意思表示」があったか否かということになりますが、判例においては、それがなかったと評価されると、遺言の対象となっている財産を持ち戻しという方法で遺産に加えて計算することになり、仮にある相続人が遺言によって相続する遺産が自身の相続分にあたる額を上回ることになると、その相続人は残りの遺産については相続分を持たないと判断されることになるわけです。
しかし、実際のところ、それが遺言者の真意に沿うものか否かは何とも言えないところであり、判例の基準自体に合理性はあるものの、具体的なケースにおいては必ずしも本来の遺言者の意思に沿っていないこともあり得るところです。
いずれにしても、このような判例がいくつもあるということは、遺言の解釈を巡って死後に紛争が起きていることを意味しますので、それ自体、遺言者の望まない結果であるともいえるでしょう。
ですので、もし、遺言者が、残りの遺産の分け方について、何らかの希望を持っているなら、それも含めて遺言の中で明記しておくことが肝要なのです。

それとは違うケースですが、相続の順番が予期していたものと異なる場合、遺産の帰属がやはり遺言者の本来の意思とかけ離れた結果となることがあります。
たとえば、ある夫婦が続けて亡くなられるということは世上よく見られることですが、ある実例では、この順序の想定が不十分だったため、せっかく遺言を作成しておいたのに、非常に複雑な遺産処理が必要となり、特に、生前中にご夫婦が予期しておられなかったはずの、まったくお付き合いのなかった方までもが遺産分割協議の中に加わって来るという事態となりました。
その事件では、新たに登場した相続人の方が極めて常識的な方であったことから、最終的には早期に穏便に解決できたのですが、一歩間違えば、泥沼の数年がかりの紛争になりかねなかったわけです。
やはり遺言を作成するにあたっては、生じ得るあらゆる事態を想定しておくべきですし、時には遺言の中で細かく場合分けをするなどして、どのような事態となっても遺言者の意思が反映されるような内容にしておくことが肝要です。

あと、遺産分割を巡ってはいろいろと判例も出ておりますし、今回は特に触れませんが、形式的だけれど重要な要件もあり、方式によっていろいろな約束事もあるなど、注意すべきポイントがいろいろとありますので、遺言作成をお考えの方がおられましたら、早い段階で弁護士など専門家の助言を受けておかれるようお勧めいたします。

参考にしていただければ幸いです。

2020年05月11日 > トピックス, 事件日記

日々雑感~岡江久美子さんが亡くなられたことについて思うこと

弁護士 折本 和司

女優の岡江久美子さんが、コロナウイルスに感染して亡くなられました。

ドラマや、クイズ番組、朝のワイドショー等でずっと活躍されていて、明るく親しみやすいキャラクターで多くの方に愛された女優でもあり、先の志村けんさん同様、本当にとても残念でなりません。

しかし、岡江さんの亡くなられるまでの経緯を知るにつけ、この死は避けることができたのではないか、人災なのではないかという気がしてなりませんので、そのことについて書いてみたいと思います。

 

コロナ危機が表面化して以降、政府や厚労省は、医療崩壊を招きかねないなどとして、検査実施につき、実質的にも手続的にも要件のハードルを上げており、安倍首相自らが一日2万件の検査が可能と言っていたにもかかわらず、未だに一日数千件の実施にとどまっていますが、この政策は間違いだということは、このホームページでもずっと指摘してまいりましたので、過去の記事を読んでいただければと思います。

実際、この間、全国各地で院内感染によるクラスターの発生が確認されていますが、誰が感染者かわからない状態で、病院内を人がうろつけば院内感染が避けられないことは、ちょっと考えれば子供でもわかるような話であり、院内感染の広がりは、検査の実施が不徹底であったことの結果といっても過言ではありません。

何度も書いていますが、コロナウイルスは、インフルエンザよりも発症までの潜伏期間が長く、しかもその間に感染するリスクが高いという特徴を持っているので、検査を徹底して感染者の洗い出しをしない限り、感染の終息は容易に見込めず、その間に国民生活も疲弊、劣化してしまうことは避けられません。

政府も、ここに来てやっと検査のためのハードルとなっていた指針を変更すると言い出していますが、これまで検査が十分に実施できていなかった理由について、安倍首相も加藤厚労大臣もまるで他人事のような言い逃れをしており、呆れてものが言えません。

このたびの岡江さんの死も、一人一人の国民の命を軽視し続けた政府の誤った政策による犠牲であり、同様の犠牲者がほかにも大勢いるに違いないと感じていますが、そのことについて、医療事件における法的な視点に加え、「感染症のリスク」という医学的な視点も交えて指摘したいと思います。

 

まず、報道によりますと、岡江さんの場合、4月3日に発熱があり、その時点では、主治医から「自宅で4~5日様子を見るように」との指示を受けたので、その指示に従い、検査を受けることなく、自宅で静養していたところ、3日後の朝までに急激に症状が悪化し、病院に搬送され、検査で陽性反応が出て、人工呼吸器をつけるなどの治療を受けたものの、治療の甲斐なく帰らぬ人となられたということのようです。

この中で最も重要な情報は、岡江さんが乳癌を患っておられ、直前まで放射線治療を受けておられたという事実です。

もっとも、問題は放射線治療より癌そのものにあります。

一般的に、糖尿病や癌などの持病を持っておられる方は、医学的には「易感染症患者」に分類されます。

「易感染症患者」とは、その字のとおり、健常な人に比べて感染のリスクが高く、また感染した場合に重篤化するリスクが高いとされる患者です。

癌について述べますと、元々、人間の体内ではごく普通に癌細胞が生まれて来るのですが、それが癌の発症に結び付かないのは、白血球中のナチュラルキラー細胞(NK細胞)などの免疫系細胞が癌細胞を退治してくれているからです。

ところが、免疫系は複雑なバランスの上に成り立っていて、大まかにいうと、体内に存在し、免疫系が暴走しないようにバランスを取っている免疫抑制細胞が、癌細胞の増殖とともに増加し、免疫系細胞の活動を強く抑制して、癌細胞への攻撃をブロックするため、結果として癌細胞がさらに増殖するという機序が存するとされています。

つまり、癌患者の体内では、免疫抑制細胞が多く存在しているため、体内の免疫は十分に機能しない状態に陥っていることになるのです。

現在、私は、感染症に関する医療事故案件を複数抱えており、コロナ危機が起きる少し前に、国内で著名な感染症の専門医に鑑定意見書を作成していただいていたのですが、癌患者が易感染症患者に分類されることについて、「癌患者や糖尿病患者などの易感染症患者の場合は、感染症を起こしやすく、さらにいったん感染症になるとより重篤化しやすいということが基本的な医学的知見である」「それゆえ、易感染症患者については、感染症の発症、増悪につきより厳重な診察と感染症対応が必要である」と明確な指摘を受けています。

 

翻って、今回の岡江さんの場合を見てみると、詳細な事情は不明ながら、主治医がもし岡江さんの癌のことを知っていたのであれば、易感染症患者に該当する以上、何はともあれ、検査の実施と病院内における厳重な観察へとリードしてあげるべきであったと思うのですが、その時点のPCR検査実施の実態からすると、それは医師の落ち度というよりは、検査の実施を拒否しているに等しいほどの高いハードルを設けていた国の誤った方針が招いた結果といえるように思います。

つまり、順序が逆であり、易感染症患者に該当する患者については、仮に症状的には軽かったとしても、まずは検査を実施し、陽性か否かの判断をすべきなのです。

そこで陽性の結果が出た場合には(岡江さんの場合は経緯からして当然に陽性となったはずですが)、仮に、その時点の症状が比較的穏やかであったとしても、「感染症を起こしやすく、さらにいったん感染症になるとより重篤化しやすい」易感染性患者である以上、何を措いても、入院を指示し、しっかりと感染症対策を取らなくてはならないことは自明の理であり、それは決して結果論ではなく、上記の感染症に関する基本的知見を踏まえれば、当然の論理的帰結なのです。

もちろん、検査の結果が陽性であったとしても、「易感染症患者」に分類されるような持病を有しない人、呼吸器系に問題がない患者は自宅待機もしくは相応の施設内での観察でいいわけですが、その判断のスタートラインは検査の実施であるべきなのです。

とにかく、岡江さんの場合もそうですし、同様に検査さえ受けれずに自宅待機のまま亡くなられた易感染症患者に該当する人たちについては、国の誤った指針によって「入院して適切な治療を受ける機会を奪われた」ことになるわけです。

 

コロナ危機の克服について、様々な形の活動の自粛であるとかいった努力の意味を否定するつもりはありませんが(ただ、そのやり方については異論もありますが)、検査のハードルを無用に高くしておいて感染者の扱いについて曖昧な方針を頑なに維持し続ける今の政府や厚労省のやり方ではいつまで経っても感染が終息しないでしょうし、岡江さんのような犠牲者がこれからも増えて行くのではないかということが強く危惧されます。

現時点でも岡江さんのケースは氷山の一角にすぎず、本当なら死を避けられたはずの方が国の政策の誤りによって、すでに相当多数犠牲になっている可能性が高いのではないでしょうか。

もちろん、検査が速やかに実施されていれば確実に助けられたかについてはケースバイケースかもしれませんが、弁護士の立場から見ると、検査の実施に関する誤った指針を頑なに続けたことで適切な治療の機会を奪った国や自治体の国家賠償責任が問われてもおかしくない、そのような実例が少なからずあるのではないかと思います。

 

医療事件を扱っていると、単なるヒューマンエラーというよりは、その背景にある疲弊した医療現場の実態であるとか、さらに医療を巡る様々の環境的な制約であるとかに目を向けなくてはならないと痛感することがしばしばありますし、そのさらなる背景として、医療費削減に偏った国の誤った政策が根っこにあると感じることも少なくありません。

今回のコロナ危機においても、検査実施の不徹底にとどまらず、医療者の不足、集中治療室、人工呼吸器などの必要な設備の不足という事態の改善を図ることなく、また、保健所の役割を軽視され、減らし続けてきたことなど、国が、国民にとって最も重要なセーフティネットの一つである医療を軽んじて来たという背景があり、そのしわ寄せで、患者が適切な医療を受けられなくなってしまっていることを私たちは決して見過ごしてはいけないと思います。

岡江さんのような被害者をこれ以上増やさないために、まずは検査実施の徹底、そして、この機会にこそ、一人一人の国民が適切な医療を受けられるべく医療の仕組みを再構築し、医療者が患者のために医療に打ち込める環境が実現されることを強く願わずにはいられません。

日々雑感~コロナ危機を脱するために取るべき政策PART2

弁護士 折本 和司

前回の続きです。

コロナ危機は、実体経済、国民生活を大きく毀損していますが、それに対する政府の対応はこの点でも大きくずれまくっていて、根本的に間違っています。

布マスク配布などという対策が如何に弥縫的で的外れであるかはいわずもがなですし、この期に及んで、そのための業者の選定に怪しいところがあるなど、あきれるばかりですが、重要なことは、今起きている実体経済の毀損とそれによる国民生活への重大な影響をどうやって回避、あるいはダメージを和らげるかということです。

前にも述べたとおり、消費税をゼロにするというのは有効な政策のはずですが、それはひとまず措くとして、今まさに破綻の危機にある事業者、生活者をどうやって守るかという点に絞って述べておきます。

今になって、やっと賃料の補助のような話が出ていますが、遅すぎますし、不十分です。

コロナの影響が出始めて3ヶ月以上、そして、緊急事態宣言からもすでに1か月以上が経過しており、事業を営んでいる人々にとっては、賃料やローン、リース代その他の固定経費や税金等の支出は避けられず、体力的に持ちこたえられない事業者が次々と破綻に追い込まれつつあります。

政府は休業「要請」をしつつ、それに対する補償はしないという対応を取って来ましたが、実質的には「強制」に等しいわけですから、きちんとした補償が、賃料に限らず必要経費全般についてなされるべきですし、税金についても、猶予もしくは免除の政策が取られるべきです。

ただ、こうした固定経費の負担軽減という政策だけでは不十分です。

たとえば、破綻を避けるためには、大家との関係で、「賃料が払えなくても期限の利益を喪失しない」という政策も必要ですし、そうなると、賃料が受け取れなくてもローンを払わなければならない大家について、やはりローンの負担を軽減する政策も必要となります。

その先には金融機関の受ける不利益の問題もあるわけです。

つまり、援助の公平性という観点もありますし、影響が波及して行く場面を想定した総合的な補償が必要だという観点に基づく施策が必要であることはちょっと考えれば誰にでもわかることのはずです。

財務省の官僚が財政支出を渋っているということもあるかもしれませんが、長い目で見るべきです。

この危機を乗り切ってくれた事業者は税金を納めてくれるようになるはずですから、その方が、国、自治体にとってもありがたい結果となるはずだからです。

 

とにかく、コロナ危機については、「徳政令」と評価できるような総合的な政策が必要です。

たとえば、アルバイトができない大学生が大学を中退せざるを得なくなるのではないかということも言われていますので、成績とは無関係に、経済的な事情のみで給付されるような「特別奨学金」といった制度を検討するであるとか、国民生活のあらゆる面に対して特に必要な箇所を拾い上げて手当てすべきです(一人10万円の給付は、条件付きで世帯30万円という政策よりはましですが、目先のことしか考えない付け焼刃政策で費用をかける割に効果が低いことは目に見えています)。

もちろん、前にも述べた失業手当の給付要件の緩和、給付額の増額、期間延長などの政策も行うべきだし(失業手当の増額については今頃になってちょっと言いだしてますが)、さらに踏み込んでベーシックインカムの制度を構築するという方策だって、国民の先行き不安の解消のためには十分検討に値します。

それに比べ、今の政府の対応は、あまりに金融市場などに偏っていますが、実体経済の破綻を避けることこそが最優先なのだということを強く言いたいと思います。

何度も書いていますが、犬を撫でながらワイングラスを傾け、財界の裕福なお友達を優遇するような人物がトップとなり、国民生活を守ろうという気概もそれを実現する英知を絞り出そうという姿勢も感じられない今の政権では、コロナ危機を早期に乗り切る政策を打ち出せないに違いないというのが私の見方です。

とにかく、みんなで大きく声を上げなくてはならない時なのだと強く思います。

2020年05月08日 > トピックス, 日々雑感
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