事務所トピックス
葵法律事務所

医療事故が起きた後、医療側から「承諾書の中に記載された合併症であり、医療ミスではない」という説明がなされることがあります。
しかし、この説明は、厳密にいえば不正確でもあり、また、遺憾なことではありますが、時に医療側が意図的に、医療ミスであることを糊塗しようとして、このような説明を行うことも少なくありません。
今日は、そのことについて述べてみます。

そもそも、合併症という言葉は、やや多義的で、曖昧なところがあります。
特定の病気に関連して起きる疾病のことを合併症と呼ぶこともありますが、ここでは、医療過誤か否かの観点での分類ですので、手術や検査等を実施した後に、その関連で起きる疾病という意味で用います。
この定義を踏まえれば、合併症が医療過誤にあたるか否かは、合併症あるいはその後に続く悪い結果が医療者のミスによって発生したのか否かによって決まるのであって、承諾書の中に記載されていたか否かによって決まるわけではありません。
たとえば、開胸、開腹等の手術を実施した際に、主要血管を損傷して死亡に至ったという症例を想定してみてください。
血管の損傷やそれによる出血自体は、通常、承諾書の中に合併症として記載されることも多いのですが、この主要血管の損傷が医療者のミスによって生じた場合、あるいは、その後の対処に医療者のミスがあり、悪い結果が生じた場合は、血管の損傷やそれによる出血自体が、承諾書の中に合併症として記載されていたとしても、当然に医療過誤となるのであり、医療側は法的責任を負わなくてはなりません。

つまり、手術などの後に生じた悪い結果が、医療ミスによって生じたものか否かが重要なのであって、それが手術の承諾書に記載された合併症の範疇に属するか否かという区分自体は、法的責任の有無を判断する上では何の意味もないことです。
したがって、事故後に、医師から説明を受ける際には、合併症という言葉に惑わされることなく、なぜ悪い結果が生じたのか、そこに医療側のミスが介在していないかという観点で、説明の場に臨み、事故を検証して行くことが肝要なことなのです。

葵法律事務所

Part1に引き続いて、自己破産に関するニュース報道を見て感じたことについて述べようと思います。

Part1でも触れましたとおり、昨年の自己破産申立件数は前年に比べ6・4%増加し、7万件弱になっているというこの状況を分析してみると、金融機関の貸出金利が大きく下がっているにもかかわらず、破産者が増えつつある理由としては、日本における貧困化傾向が大きく影響しているというのが、破産事件を扱う中での私たち弁護士の実感であり、だとすれば、現状は、かつてのバブル崩壊後の長期不況の時よりも、もっと深刻なのではないかとも感じています。
そのことを強く示唆するニュース報道があります。
それは、借りた奨学金が払えなくて自己破産を申し立てる人が増えているという報道です。
親が保証人になっているケースも多いので、その場合は、親も含めて破産に追い込まれることになります。
そうした人の数が平成26年は過去最高になったというのです。
奨学金受給者全体に対する破産者の比率は非常に低いというデータやそうした観点からの反論もあるようですが、考えてみれば、奨学金制度では、返済の方法も比較的緩やかに設定されているわけですし、通常は親が保証人となっていますから、そうであるにもかかわらず、破産を選択せざるを得なくなる人が増えているということは、前途ある若者が社会に出てヨーイドンの段階で経済的に厳しい状況に追い込まれてしまっていることを意味するもので、非常に由々しき事態ではないかと感じます。
もちろん、奨学金をもらって学校を卒業しながら破産に至る事情は様々でしょうが、ここでも現在の労働者が置かれた状況の不安定さや、子供を養って来た親の経済事情が大きく影響しているに違いありません。
中でも、高校、大学等を卒業し、社会に出た若者にとって、収入の安定は生活基盤を形成する上では本来必須の要素であり、それが、たとえば、正規雇用でも低賃金であったり、ブラック企業で辞めざるを得なくなったり、非正規等の不安定雇用しか選択肢がなかったりとか、とにかく、奨学金を安定して返済し続けることを妨げるであろう労働現場の深刻な実態は、過労死事件等の報道によってすでに明らかになっているとおりです。

誤解を恐れずに言えば、これから社会に出て、意義のある仕事をし、また家族を養って行くために、どうしても大きな障害になるのであれば、前途ある若者が、破産という法的に認められた手続を積極的に活用して、重い荷物を下ろすことをためらう必要はないと思います。
もちろん、私たち弁護士の中にも、奨学金をもらうことで未来を切り開けた人は大勢います(当事務所のメンバーの中にも奨学金のお世話になった人はいます)ので、奨学金制度そのものの意義については、何ら疑うところはありません。
しかし、大企業が莫大な内部留保を抱えている一方で、一般庶民の貧困化が一段と深刻化している今の日本の現状を踏まえれば、高校、大学を出た若者が夢を描けないまま、低賃金の中で返済に追われるという状況は、かなりの部分において、個人の責任に帰するようなことではなく、社会全体の仕組みに大きな問題があるとしか思えません。
破産者の増加は、社会のひずみの結果であり、その原因が何であるかに目を向け、そこを変えて行かなければならないと強く思います。

そのような意味もあるのですが、破産についてはもう一つ別の報道を目にしたので、さらにPart3へと続きます。

2018年02月25日 > トピックス, 日々雑感
葵法律事務所

最近、自己破産に関するニュース報道をいくつか目にしました。
自己破産事件は、私たちのような「街弁」にとっては、日常的に身近で関わりのある領域ですので、ニュース報道を見て感じたことを述べてみたいと思います。

まず、昨年の自己破産申立件数が、前年に比べ6・4%増加し、7万件弱になったというニュースから取り上げてみます。
前年も微増していますので、増加傾向を示していることになります。
そのことについて、「バブル崩壊後のピーク時に比べると件数としては全然少ないから、あまり大騒ぎするようなことではない」という論評もありましたが、このような楽観的な論評は、現状を正確に理解していないものと考えます。
バブル崩壊後のピーク時と現在の状況は、破産に至らざるを得ない背景や負債の実態が全く異なるからです。
たとえば、バブル崩壊後、自己破産申立事件が多かったのは、バブル崩壊による失業、財産の目減り、銀行の貸し出し金利が非常に高かったこと、とりわけサラ金の金利が利息制限法の上限金利よりかなり高かったことなどの事情が複合的に絡んでいます。
しかし、現在の状況を見ると、たとえば、バブル崩壊後のような極端な財産の目減りという事情はありませんし、負債という点で見ても、住宅ローンなどの貸し出し金利は超低金利、サラ金の金利も利息制限法の上限金利に抑えられ、総量規制もありますので、一見すると、かつてのように借金があっという間に雪だるま式に膨れ上がるという状況ではなくなっています。
実際、バブル期に不動産を購入して、以後ずっと真面目にローンを返し続けても、10%を超える高金利だったため、元本はあまり減っておらず、不動産の方は価値が極端に目減りして破産に追い込まれるというパターンが非常に多かったのですが、現在の状況にはこれはまったくあてはまりません。

超低金利となり、サラ金の貸し出し利息も大きく下がっているにもかかわらず、破産に追い込まれてしまう事情が何かといえば、個別の要素はあるにせよ、やはり収入の不安定さ、そして、たとえば、正社員であっても実質収入が年々減少していて、生活を維持できるほどの収入が得られないといった、より深刻な要因がかなりを占めていると感じます。
株価も上昇し、大企業の内部留保も桁違いに膨れ上がるなど、一部には景気のいい話も聞かれてはいますが、国民の間の経済格差は広がっており、生活保護受給者も増大の一途をたどっています。
社会政策的に見ても、戦後の高度成長期も含め、日本は低賃金構造であると言われ続けて来ましたが、特に最近の日本は、垂直的な所得の再分配が健全に機能しておらず、非正規雇用、現業派遣といった調整弁的雇用が企業側に都合よく利用されていて、詰まるところ、日本の低賃金構造は、より悪い方向で定着してしまっていると感じざるを得ません。
そうした日本の経済構造のいびつさが、一般国民の生活を蝕んでおり、その結果が、破産申立件数の増加という事態を招いていることは明白だと思います。
実際に私たちが扱う破産事件においても、実感としては、生活保護を受けている方の比率は間違いなく非常に高くなっています。
正確な統計は承知していませんが、おそらく、統計上も破産事件に占める生活保護受給者の割合もその人数もここに来て大幅に増えているのではないかと思います。
そのような実態や原因をきちんと分析して、世の中の仕組みを大きく変えて行かなければ、多くの国民の生活はますます疲弊し、破産申立件数も生活保護受給者も増加の一途をたどるのではないかと暗澹たる気持ちになります。

自己破産に関しては、ほかにいくつか気になる報道もあり、ここで取り上げるつもりでしたが、長くなりましたので、続きはまた書きたいと思います。

2018年02月18日 > トピックス, 日々雑感
葵法律事務所

昨年は、葵法律事務所の弁護士は、全員、刑事弁護にかなり多く取り組んだ一年となりましたが、実際に事件に関わって強く実感することは、いったん、刑事事件の被疑者、被告人となってしまうと、受ける刑事処分のみならず、一人一人の社会生活で受けるダメージがとてつもなく大きくなってしまう場合があるということです。
現に、逮捕勾留によって仕事や家族とのつながりを失ってしまうということもありますし、少年事件であれば退学処分、外国人であれば、在留資格を失い、国外退去処分となることもあります。
まさに生活の基盤を根こそぎ奪われる状況に追い込まれてしまうことも事案によっては十分に起こり得ることなのです。
そうしたぎりぎりの状況の中で刑事弁護活動をしながらよく思うことは、もっと早い段階で対応できていればよかったのにということです。
特に被疑者段階では、身柄拘束に入ってしまうと、逮捕から最大で3週間で、起訴か不起訴の判断が出てしまいます。
本来は、およそ刑事処分を受けるような事件ではないのにとか、なぜこんなことで逮捕勾留に至ったのかとか、いろいろと疑問を感じるような事件もありますが、それでも起訴されれば間違いなく有罪となってしまう事件であるとか、有罪となれば実刑を避けられないという事件だってあるわけです。
そのため、私たちも、弁護人となれば、犯した罪以上の過大な不利益が生じないよう、頑張って弁護活動に取り組むのですが、そうはいっても、時間的制約が伴う逮捕、勾留後では、主導権は捜査機関側が握っていますし、また、最近は被害者のプライバシーを尊重するということで、被害者側の情報を得ることが容易ではなくなっていることもあったりなど、弁護人としてできる活動にはおのずと限界があります。
限られた時間の中で刑事弁護に取組んでいると、壁にぶち当たる感じようなジレンマをしばしば感じるわけです。

その一方で、私たちが扱う事件の中には、これは対応を誤ると刑事事件になるということがある程度予測できるものもあります。
実際の事件でも、このまま対応しないでいると刑事事件化してしまうことが予期できて、早めに被害者側と折衝し、示談を行うなどして、事なきを得ることができたケースは決して稀なことではありません。
そう考えてみると、このような弁護士活動も、広い意味では「刑事弁護」にあたるといえるでしょう。

もちろん、弁護士の仕事は、民事事件でも刑事事件でも、事件が起きてからの対応が中心とはなりますが、事件化を防ぐための予防的な活動もまた非常に大切で有意義な仕事であることは間違いのないところです。
たとえば、民事事件でも、依頼者がある契約を締結しようとするときに、その契約書を事前にチェックして訂正を助言してあげれば、その後に依頼者が、不用意な契約による不当な不利益を受けないで済むようにできるわけですが、刑事事件も同様です。
ですので、もし、今後トラブルが顕在化すれば刑事事件になるかもしれないいう状況に陥った場合には、早めに弁護士の助言を受けられることは非常に有用なことだと思います。

2018年02月14日 > トピックス, 事件日記
葵法律事務所

銀座の泰明小学校という公立小学校で、この春からアルマーニというブランドの制服を採用することになったものの、校長の独断で進められたこの選定がおかしいのではないかということで大きな議論が巻き起こっています。

この校長のインタビュー記事を見ましたが、非常に違和感を覚える内容でした。
こうした制服を決めるという行為を校長がほぼ独断で決めてしまえるという意思決定の手順もどうなのかと思いますが、何よりも、公立の小学校において、一式で年間約9万円もする制服を導入することが許されていいのかという話であり、決して大げさではなく、憲法が保障した教育を受ける権利に関わる重大な問題であるといわざるを得ません。

アルマーニの制服代は年間約9万円とのことで、一式分としてもべらぼうに高いわけですが、小学校は6年間ですので、子どもの成長にあわせて、最低でも2回か3回は買わないといけなくなりますから、親の経済負担はかなり大きなものになります。
また、そうなると、経済事情によっては成長にあわせて制服を頻繁に買ってあげられない場合、体形に合った制服が着れないコンプレックスで学校に行けなくなる児童が出てくることだってあるかもしれません。
先日も弁護士会で子供の貧困の問題に関する講演が行われましたが、確実に貧富の差が拡大している現在の日本において、義務教育の9年間の教育の機会が保障されているということはとても大きな意義があります。
しかし、いくら義務教育という仕組みで教育の機会が形式的に保障されていても、学校に通う上で掛かる諸々の支出が多額なものになれば、教育の機会均等は絵に描いた餅になりますし、大人の世界の貧富の差を学校という場にまで露骨に持ち込んでしまうことが教育の機会均等を奪うこともあるということに関係者は気づくべきです。

以前、ある洋服屋の破産管財人となった時のことですが、そこで扱っている私立中学の制服がブランドものだったことがあり、店舗の中にその制服が飾ってあるのを見て、「おお、ブランドものだ」と、一瞬、眩しく感じたことがありました。
しかし、その時には何の違和感も覚えなかったのです。
では今回の泰明小学校の場合とどこが違うのかといえば、端的に公立か私立かということの違いに尽きます。
私立であれば、生徒を集めるために、学校の付加価値を高め、魅力をアピールして、「この学校に入学したい」と受験を考える子供や父兄に思ってもらわないといけません。
その付加価値や魅力の中身が、進学実績やスポーツ等クラブ活動の成績ということもあるでしょうが、制服が可愛いというのも、当然OKだと思うのです。
しかし、公立の、特に小学校、中学校ということになればそうは行きません。
何よりも、教育の機会均等が実質的に保障されてないといけないからです。
銀座の真ん中にあろうが、畑の真ん中にあろうが、そのエリアの子供たちが、経済的な面でも負担を感じることなく安心して通えることこそが、何よりも優先されなくてはならないのであり、それこそが憲法が保障した教育を受ける権利の実質的保障を意味するのです。

泰明小学校の校長は、親御さんは理解してくれるはずだなどと的外れなことを言っておられるようですが、公立小学校でありながら、親に過大な経済的な負担を強いることによって子供の教育を受ける権利を実質的に侵害してしまう危険性があるのだということに思い至らないのだとすれば、あまりに想像力に欠けているといわざるを得ません。
もちろん、仮に大部分の生徒や親が校長の選択を支持したとしても、このような権利の保障は、多数決で決められるような性質のものではありません。
アルマーニとの関係では、最悪、損害賠償の問題が生じる可能性もありますが、ことは教育を受ける権利の侵害の問題であり、きちんと話し合い、速やかに今回の制服導入を取り止めるべきではないかと強く思うのです。

2018年02月11日 > トピックス, 日々雑感
Pages: 1 2 ... 5 6 7 8 9 ... 15 16
  • ٌm@{pY
  • ٌm@{VAK
  • ٌm@ܖ{ai
  • ٌm@m
  • ٌm@|{D


 | 事務所紹介 | 弁護士紹介 | 取扱事件領域 | 費用のご案内 | トピックス 
(c)2016 葵法律事務所 All Rights Reserved.

ページトップへ戻る