事務所トピックス

日々雑感~広島カープ再生への道Part1

弁護士 折本 和司

初めにお断りしますと、今回の記事については正月頃に書いたものをそのまま寝かせておりました。

いよいよ今年のペナントレースがスタートするということで、事務所のホームページに割り込み掲載させていただくこととしたものです。

プロ野球、あるいは広島カープに興味があり、ちょっとお時間のある方にお読みいただければ幸いです。

 

私は広島出身で、長年のカープファンです。

艱難辛苦の後の1975年の初優勝も、2016年の25年ぶりの優勝も現地で観戦しています。

横浜スタジアムにも、「こい9」、つまり「広島カープを応援する9条の会」と称して、年に数回程度は出没しています。

ついでにいうと、一時期、ネット上でカープ応援ブログを掲載して、多い時は、2万人以上の方に閲覧していただいていた隠れ人気ブロガーだったのです(一気に目が悪くなったこともあって、半年ほどで止めましたが)。

カープファンではありますが、今は地元のベイスターズも応援していますし(なので、次はベイスターズについても取り上げたいと思っています)、また、アンチジャイアンツで、プロ野球の改革のことや社会や青少年への影響についても、熱く語ってしまうところもあります。

いつかまたカープ応援ブログを再開したいのですが、今は、そんな時間もなく・・・ちょっと鬱憤が溜まっています。

 

ところで、わが愛するカープは三連覇してからいきなり低迷期に入ってしまい、それ以上に、チームに活気がなくなってしまっているように感じていました。

そんなところで、新井貴浩氏が新監督に就任となりました(以下、親愛の情を込めて「新井さん」と呼ばせていただきます)。

もちろん、新井さんは、現役引退からまもなく、コーチ経験もないので、そうした経験の乏しさを危惧する意見もあるようですが、カープらしい魅力あるチーム作りを任せるには最適の人物と思います。

野球に限らず、スポーツは勝ち負けも大事ですが、それ以上に、応援したくなるようなチームか否かが大切であり、はき違えて目先に勝ち負けに拘り過ぎる人もいるみたいですが、新井さんは、応援したくなるチーム作りという点では、きっとその期待に応えてくれるに違いありません。

実際、彼自身の球歴を見ても、ドラフト6位から這い上がり、ホームラン王になりながら、彼なりに悩んでいったんはカープを出て、タイガースで活躍したものの、成績が落ちて自由契約となったところで、大減俸を受け入れ、バッシング覚悟で地元のカープに戻り、泥まみれになりながら復活して三連覇に貢献し、MVPにも輝くというドラマチックな野球人生を過ごしてきたわけですが、彼のさらに素晴らしいところは、そのようなすごい経歴を誇りながら、決して偉ぶらず、最後までチームの後輩選手からもいじられる愛すべきキャラであり続けたことです。

時々、彼が野球の実況解説をしているのを聞いても、そうした人柄の良さが滲み出ていると感じます。

カープファンに限らず、多くの人が好感を抱き、応援したくなる好人物であることは間違いありません。

とはいえ、彼にはコーチの経験すらありませんし、チームも4年連続でBクラスに甘んじており、立て直すのは容易ではないようにも見えます。

また、指導者としては優しすぎるのではないかとの不安もあります。

それゆえ、周囲には、長い目で見てあげようというムードがありますし、私も個人的にはそんな気持ちもないわけではありませんが、勝負事ですので、そんな甘いことは言っていられません。

また、今のカープは、結果として下位に低迷していますが、上位との差は紙一重です。

現に、スワローズだって、二連覇する直前まで下位で低迷していました。

ベイスターズはもちろん、去年6位のドラゴンズだって投手力の充実ぶりからしても、ちょっと戦力が底上げされれば十分優勝のチャンスはあります。

裏金にまみれたアンフェアな逆指名制度が廃止されたことによって、戦力の均衡はある程度保たれており、下剋上のチャンスは大いにあるわけです。

そうである以上、逆に言えば、勝ち負けは、チーム力をどうやって上げていくか、そしてどのような戦術で戦うかという、首脳陣の力量の差で決まるといっても過言ではありません。

スワローズやブルーウエーブが2年続けて優勝できたのも、そうした首脳陣の力量によるところが大きいと思います。

というわけで本論です。

如何にしてカープを強くするか、新井さんをはじめとした首脳陣は、チーム力を上げるために何をすべきかを(元隠れ人気ブロガーとして)ちょっと偉そうに独断的に語ってみたいと思います。

 

如何にしてカープを強くするかを考えるうえで、ここのところの低迷の原因を検証することが前提として必要となります。

昨年までの低迷について、ぱっと思いつくところでいえば、故障はあったにせよ、先発陣が後半がたがたになったこと、中継ぎ陣が安定していなかったこと、チーム打率はセリーグトップなのに得点が少なかったこと、さらにその原因としてはホームランが少なかったこと、チーム盗塁数が異常に少なかったことなどが挙げられるでしょう。

しかし、それは結果として数字に表れているところであり、問題はどうしてそうなったのかであり、そこを見直し、変えていかなければなりません。

話が被るところもありますが、ここではまず攻撃の問題と守備の問題とを分けて取り上げてみます。

 

とここまででかなりな量になってしまいましたので、続きはPart2ということで・・・。

 

2023年03月31日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感〜「いわたくんちのおばあちゃん」を読んで

弁護士 折本 和司

縁あって、「いわたくんちのおばあちゃん」という絵本童話を読みましたので、今日はそのお話をさせていただきたいと思います。

 

この「いわたくんちのおばあちゃん」がどのようなお話かといいますと、いわたくんのおばあちゃんが、いわたくんの運動会を見に来たのだけれど、家族写真を撮ろうと声をかけられた時に、おばあちゃんは「みんなと一緒に写ることができない」ということを聞かされるのです。

そして、そこから、周りの人がおばあちゃんのつらく悲しい戦争の体験を知ることになるというお話なのですが、このお話はいわたくんのおばあちゃんが広島で被爆した体験に基づく実話なのです。

さらに、ごく個人的なことなのですが、「いわたくんちのおばあちゃん」は、私が子供の時に隣に住んでおられた方で、私の亡き母とは、生涯とても親しくお付き合いいただいた友人でもあるのです。

 

そうしたご縁のお話はひとまず措くとして、この絵本童話は、おばあちゃんの心に秘めたつらく悲しい被爆体験をわかりやすく伝えるとても素晴らしい作品だといえるでしょう。

私自身、広島出身の被爆二世であり、また、神奈川県在住の被爆者の原爆症認定訴訟にも関わっていましたので、亡き父も含め、多くの被爆者から辛い被爆体験を詳細に伺っていたりします。

しかし、いろんな被爆体験を直接伺う機会がそれなりにあった私でも、この絵本童話を読んだときには思わず涙してしまいました。

お話の内容に触れることなので詳しくは述べませんが、おばあちゃんの家族は、おばあちゃんを除いて全員原爆で亡くなっています。

おばあちゃんは、当時まだ10代でしたが、直前まで一緒に暮らしていた家族の平穏な生活が一瞬にして奪われたのです。

そのあまりにつらい体験が冒頭の写真のお話につながります。

一瞬にして平穏な生活を根こそぎ破壊する核兵器の恐ろしさのお話でもあり、また戦争被害のリアルな真実、本質がわかりやすく伝わってきます。

 

この絵本童話の中にも出てきますが、いわたくんのおばあちゃんの長女、つまりはいわたくんのおかあさんが、おばあちゃんの被爆体験を伝える語り部の役目を果たしておられます。

実は、このいわたくんのおかあさんは私の幼馴染でもあるのですが、私と同じ本川小学校の出身でもあります。

本川小学校は、爆心地から最も近くの小学校であり、今の平和公園の北側に架かる相生橋を西側に渡ったすぐ下手にあります(原爆資料館にある被爆直後の写真にも写っています)。

私が作った「相生橋から」という歌の中に「橋の下手の学校の校庭で戯れる子供たち」という歌詞があるのですが、それは本川小学校のことです。

この本川小学校の一角にも小さな原爆資料館がありますが、いわたくんのおかあさんは、その設置にも尽力したと伺っています。

絵本童話の作成もそうですが、被爆体験を風化させないためのそうした取り組みには、心から敬意を示したいと思います。

 

ここでちょっと思い出話をさせてください。

いわたくんちのおばあちゃんは、私の生家の隣で生涯お茶屋さん(お茶を売る方のお茶屋ですが)を営んでおられました。

おばあちゃん(もちろん、私が子供のころはおばあちゃんではありません)は、小柄な方でしたが、いつもにこにこして優しい女性でした。

私の母も、その方が大好きで、お茶屋さんの隣から引っ越して以後も、亡くなるまでずっとお茶はいつもそのお店で買っていましたし、たまに私が一緒についていくこともあったのですが、いつ行っても、とても優しく接してくださいました。

そんなわけで、すごく懐かしい方でもあるのです。

しかし、そんな優しい方にこんなつらい戦争体験があったことを私は全然知りませんでした。

同世代だった私の母にも、両親と弟が満州で行方知れずとなり、数十年後になって、終戦の混乱の中で餓死したのだと知らされるという、やはり人には言えないつらい戦争体験がありました。

しかし、母もいわたくんちのおばあちゃんも、共通するのは、人に対して本当に思いやりをもって優しく接する人だったということです。

絶望したくなるようなつらい戦争体験を心に秘め、戦後の混乱期を歯を食いしばって生きながら、なぜあのように人に優しく思いやりのある人でいられたのか、とても不思議な気持ちがする一方、逆に、あのようなつらい戦争体験があったからこそ、平和に家族と暮らせる喜びを噛みしめながら、周りの人たちにも優しく接することができたのかもしれないと、母のことも含め、あらためてそんなことを感じています。

 

今や、被爆体験を語れる人は本当に少なくなってしまいました。

かつて原爆症認定訴訟に携わった時に、被爆体験を語っておられた被爆者の方々もすでにその多くが亡くなられました。

ですが、ウクライナへのロシアの侵略や、日本も含めたその後の世界のきな臭い動向を見るにつけ、被爆の体験、実相を語り継いで、核兵器の恐ろしさを伝えて行くことは、広島や長崎に生まれ育った人間の使命なのではないかと強く感じます。

私が作った曲でまだCD化はしていませんが、ライブでは必ず演奏する「最後の語り部」という作品があります。

「忘れられないあの日からいったいどれだけの時がすぎてしまったんだろう そしていつか誰かが本当に最後の語り部になってしまってるんだろう」という繰り返しの歌詞があるのですが、それは、一方で二度と核兵器が使われない世界が来ることを願いつつ、他方で、核兵器の被害を矮小化し、被爆者を軽んじる日本の行政の姿勢を糾弾するというものでした(実際、原爆症認定訴訟の活動の中で知った、日本の被爆者行政の姿勢は本当にひどいものでしたから)。

いわたくんちのお母さんが、おばあちゃんの被爆体験を語り継ぐ「語り部」として、生まれ育った広島で頑張っておられることを、幼馴染として、また同じ被爆二世として、誇りに思いつつ、エールを送りたいと思います。

 

最後に、この「いわたくんちのおばあちゃん」は、多くの人に読んでもらいたい絵本童話ですので、興味を持たれた方は、ぜひ購入してご一読ください(広島では本の内容が平和教材に指定されているそうで、入手は大変かもしれませんが)。

ちなみに、うちの事務所には、常設しております。

 

 

2023年03月20日 > トピックス, 日々雑感

事件日記~調停に代わる審判のお話

葵法律事務所

離婚事件に限りませんが、裁判実務というものは日々変化していますので、私たち弁護士も法律自体だけでなく、実務の傾向や状況についても情報をアップデートして行く必要があります。
しかし、難しいのは、この実務に関する情報のアップデートは、知識としての補充だけでは足りないということです。
やはり、裁判所に行って、調停委員、裁判官と直にやりとりをして、経験を重ねながら身に着けていくしかない部分があります。
それを身に着けることで、事件の見通しを立てやすくなり、また節目節目での判断がより的確にできるようになるのです。
その一例として知っておく価値があるのが「調停に代わる審判」という制度なので、今日はそれを取り上げてみます。

調停に代わる審判とは、ある程度調停が進んだ段階で、裁判所が相当と認める場合に、調停を打ち切りつつ、審判、つまり、裁判所として解決案を提示するもので、家事事件手続法284条に定められている制度です。
通常、離婚関連事件では、たとえば離婚調停がまとまらず、不成立になると、訴訟に移行することになりますし、面会交流などの事件は、調停から審判に移行することになります。
いずれもそこから新たに別の手続が始まり、双方が主張立証を重ねて、裁判所の判断を仰ぐことになるわけです。
たとえば、離婚調停と併せて、子の面会交流の調停が同一の調停期日で実施されているとした場合、争点の大部分についてほぼ合意ができていながら、任意の合意形成がどうしても困難な状況になったとします(実際、感情的な軋轢が伴う離婚関連事件ではしばしばあることです)。
ここで双方の調停を不成立で打ち切ると、前述のとおり、離婚事件は訴訟、子の面会交流は審判という非公開の手続へと切り替わりますので(厳密にいえば、離婚は、当事者が新たに訴えを提起しなくてはなりませんが)、当事者は、それぞれ別々の手続で争い続けることになるわけです。
ところが、ここで裁判所が、調停に代わる審判を出して、双方がそれを受け入れれば、そこで事件の全体解決を図ることができるわけです(もっとも、いずれかが異議申立をすれば、本来の流れに戻ることになりますが)。

当事務所で扱っている家事事件においても、調停に代わる審判を出されたケースがありますし、手続中に、裁判所が調停に代わる審判を出す方向で強く押してくるケースも少なからずあり、ここに来てれその比率が高くなっているという印象があります。
ただ、率直に申し上げると、代理人の立場から見て、調停に代わる審判がふさわしい事例とそうでない事例があるように思います。
この辺りは、最初に書いたように、現場で経験しないとわからないことですが、実務では、調停に代わる審判も、裁判所にお任せでいきなりポンと出てくるわけではなく、調停の席上で、裁判官や調停委員とやりとりをしながら、個々の争点について、どのあたりであれば当事者が納得できそうかの擦り合わせを行ったうえで出してくるという印象を受けました。
夫婦関係の紛争ですので、内容的には合意できそうなところまで来ていても、感情的に受け入れられないというような場合、代理人としても、あとほんのちょっとなのに惜しいなと思うことがあるわけで、そのような場合に、裁判所が、当事者が折り合えそうな着地点を丁寧に模索して、調停に代わる審判を出してくれるのであれば、事件によってはとても良い解決法だと感じます。
もっとも、一方で、当事者が重視しているポイントや心情を軽視してやや強引に裁判所が調停に代わる審判に持っていこうとして依頼者がかえって不信感を抱いてしまったケースもありました。
ここらあたりは裁判官による違いもあるのでしょうが、条文にもあるとおり、具体的に事案に応じて、「当事者双方のために衡平に考慮し」「一切の事情を考慮し」た内容をどうすれば実現できるか模索しながら、手続を進めて行く姿勢が、弁護士の側にも求められることになります。
いずれにしても、調停に代わる審判には、合意成立まであと一歩までこぎつけたような事件での不毛な紛争の長期化が防げるというメリットもあるので、今後さらに裁判所が「調停に代わる審判」をより積極的に活用してくるはずですので、私たち弁護士も準備を怠らず、手続に臨んで行かなくてはならないと思います。

2023年02月20日 > トピックス, 事件日記

日々雑感~独居老人や社会的弱者を守るために法定後見もしくは任意後見の利用を!

葵法律事務所

狛江市で起きた強盗殺人事件から、その背後にある組織的でおぞましいまでに悪質な犯罪集団の存在と手口が徐々に明らかになりつつあります。
いずれまたきちんと取り上げてみたいと思いますが、この事件は、私たちに、目をそらしてはならない、現在の日本の様々な矛盾や問題点を映し出しています。
たとえば、特殊詐欺のターゲットになっているような一人暮らしの高齢者が、今度はより安直で悪質な強盗のターゲットになっていると思われることや、若者がインターネットでの高額闇バイトにあまりに安易に手を染めてしまっていること、犯行がスマホによる海外からの遠隔操作によって実行されているらしきこと等ですが、根幹には、コツコツ真面目に働いても報われそうにないほどに貧富の差が拡大し、その一方で、やったもん勝ちのような発想を持つことを恥とも思わないような人間が、マスメディアや政治の世界で堂々と闊歩してしまっていることがあるように思います。
徹底した摘発はもちろん、安易に犯行に手を染めた人間に対して重い刑罰が科せられるべきはもちろんですが、この種の犯罪をなくすためには、今の日本の政治、経済、社会のあり方を変え、額に汗して働いた人がちゃんと報われ、若者が健全に将来を夢見ることができるような国に変えていかなくてはならないと、心の底からそう思います。

ただ、広域強盗のみならず、リフォームやシロアリの詐欺や投資詐欺、原野商法なども含め、独居あるいは一人の時間帯が多い高齢者が、ターゲットになっているという現実がある以上、被害を防ぐための手立てが喫緊に必要です。
自宅のセキュリティ強化や、地域の連携や警察の見回りなども必要ですが、今回の広域強盗の場合、宅配便業者を装うという手口も用いているようで、宅配ボックスのあるようなマンションでもない限り荷物の引き取りのためにドアを開けざるを得なくなるでしょうから、特に独居の高齢者にとっては、非常に恐るべき事態だといえます。

ではどうすればよいでしょうか。
それでもって絶対大丈夫ということではありませんが、法定後見もしくは任意後見を利用するというのは考慮に値すると思います。
法定後見(判断能力のレベルに応じて保佐、補助もあります)は、ご本人に十分な判断能力がない場合に、裁判所に成年後見人を選任してもらい、財産管理を本人に代わってやってもらい、療養監護についても関与してもらうという制度です。
したがって、判断能力の衰えがある方についてしか利用できませんが、認知能力の衰えがある方こそ、この種の事件の被害に遭いやすいわけですから、親族や周囲の方が心配だと思われたら、早急に利用を考えてみるべきと思います。
また、現時点で認知能力の衰えがない場合には法定後見は使えませんが、その場合には任意後見契約を締結しておくという方法があります。
任意後見契約自体は、将来、要後見状態になった時に備えて信頼できる人を指定しておくものですが、公正証書を作成する必要がある一方、その際に財産管理に関する委任契約をあわせて締結することが可能です。
つまり、法定後見であれ、任意後見であれ、財産管理を成年後見人(もしくは財産管理の受任者)に委ねることができるので、自宅にはまとまった多額の財産を置かないようにでき、その意味で安心といえます。
もっとも、特殊詐欺にしても、広域強盗にしても、必ずしも自宅に財産があることを確認して狙ってくるとは限りませんが、親切なふりを装って家に入り込み、財産があるかどうかを探るという手口のほか、金融に関する個人情報を不法に入手して犯行に及んでいるのではないかともいわれており、法定後見や任意後見でもって、第三者がきちんと財産管理を行っている場合にはターゲットになりにくいのではないかとも思われます。

老いによる衰えは誰にでもやってくることですし、老後のための虎の子の財産を狙う犯罪が後を絶たず、さらには命の危険までが現実のものになっている原状に鑑みれば、最悪の被害に遭うことを防ぐ手立てとして一定の有効性があるであろう法定後見もしくは任意後見の利用については、転ばぬ先の杖をいう意味で十分に検討してみる価値があると思います。
ぜひ、お近くの法律事務所や司法書士事務所、法律相談センターなどに足を運んでみられるようお勧めいたします。

2023年02月12日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~吉田拓郎さんの引退のニュースに接して

弁護士 折本 和司

吉田拓郎さん(親しみを込めて拓郎と呼ばせていただきます)が引退されるというニュースを見ました。

拓郎といえば、広島フォーク村ということで、広島出身の私にとってはいろいろ思い出がありますので、敬意と慰労の気持ちを込めてちょっと書かせていただきます。

 

実は、大昔のことですが、私は拓郎のライブを二度、ただで(ごめんなさい)観に行っています。

一度目は、彼がまだデビューして間もないころで、広島のRCCというラジオの深夜放送の公開録音ということで地元の中国新聞のホールで演奏した時のことでした(関係ないですが、この中国新聞ができる前のその一角が私の生まれた場所です。どうでもいいことですが)。

おそらく1970年か1971年のことで、拓郎も20台半ばくらいだったわけですが、歌の合間のMCもとてもうまかったのをよく覚えています。

もちろん、まだ売れ始めの頃でしたが、そのころラジオでよく聴いた「マークⅡ」や「とっぽい男のバラード」、そして、「準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」なんて曲を、ギターをかき鳴らしながら、かっこよく歌っていた姿にすごく憧れました。

ちなみに、馬車道の近くには、生ギターが弾ける「マークⅡ」という店があります。

店主に伺ったことはありませんが、店のコンセプトからしても拓郎の曲にちなんでるのは間違いないでしょう。

 

二度目は、彼の出身校の文化祭でのライブです。

彼の出身校は広島県立皆実高校で、私の行ってた学校とは違いますが、確か高校2年の秋の文化祭の直前になって、拓郎が皆実高校の文化祭に来るらしいという情報が入ってきたのです。

そこで、友達と一緒に、自転車に乗って、皆実高校の文化祭に向かったのです。

まあ、今なら、学生証を見せろとか無粋なことを言われるのでしょうが、当時はおおらかで、難なくライブ会場となった皆実高校の体育館に潜り込むことに成功しました。

当時、拓郎は、「結婚しようよ」がヒットした時期で、それまでのフォーク路線から人気ポップ歌手へと変貌を遂げようとしていた時期でしたが、その皆実高校の文化祭でも、前に見たライブと同じく、あの拓郎らしい軽妙な語り口のMCと大好きな拓郎ソングを堪能させてもらいました。

 

広島人にとって、拓郎は別格の存在です。

以前、広島でとあるカウンターのバーに入ったら、カウンターの端っこにボブ・ディランのCDだけが置いてあったので、理由をマスターに尋ねたら、たまに拓郎が来店されるので、彼の好きなボブ・ディランをかけてあげるのだとおっしゃってました。

また、別の店でギターが置いてあったので、そこにおられた客とギターの話をしていたら、広島人の自分にとって拓郎は神様なのだというような話を熱くされていました。

 

友人の弁護士でも拓郎が大好きな奴がいます。

彼は自分が書く文章の中に音楽の話を交えることがよくあるのですが、先日も彼の文章を読むと、そこに、拓郎の「イメージの詩」の歌詞が引用されていました。

「古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう」という有名なあれです。

若い弁護士たちへの励ましのメッセージ的な文章でした。

僕もこの詩は大好きですし、ほかにも「落陽」とか「春だったね」とか、挙げればきりがないほど好きな曲はたくさんありますが、ここのところ、いろいろあって、よく思い浮かべるのは、初期の「青春の詩」とか、「今日までそして明日から」あたりですね。

 

ある時、青春とは何だろうかという青臭い話を友人としたことがあります。

その時、思い浮かんだのは、「青春の詩」でした。

人によって、いろんな青春があるという話を、この曲の歌詞を思い出しながら話している自分のことがちなんだか面白く感じました。

そして、何かやりたいこと、実現したいことがある限り、いつだって青春なのだと自分に言い聞かせたりしていました。

また、最近、身近なところで、親しい人が亡くなるということが続き、その中には、自殺してしまった人もいたのですが、私も含め、周りの大勢の人が嘆き、悲しんでいました。

そんな時に頭に浮かんで来た曲は、「今日までそして明日から」でした。

最後の歌詞である、「私は今日まで生きてみました。そして今私は思っています。明日からもこうして生きていくだろうと」という部分を反芻しながら、ただ、繰り返しているだけのように見えても、生きているっていうことだけでとすごく意味のあることなのだと、そんなことを思ったりしていました。

言葉の力は大きいし、心に残っている歌詞によって勇気づけられることがあるのです。

 

ともあれ、拓郎さん、長い間、どうもお疲れさまでした。

でも、あの宮崎駿監督だって、何度も引退を宣言しながら、新作を作っています。

創作意欲が湧いたら、或いは、天から何か降りて来たなら、いつだって、引退を撤回していいわけですので、そしたらぜひまた拓郎節の新曲を出してください。

 

いつか、広島のどこかの店で遭遇できたらいいなと、ふと夢みたいなことを思ったりしております。

2022年12月20日 > トピックス, 日々雑感
Pages: 1 2 3 4 5 6 7 ... 33 34
  • ٌm@{VAK
  • ٌm@ܖ{ai
  • ٌm@m
  • ٌm@|{D


 | 事務所紹介 | 弁護士紹介 | 取扱事件領域 | 費用のご案内 | トピックス 
(c)2016 葵法律事務所 All Rights Reserved.

ページトップへ戻る