日々雑感~広島カープ再生への道Part3
続いて投手陣を含めた守備の問題を取り上げます。
今の野球は、投手分業制が採られています。
どこのチームでも、先発、中継ぎ、抑えで投手の適性を見極めながら、選手起用をしています。
そのこと自体に異論があるわけではありませんが、その部分の戦術についても、改善すべき点が多々あります。
まず、先発ローテーションですが、固定観念に囚われすぎない、柔軟な発想が必要と思います。
各球団のチーム事情によるところもあるので、すべてのチームに当てはまるわけではありませんが、カープについていえば、良くも悪くも先発陣と中継ぎ、抑えの間に大きな力量の差はないと思います。
もちろん、去年に関していえば、床田、森下あたりは頭一つ抜けている印象はありますが、大瀬良、九里、玉村、遠藤あたりについていえば、中継ぎ、抑えの投手と比べて、さほど安定感で優っているという印象はありませんでした。
少なくとも、去年活躍したメンバーでいえば、たとえば、矢崎あたりは、経験を積み重ねてきたので、中6日で登板すれば、毎回とはいかなくても、ある程度、クオリティスタートできる力量があるように思いますし、栗林はより高い確率でその力はあるでしょう。
また、ちょっときっかけをつかめば、コルニエルにも先発の一角を占める力はあるし、さらに新人でも河野、益田あたりは先発陣に食い込めるかもしれません。
何が言いたいかといえば、役目を固定しすぎるのではなく、より多くの投手に先発の経験を積ませ、相手との相性なども見ながら、一軍での先発の機会を与えてあげることが競争意識を煽り、投手力の底上げにつながると思うのです。
実際、昨シーズンの後半の息切れは、先発を6人くらいで回すことに拘り過ぎて、疲弊させてしまったことがかなり影響していると思います(野村に関しては、明らかに先発の役目が果たせないほど力が衰えているのに、一軍に上げると、必ず先発させていましたが、それこそファンからすると、記録のための「忖度」にしか見えないくらいでした)。
実際、三連覇中においても、先発ローテに穴が開いたときに当時中継ぎだった薮田を先発に抜擢したところ、好投してローテーションに入り、その後大活躍したということもあります。
また、先発とリリーフの配置転換を柔軟に行うことは、選手寿命を延ばすことにもつながります。
日々のリリーフ陣の起用方法についても、一定の戦術と配慮が必要です。
ここのところのカープを見ていると、中継ぎの起用法も非常に硬直していたと感じます。
たとえば、1イニングだけ投げさせ、回跨ぎをさせないという起用法ですが、たとえ1イニングでも登板に備えて肩を作らなければならないので、それでもって連投となれば、投球回数以上に疲れが溜まることになります。
また、投手を1イニングで替えるという起用法だと、全員が好調とは限らず、起用された誰かが打たれてしまうというリスクも高くなります。
選手の力量に応じてということではありますが、ブルーウエーブが日本シリーズで取り入れていたように、一人の投手に2イニング、3イニングを投げさせるという戦術をもっと柔軟に取り入れるべきと思います。
その代わりに、複数イニング投げさせた投手は、翌日、ベンチ外とするといったメリハリで疲労を蓄積させないようにすればよいのです。
好投していた投手が、連投を重ねるうちに、打ち込まれるようになり、信頼を失って2軍に落とされるというシーンを何度も見ましたが、中継ぎの起用法が柔軟性に欠けていたことが影響していた面もあると思います。
ほかにも勝ちパターンといっても、順序やバリエーションは相手に合わせてもっと柔軟にすることが必要と思います。
たとえば、7回あたりから誰をどう起用していくかですが、下位打線なのか、クリーンアップなのかによって起用を逆にすることもあり得るし、相手チームの打線の強弱もありますから、このあたりも柔軟さが必要でしょう。
もう一つ、これは目先の勝ち負けということではなく、長い目で見て、選手を活かすという意味で、リリーフ投手については、毎年50試合以上起用し続けるということはやめるべきで、新井さんには、ぜひ、このあたりの方針をしっかり考えてもらいたいと思います。
以前、ブログをやっていた時にも書いたことがあるのですが、リリーフ投手が酷使され続けて、選手生命が断たれてしまっているのは、決して珍しくないプロ野球の黒歴史といってもいいでしょう。
監督は1年1年が勝負で良い結果を残したいし、選手としてもアピールしたいということもあるので、どうしても無理をしてしまい、故障して選手生命を縮めてしまいます。
才能ある選手が、将来を絶たれないようにすることは使う側の責任でもあります。
また、個人的には、リリーフでフル起用するのは、2年もしくは3年が限界と思っています。
ですので、栗林あたりもそろそろ先発転向を考えるべきだし、矢崎、森浦、ケムナ、塹江あたりもしかりです。
そうした積極的な配置転換で選手寿命を延ばしてあげることが、戦力の向上につながることは間違いないと思います。
投手の起用法については、ほかにもいろいろアイデアがありますが、長くなるので、今度は捕手の話をします。
カープは、正捕手候補がわんさかいますが、多すぎて起用が中途半端になっているように思います。
強いチームには良い正捕手がいます。
では、良い正捕手の条件とは何かですが、打撃ではありません。
肩でもありませんし、キャッチングでもありません。
重要なのはなんといってもインサイドワークです。
捕手は、一人だけ逆方向を向いて現場での指揮をする立場にいます。
相手チームの戦術や打者の狙いを読み、サインを出して、守備位置を変えさせたり、打者の読みを外し、あるいは投手と打者の力関係を見抜くなどして、配球に工夫を凝らし、相手に無駄な得点を与えないように具体的な戦術を実行する現場監督です。
肩がいいに越したことはないし、打てればなおいいですが、それは二の次です。
今のセリーグを見ても、投手がいいとされるチームには、良い捕手がいます。
スワローズ、タイガース、そしてドラゴンズには良い正捕手がいます。
特に、圧倒的な投手力とまでいえないスワローズが連覇できたのは、なんといっても中村悠平の正捕手定着が大きいといえます。
一方、カープ、ジャイアンツ、ベイスターズには、現状、正捕手といえるような選手はいません。
つまり、投手力がいいとされるチームには、良い正捕手がいるのですが、セリーグの現状を比較すればわかるとおり、それは決して偶然ではありません。
なので、新井さんには、良い捕手の資質を持っている選手を辛抱強く起用して、投手から信頼される正捕手を辛抱強く育成してもらいたいと思います。
それがカープの黄金時代の再来につながると確信しています。
もちろん、新井さんが捕手に専念させると宣言した坂倉には期待していますが、ともすれば、彼の打撃を活かすことが優先で、捕手としての適性がどうかの見極めがなされたうえでの判断ではないのではという気がしてなりません。
打撃については打てるに越したことはありませんが、何よりも捕手としての適性を備えるのが誰なのか、可能性のある原石を見極め、チャンスを与えてもらいたいと思います。
もし、坂倉よりもインサイドワークの優れた捕手がいるなら、その選手を辛抱強く起用し、坂倉をコンバートするという選択も視野に入れるべきです。
実際、カープの誇るあの偉大な衣笠だって、元は捕手でしたが、カープを赤ヘル軍団に生まれ変わらせたルーツ監督の説得で、三塁にコンバートされてその思い切りのいい打撃が花開いて球史に残る選手になったのです。
また、捕手は経験の必要なポジションといわれますが、経験が浅くても、捕手としての適性がある選手なら、目を瞑って正捕手に起用するべきです。
インサイドワークに優れた正捕手さえ育成できれば、しかもその選手が若ければ、向こう10年は安泰で常に優勝争いに食い込めることも可能だからです。
たとえば、マリーンズは、10代の松川を積極的に起用していますが、いずれマリーンズが黄金時代を迎えるに違いありません。
とまあ、いろいろ書きましたが、いよいよペナントレースがスタートします。
ファンにとっては一喜一憂する日々の始まりですが、日々の勝敗に拘りつつも、長い目で応援して行きましょう。
今度はベイスターズについて書きたいと思いますが、何処かで野球論を語らせてくれないかなあ・・・。
日々雑感~広島カープ再生への道Part2
Part1に続いて、いよいよ、如何にしてカープを強くするか、まずは、攻撃陣の問題から取り上げます。
機動力の問題など個別に検討すべき点はありますが、ここのところのカープに決定的に欠けていたのは、チーム内の公平で健全な競争です(それは投手陣についてもいえることではありますが)。
実績のあるベテランが結果を残せないでいるのに、そのままベテランを使い続け、スタメン起用をしなくなってもそのまま一軍ベンチにいさせ続けるという、政治の世界も含め、今の日本を停滞させている「忖度」が、カープの中でもあるのではと疑いたくなるような采配、選手起用が、ここのところずっと続いていました。
いかに三連覇に貢献した選手であっても、結果が著しく悪ければ二軍に落とし、若手にチャンスを与えることがチームの活性化につながるのに、それが十分なされていたとはいえない状況でした。
古い話で恐縮ですが、1975年に初優勝したカープのその後をちょっと振り返ります。
初優勝した後、カープはなかなか優勝できず、順位もじわじわ転落して行きます。
その中で、古葉監督は、徐々に戦力を立て直して二連覇を成し遂げるのですが、高橋慶彦や山崎隆造、正田耕三といったスイッチヒッターを辛抱強く起用し、機動力野球と200発打線の融合の完成形ともいえる、見ていてわくわくするチームを作り上げ、赤ヘルカープの第一期黄金時代を築き上げました。
今も破られていない連続試合安打のプロ野球記録を持つ高橋慶彦の真骨頂は、なんといっても失敗を恐れず盗塁に果敢にチャレンジし続ける姿勢で、多い時は年間70個以上の盗塁を記録していましたが、山崎も正田も走れるスイッチヒッターで、相手チームにとっては脅威でしたし、正田は二年連続首位打者にも輝いています。
しかし、ローマは一日にして成らずで、可能性のある選手については、目を瞑って起用し続ける辛抱強さが求められるのですが、古葉監督の起用法はまさにそんな感じでした。
シビアに言えば、ベテランと若手が同じ程度、あるいは若干若手のほうが力量が劣っても、伸びる可能性に賭けて機会を与えることが必要であり、それをやってこそ「育成」といえるわけです。
資金力が乏しい球団は、どこかの球団みたいに選手を取っ換え引っ換えしたりできないのですから、若手に機会を与え、結果が出ず、批判を浴びても粘り強く使い続ける根気を持つことが戦術として必須なのです。
もちろん、ベテランにもチャンスは与えるべきですが、伸びしろは少なく、一方で「慣れ」という優位さがあるわけですから、それを活かせず、結果が出せないのであれば、若手に居場所を譲らなくてはならない立場にあります。
もっとも、個々の選手からすれば、結果が出なくても、自ら二軍に落としてくれというはずはありません。
そこをシビアに判断し、決断を下すのが首脳陣の仕事なのです。
三連覇を共に経験したベテランに毅然と接するということは、新井さんにとってはしんどいところかもしれませんが、指揮官としての能力、姿勢が問われる試金石になると思います。
もう一つ、二軍から上げた選手には、その都度、何度かチャンスを与えるということを方針として確立し、徹底すべきです。
去年までのカープの選手起用を見ていると、一軍に上がった選手が一度も起用されないまま二軍に落とされるということがしばしばありましたし、試合で結果を出したのに、その後起用されず、そのうち二軍に落とされるということもありました。
もちろん、現場で練習などを見ていて使えないと判断されることもあるのかもしれませんが、その選手が腐ってしまうだけでなく、他の選手の士気にも大きく影響します。
やはり、選手にとっては、がんばったら一軍に上げてもらえる、一軍に上げてもらえたら何度かはチャンスを与えてもらえる、結果を残せば続けて起用してもらえるということが何より励みになるわけです。
チームを如何にして活性化させるかについては、ほかにもいろいろな手法が考えられますが、ベテラン、若手を問わず、できるだけ平等に競争の機会を与えることが、カープのような資金力の乏しい球団にとっては重要な戦略といえます。
その中から新しい戦力が出てきてチーム内競争が激しくなることこそがチームを強くするための最良のレシピなのです。
もう一つ、攻撃陣の問題点として挙げられるのは、得点力の低さです。
打率が高いのに、得点が少ないのは、長打力不足ということもありますが、それは一面であり、本質的な問題点はほかにあります。
ここのところの得点力の低さは、厳しい言い方をすると野球の質の低さによるものです。
野球というスポーツは、投手と打者の一対一の戦いという部分が大きいのですが、それに関して言えば、普通にやれば70%以上投手が勝ちます。
ましてやエース級を相手にすれば、あるいは、去年の日本シリーズでも明らかなとおり、勝負所で160キロ近いスピードの直球と落差の激しいフォークを投げ分ける投手が出てきたら、90%以上投手の勝ちとなります。
そこで勝つために知恵を絞り、戦術を駆使するのが首脳陣の仕事なのですが、ここのところのカープは、残念ながらその戦術を練り上げて実践するということができていませんでした。
その結果、相手チームのバッテリーは、概ね一対一の打者との戦いに専念でき、優位に立っていました。
よくいやらしい野球といいますが、古葉監督時代の強い時のカープは、何をやってくるかわからないと相手にそう思わせる野球でした。
それは、たとえば、ヒットエンドランや盗塁だけではなく、バスター、ドラッグバント、あるいは走る構えを見せるだけでも違います。
もちろん、徹底した右打ちもそうだし、ただ打つだけのときは徹底して右打ちを試みながら、ヒットエンドランになったら、三遊間を狙うといった戦法もあります。
要は、打者が打席に立った時の、攻める側の引き出しの多さが重要なのです(引き出しが多ければ、相手が警戒して四球を得ることもできますし、球数を多く投げさせれば打ちあぐんでいるエース級の投手をマウンドから引きずり下ろすこともできます)。
戦術として大切なことは、個々の選手の走塁の技術や走る意識づけだけではなく、それを戦術に如何にして組み込むかということです。
参謀となる藤井ヘッドコーチや石原コーチは捕手出身ですから、捕手の目から見て、どう攻められたら嫌かという視点でもってそれを攻撃に関する戦術に生かして練り上げ、新井型攻撃野球を構築していってもらいたいと思います。
失敗を恐れず、アグレッシブで、相手から見て何をやってくるかわからない、そんなワクワクドキドキな新生赤ヘル野球を期待しています。
もちろん、ホームランは野球の華ですし、新井さんなので、そこも期待したいところですが、それは選手の成長にかかるので、ファンとしても、一足飛びではなく、長い目で見ることが肝要と思います。
ほかにも打順の組み方や、會澤あたりを一塁、三塁あたりで起用するなどの積極的なコンバートとか試みるべきことはいくらでもありますが、ひとまず、攻撃陣についてはこれで締めます。
次は守備の問題を取り上げますが、長くなったのでPart3に続きます。
日々雑感~広島カープ再生への道Part1
初めにお断りしますと、今回の記事については正月頃に書いたものをそのまま寝かせておりました。
いよいよ今年のペナントレースがスタートするということで、事務所のホームページに割り込み掲載させていただくこととしたものです。
プロ野球、あるいは広島カープに興味があり、ちょっとお時間のある方にお読みいただければ幸いです。
私は広島出身で、長年のカープファンです。
艱難辛苦の後の1975年の初優勝も、2016年の25年ぶりの優勝も現地で観戦しています。
横浜スタジアムにも、「こい9」、つまり「広島カープを応援する9条の会」と称して、年に数回程度は出没しています。
ついでにいうと、一時期、ネット上でカープ応援ブログを掲載して、多い時は、2万人以上の方に閲覧していただいていた隠れ人気ブロガーだったのです(一気に目が悪くなったこともあって、半年ほどで止めましたが)。
カープファンではありますが、今は地元のベイスターズも応援していますし(なので、次はベイスターズについても取り上げたいと思っています)、また、アンチジャイアンツで、プロ野球の改革のことや社会や青少年への影響についても、熱く語ってしまうところもあります。
いつかまたカープ応援ブログを再開したいのですが、今は、そんな時間もなく・・・ちょっと鬱憤が溜まっています。
ところで、わが愛するカープは三連覇してからいきなり低迷期に入ってしまい、それ以上に、チームに活気がなくなってしまっているように感じていました。
そんなところで、新井貴浩氏が新監督に就任となりました(以下、親愛の情を込めて「新井さん」と呼ばせていただきます)。
もちろん、新井さんは、現役引退からまもなく、コーチ経験もないので、そうした経験の乏しさを危惧する意見もあるようですが、カープらしい魅力あるチーム作りを任せるには最適の人物と思います。
野球に限らず、スポーツは勝ち負けも大事ですが、それ以上に、応援したくなるようなチームか否かが大切であり、はき違えて目先に勝ち負けに拘り過ぎる人もいるみたいですが、新井さんは、応援したくなるチーム作りという点では、きっとその期待に応えてくれるに違いありません。
実際、彼自身の球歴を見ても、ドラフト6位から這い上がり、ホームラン王になりながら、彼なりに悩んでいったんはカープを出て、タイガースで活躍したものの、成績が落ちて自由契約となったところで、大減俸を受け入れ、バッシング覚悟で地元のカープに戻り、泥まみれになりながら復活して三連覇に貢献し、MVPにも輝くというドラマチックな野球人生を過ごしてきたわけですが、彼のさらに素晴らしいところは、そのようなすごい経歴を誇りながら、決して偉ぶらず、最後までチームの後輩選手からもいじられる愛すべきキャラであり続けたことです。
時々、彼が野球の実況解説をしているのを聞いても、そうした人柄の良さが滲み出ていると感じます。
カープファンに限らず、多くの人が好感を抱き、応援したくなる好人物であることは間違いありません。
とはいえ、彼にはコーチの経験すらありませんし、チームも4年連続でBクラスに甘んじており、立て直すのは容易ではないようにも見えます。
また、指導者としては優しすぎるのではないかとの不安もあります。
それゆえ、周囲には、長い目で見てあげようというムードがありますし、私も個人的にはそんな気持ちもないわけではありませんが、勝負事ですので、そんな甘いことは言っていられません。
また、今のカープは、結果として下位に低迷していますが、上位との差は紙一重です。
現に、スワローズだって、二連覇する直前まで下位で低迷していました。
ベイスターズはもちろん、去年6位のドラゴンズだって投手力の充実ぶりからしても、ちょっと戦力が底上げされれば十分優勝のチャンスはあります。
裏金にまみれたアンフェアな逆指名制度が廃止されたことによって、戦力の均衡はある程度保たれており、下剋上のチャンスは大いにあるわけです。
そうである以上、逆に言えば、勝ち負けは、チーム力をどうやって上げていくか、そしてどのような戦術で戦うかという、首脳陣の力量の差で決まるといっても過言ではありません。
スワローズやブルーウエーブが2年続けて優勝できたのも、そうした首脳陣の力量によるところが大きいと思います。
というわけで本論です。
如何にしてカープを強くするか、新井さんをはじめとした首脳陣は、チーム力を上げるために何をすべきかを(元隠れ人気ブロガーとして)ちょっと偉そうに独断的に語ってみたいと思います。
如何にしてカープを強くするかを考えるうえで、ここのところの低迷の原因を検証することが前提として必要となります。
昨年までの低迷について、ぱっと思いつくところでいえば、故障はあったにせよ、先発陣が後半がたがたになったこと、中継ぎ陣が安定していなかったこと、チーム打率はセリーグトップなのに得点が少なかったこと、さらにその原因としてはホームランが少なかったこと、チーム盗塁数が異常に少なかったことなどが挙げられるでしょう。
しかし、それは結果として数字に表れているところであり、問題はどうしてそうなったのかであり、そこを見直し、変えていかなければなりません。
話が被るところもありますが、ここではまず攻撃の問題と守備の問題とを分けて取り上げてみます。
とここまででかなりな量になってしまいましたので、続きはPart2ということで・・・。
日々雑感〜「いわたくんちのおばあちゃん」を読んで
縁あって、「いわたくんちのおばあちゃん」という絵本童話を読みましたので、今日はそのお話をさせていただきたいと思います。
この「いわたくんちのおばあちゃん」がどのようなお話かといいますと、いわたくんのおばあちゃんが、いわたくんの運動会を見に来たのだけれど、家族写真を撮ろうと声をかけられた時に、おばあちゃんは「みんなと一緒に写ることができない」ということを聞かされるのです。
そして、そこから、周りの人がおばあちゃんのつらく悲しい戦争の体験を知ることになるというお話なのですが、このお話はいわたくんのおばあちゃんが広島で被爆した体験に基づく実話なのです。
さらに、ごく個人的なことなのですが、「いわたくんちのおばあちゃん」は、私が子供の時に隣に住んでおられた方で、私の亡き母とは、生涯とても親しくお付き合いいただいた友人でもあるのです。
そうしたご縁のお話はひとまず措くとして、この絵本童話は、おばあちゃんの心に秘めたつらく悲しい被爆体験をわかりやすく伝えるとても素晴らしい作品だといえるでしょう。
私自身、広島出身の被爆二世であり、また、神奈川県在住の被爆者の原爆症認定訴訟にも関わっていましたので、亡き父も含め、多くの被爆者から辛い被爆体験を詳細に伺っていたりします。
しかし、いろんな被爆体験を直接伺う機会がそれなりにあった私でも、この絵本童話を読んだときには思わず涙してしまいました。
お話の内容に触れることなので詳しくは述べませんが、おばあちゃんの家族は、おばあちゃんを除いて全員原爆で亡くなっています。
おばあちゃんは、当時まだ10代でしたが、直前まで一緒に暮らしていた家族の平穏な生活が一瞬にして奪われたのです。
そのあまりにつらい体験が冒頭の写真のお話につながります。
一瞬にして平穏な生活を根こそぎ破壊する核兵器の恐ろしさのお話でもあり、また戦争被害のリアルな真実、本質がわかりやすく伝わってきます。
この絵本童話の中にも出てきますが、いわたくんのおばあちゃんの長女、つまりはいわたくんのおかあさんが、おばあちゃんの被爆体験を伝える語り部の役目を果たしておられます。
実は、このいわたくんのおかあさんは私の幼馴染でもあるのですが、私と同じ本川小学校の出身でもあります。
本川小学校は、爆心地から最も近くの小学校であり、今の平和公園の北側に架かる相生橋を西側に渡ったすぐ下手にあります(原爆資料館にある被爆直後の写真にも写っています)。
私が作った「相生橋から」という歌の中に「橋の下手の学校の校庭で戯れる子供たち」という歌詞があるのですが、それは本川小学校のことです。
この本川小学校の一角にも小さな原爆資料館がありますが、いわたくんのおかあさんは、その設置にも尽力したと伺っています。
絵本童話の作成もそうですが、被爆体験を風化させないためのそうした取り組みには、心から敬意を示したいと思います。
ここでちょっと思い出話をさせてください。
いわたくんちのおばあちゃんは、私の生家の隣で生涯お茶屋さん(お茶を売る方のお茶屋ですが)を営んでおられました。
おばあちゃん(もちろん、私が子供のころはおばあちゃんではありません)は、小柄な方でしたが、いつもにこにこして優しい女性でした。
私の母も、その方が大好きで、お茶屋さんの隣から引っ越して以後も、亡くなるまでずっとお茶はいつもそのお店で買っていましたし、たまに私が一緒についていくこともあったのですが、いつ行っても、とても優しく接してくださいました。
そんなわけで、すごく懐かしい方でもあるのです。
しかし、そんな優しい方にこんなつらい戦争体験があったことを私は全然知りませんでした。
同世代だった私の母にも、両親と弟が満州で行方知れずとなり、数十年後になって、終戦の混乱の中で餓死したのだと知らされるという、やはり人には言えないつらい戦争体験がありました。
しかし、母もいわたくんちのおばあちゃんも、共通するのは、人に対して本当に思いやりをもって優しく接する人だったということです。
絶望したくなるようなつらい戦争体験を心に秘め、戦後の混乱期を歯を食いしばって生きながら、なぜあのように人に優しく思いやりのある人でいられたのか、とても不思議な気持ちがする一方、逆に、あのようなつらい戦争体験があったからこそ、平和に家族と暮らせる喜びを噛みしめながら、周りの人たちにも優しく接することができたのかもしれないと、母のことも含め、あらためてそんなことを感じています。
今や、被爆体験を語れる人は本当に少なくなってしまいました。
かつて原爆症認定訴訟に携わった時に、被爆体験を語っておられた被爆者の方々もすでにその多くが亡くなられました。
ですが、ウクライナへのロシアの侵略や、日本も含めたその後の世界のきな臭い動向を見るにつけ、被爆の体験、実相を語り継いで、核兵器の恐ろしさを伝えて行くことは、広島や長崎に生まれ育った人間の使命なのではないかと強く感じます。
私が作った曲でまだCD化はしていませんが、ライブでは必ず演奏する「最後の語り部」という作品があります。
「忘れられないあの日からいったいどれだけの時がすぎてしまったんだろう そしていつか誰かが本当に最後の語り部になってしまってるんだろう」という繰り返しの歌詞があるのですが、それは、一方で二度と核兵器が使われない世界が来ることを願いつつ、他方で、核兵器の被害を矮小化し、被爆者を軽んじる日本の行政の姿勢を糾弾するというものでした(実際、原爆症認定訴訟の活動の中で知った、日本の被爆者行政の姿勢は本当にひどいものでしたから)。
いわたくんちのお母さんが、おばあちゃんの被爆体験を語り継ぐ「語り部」として、生まれ育った広島で頑張っておられることを、幼馴染として、また同じ被爆二世として、誇りに思いつつ、エールを送りたいと思います。
最後に、この「いわたくんちのおばあちゃん」は、多くの人に読んでもらいたい絵本童話ですので、興味を持たれた方は、ぜひ購入してご一読ください(広島では本の内容が平和教材に指定されているそうで、入手は大変かもしれませんが)。
ちなみに、うちの事務所には、常設しております。
事件日記~調停に代わる審判のお話
離婚事件に限りませんが、裁判実務というものは日々変化していますので、私たち弁護士も法律自体だけでなく、実務の傾向や状況についても情報をアップデートして行く必要があります。
しかし、難しいのは、この実務に関する情報のアップデートは、知識としての補充だけでは足りないということです。
やはり、裁判所に行って、調停委員、裁判官と直にやりとりをして、経験を重ねながら身に着けていくしかない部分があります。
それを身に着けることで、事件の見通しを立てやすくなり、また節目節目での判断がより的確にできるようになるのです。
その一例として知っておく価値があるのが「調停に代わる審判」という制度なので、今日はそれを取り上げてみます。
調停に代わる審判とは、ある程度調停が進んだ段階で、裁判所が相当と認める場合に、調停を打ち切りつつ、審判、つまり、裁判所として解決案を提示するもので、家事事件手続法284条に定められている制度です。
通常、離婚関連事件では、たとえば離婚調停がまとまらず、不成立になると、訴訟に移行することになりますし、面会交流などの事件は、調停から審判に移行することになります。
いずれもそこから新たに別の手続が始まり、双方が主張立証を重ねて、裁判所の判断を仰ぐことになるわけです。
たとえば、離婚調停と併せて、子の面会交流の調停が同一の調停期日で実施されているとした場合、争点の大部分についてほぼ合意ができていながら、任意の合意形成がどうしても困難な状況になったとします(実際、感情的な軋轢が伴う離婚関連事件ではしばしばあることです)。
ここで双方の調停を不成立で打ち切ると、前述のとおり、離婚事件は訴訟、子の面会交流は審判という非公開の手続へと切り替わりますので(厳密にいえば、離婚は、当事者が新たに訴えを提起しなくてはなりませんが)、当事者は、それぞれ別々の手続で争い続けることになるわけです。
ところが、ここで裁判所が、調停に代わる審判を出して、双方がそれを受け入れれば、そこで事件の全体解決を図ることができるわけです(もっとも、いずれかが異議申立をすれば、本来の流れに戻ることになりますが)。
当事務所で扱っている家事事件においても、調停に代わる審判を出されたケースがありますし、手続中に、裁判所が調停に代わる審判を出す方向で強く押してくるケースも少なからずあり、ここに来てれその比率が高くなっているという印象があります。
ただ、率直に申し上げると、代理人の立場から見て、調停に代わる審判がふさわしい事例とそうでない事例があるように思います。
この辺りは、最初に書いたように、現場で経験しないとわからないことですが、実務では、調停に代わる審判も、裁判所にお任せでいきなりポンと出てくるわけではなく、調停の席上で、裁判官や調停委員とやりとりをしながら、個々の争点について、どのあたりであれば当事者が納得できそうかの擦り合わせを行ったうえで出してくるという印象を受けました。
夫婦関係の紛争ですので、内容的には合意できそうなところまで来ていても、感情的に受け入れられないというような場合、代理人としても、あとほんのちょっとなのに惜しいなと思うことがあるわけで、そのような場合に、裁判所が、当事者が折り合えそうな着地点を丁寧に模索して、調停に代わる審判を出してくれるのであれば、事件によってはとても良い解決法だと感じます。
もっとも、一方で、当事者が重視しているポイントや心情を軽視してやや強引に裁判所が調停に代わる審判に持っていこうとして依頼者がかえって不信感を抱いてしまったケースもありました。
ここらあたりは裁判官による違いもあるのでしょうが、条文にもあるとおり、具体的に事案に応じて、「当事者双方のために衡平に考慮し」「一切の事情を考慮し」た内容をどうすれば実現できるか模索しながら、手続を進めて行く姿勢が、弁護士の側にも求められることになります。
いずれにしても、調停に代わる審判には、合意成立まであと一歩までこぎつけたような事件での不毛な紛争の長期化が防げるというメリットもあるので、今後さらに裁判所が「調停に代わる審判」をより積極的に活用してくるはずですので、私たち弁護士も準備を怠らず、手続に臨んで行かなくてはならないと思います。