事務所トピックス

日々雑感~能登半島地震と「流体」「活断層」のことPart2

弁護士 折本 和司

Part1からの続きですが、能登半島のエリアは、今回の地震が来る前には、国が作成する地震マップ上では、危険な活断層がないことになっていました。

また、一昨年の群発地震の際も、地震調査委員会の平田という委員長は、「今後も、しばらくは同程度の規模の地震が起きる可能性がある」と通り一遍の見解を述べるだけで、今回も同じ人物が同じような発言を繰り返していました。

しかし、Part1でも指摘したとおり、その時点ですでに、金沢大、京大あたりの研究者は、「流体」の存在に着目し、さらなる巨大地震、さらには津波の危険にまで言及していたわけですから、地震調査委員会の認識が不十分であったことは明らかだし、委員会の存在意義が疑われてもおかしくない失態なのではないでしょうか(多くの方が亡くなっているのですから、せめて、委員会の認識が甘かったくらいのことを言って頭を下げるくらいのことはしてほしいと思いました)。

そこからさらに考えたことがあるのですが、それは、地震予知でしきりに使われる「活断層」という言葉の意味の曖昧さです。

これって、本当に自然科学的にみて、正しく使われている言葉なのでしょうか。

たとえば、ここのところで起きている巨大地震のうち、「活断層」のずれで起きたとされるものは、長野県北部地震と熊本地震のみだそうで(東日本大震災は発生の機序が異なります)、それ以外は、今回の能登半島地震も含め、活断層があると事前に指摘されていない場所で起きているのだそうです。

となると、断層を活断層とそうでないものに分けることに何の意味があるのかという疑問が湧いて来ます。

もちろん、活断層がある場所では地震への備えに心がけるという啓発的な意味はあるのでしょうが、これから断層がずれる可能性があるかなんて、今の科学のレベルでは厳密に判断できないというのが本当のところではないでしょうか。

実際、今回の能登半島地震が起きたメカニズムが「流体」の影響によるものだとした場合、「活」断層か否かは、何の意味もないのかもしれません。

平松教授らによると、地下の流体は、東京ドーム23杯分もあったそうで(それがわかることがすごいですが)、それが海底の断層に入り込んで断層を押し広げ、ずれを招いたというのですから、流体の行方次第ということになり、流体が入り込む余地のある断層さえあるなら、何処であれ、今回のような地震は起き得るということになるからです。

ところで、「活断層」か否かは、日本の将来を左右する重要な場面で、意味を与え続けられて来ました。

それは原発の再稼働を認めるかどうかという場面でのことです。

政府の原子力規制委員会は、原発の立地が活断層の上ということでなければ再稼働を認めるという方針を取っており、電力会社側は、「指摘された断層は活断層ではない」という検証の報告書を提出して、再稼働に持って行こうとしている現状があります。

しかし、実際の巨大地震が、活断層と位置付けられてない場所で起きるというのであれば、そんな基準や議論には何の意味もないことになります。

実際、能登半島にあり、かなりの被害を受けたとされる志賀原発の再稼働に関する審査で、象徴的ともいえる茶番のような事態が起きています。

敬意をたどると、2012年ころ、志賀原発の敷地内に活断層があるのではという指摘があり、その後、国も活断層との認識を示していました。

ところが、その後、北陸電力側が、調査報告書を提出して、去年の原子力規制委員会で、いったんは国が認めた「活断層」との認識をひっくり返し、「活断層ではない」として、再稼働の方向に舵を切るという、今から見れば、明らかな失態を犯しました。

地下の流体が断層を押し広げて、断層のずれを引き起こすというメカニズムを前提に考えると、定義の曖昧な「活」断層か否かで、再稼働を認めるなんてもはや茶番というほかありません。

原発規制委員会の審査のあり方の根本が問われているといっても過言ではないでしょう。

前にもそういう表現を使ったことがありますが、原発は、「動かない(動かせない)核兵器」です。

実際、かつて宮崎駿監督はこんなにも多くの原発がある日本が戦争なんかできるわけがないと言っておられますし、北朝鮮は、日本と戦争になれば、原発にミサイルを撃ち込むと挑発していたこともあります。

戦争のことはともかく、もし、万が一にも、福島原発で起きたような事態が再び起きれば、その周辺が根こそぎ廃墟となることは避けられず、本当に取り返しのつかないことになります(実際、福島の現実は取り返しのつかないものです)。

今回は、たまたま海底の断層がずれましたが、志賀原発の直下あるいは近辺の断層がずれて、海底が数メートルも隆起すれば、電源喪失どころか、建屋が破壊され、メルトダウンは必至だったはずです(再稼働に反対する人の粘り強い運動がなく、再稼働となっていたら、今回の地震の影響でより重大な被害が出ていた可能性だって否定できません)。

原発の再稼働で議論されているような電源喪失を防ぐ体制のあるなしの次元ではないのです。

また、能登半島のほんの少し南西側には、いわゆる「原発銀座」があります。

そこに、今回のような巨大地震が直撃すればどうなるでしょうか。

関西圏、北陸圏は壊滅の危機に瀕するでしょうから、想像するだけで空恐ろしいことです。

所詮、原子力規制委員会も、地震調査委員会も、原発を推進しようとする今の自民党政府の関係機関にすぎません。

巨大な震える舌の上に乗っかっている日本列島に生きている以上、いつどこで巨大地震に見舞われるかわからないわけで、「活断層」なんて紛らわしい言葉でもって、国民を欺くのはもうやめて、すべての原発の稼働を停止していく方向へと政策転換すべきです。

今回の能登半島地震のことで、もう一つ強く感じたことがあります。

それは、地震が起きた後の援助、サポート体制が如何に脆弱であるかということです。

地震が起きた直後の救援活動の初動の遅さの問題もありますが、それだけでなく、今回のようにインフラが壊滅状態になったときに、現地で苦しんでいる人たちのことが連日カメラが入って報道されているにもかかわらず、なぜそれが未だに解消されないままなのかという備えの脆弱さについてです。

能登半島からちょっと外れた場所では、何事もなかったように人々は暮らしています。

もちろん、どこにいても、多くの人が日々の生活、仕事に追われていますから、それは致し方のないことでもあります。

ただ、地震や洪水などの重大な被害は、決して他人事ではありません。

それゆえ、起きてからの対応ということではなく、たとえば、水や食料、さらには住む場所の確保の問題あたりについては、災害が起きるよりもっと前の段階で、より広域で対応を考えておくべきことではないでしょうか。

実際、日本の人口は、すでに減少しかけており、あちこちで過疎化が進んでいますから、いざとなったときに、緊急で避難する人を受け入れる体制をあらかじめ構築しておくことは十分に可能だし、特に、地震や洪水などの甚大な被害は毎年のように起きているわけですから、それこそ、いざというときに何の役に立たず、政治的な思惑に左右されるだけの「何とか委員会」なんかより、そういう仕組みを優先的に作って、その時に備えておくべきと思います。

まあ、裏金工作で、如何にして自分の懐を温めようかということしか考えない、今の保守政党の連中には、期待するだけ無駄のようにも思いますが。

根本的な問題は、私たちが、この国をどうしたいかというところにかかっています。

目先の経済的利益を優先し、弱肉強食で、搾取される人が苦しむのを放置するような社会を目指すのか、そうではなく、経済的にも所得の再分配で健全な競争社会、そしていざとなれば助け合えるような共助の仕組みを手厚くするような社会を目指すのかということなのだと思います。

後者を目指したいと思う人が増え、選挙に行き、声を上げるような社会であってほしいと心から願っています。

2024年02月12日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~能登半島地震と「流体」「活断層」のことPart1

弁護士 折本 和司

2024年は、元旦から能登半島地震、航空機事故と波乱の幕開けとなりました。

地震については、かなりの方が亡くなられており、珠洲市あたりでは家屋の大部分が倒壊するなど、大変な被害となっており、心が痛みます。

被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

まだまだ寒い時期が続きますし、本当に大変だとは思いますが、なんとか乗り切っていただきたいと思います。

今回の地震が起きてからいろいろな情報に触れながら考えたこと、思ったことなんかをつらつらと書き綴ってみようと思います。

長くなりますが、興味のある方はお読みください。

 

はじめに、ちょっと唐突ですが、火山のない和歌山に温泉が多い理由をご存じですか?

実は、去年、私は和歌山に2回も行ったのですが、その際にそんな疑問に触れました。

和歌山に2回行くことになったきっかけは、那智勝浦の色川という集落に住んでいる中学時代からの親友のお母さんが亡くなられたことでした。

遠く和歌山で亡くなられたお母さんのことを彼と一緒に偲び、見送ってあげたいと思い立って、久しぶりに和歌山に足を運びました。

帰ってから、今度はその話を横浜の弁護士仲間としていたら、その中になんと祖父が色川に住んでいたという友人がいて、そこから再度の和歌山行きが実現しました。

和歌山で楽しかったことはいろいろあったのですが、それはまたの機会ということで、ここから温泉の話をします。

 

和歌山にはあちこちに自噴の温泉があります。

旅行の際に泊ったのが川湯温泉というところで、その名のとおり、河川敷に湧く温泉に水着で浸かるのですが、移動中には「つぼ湯」で有名な湯峰温泉にも立ち寄りました。

湯峰温泉の場合、そばを流れる細い川にも硫黄の強烈なにおいが漂っていました。

ほかにも和歌山といえば、南紀白浜温泉あたりが有名ですが、旅の途中で、和歌山県には実はひとつも火山がないという話になりました。

なのに、なぜ温泉がこんなにたくさんあるのか、不思議に思ってちょっと調べたのです。

 

調べていくうちに知ったことですが、和歌山は今でこそ火山がないものの、1400万年前には阿蘇山よりもはるかに巨大なカルデラの火山があったのだそうです。

そのため、紀伊半島は火成岩で形成されており、太平洋に大きく出っ張って黒潮に面していながら、潮流に削られないであの半島の形を保っていられるのは、固い火成岩のおかげであり、那智の滝のむき出しの岩肌も火成岩だとのことでした。

それはともかく、ここからが本題です。

和歌山に温泉が湧き出る理由というか、メカニズムですが、それはユーラシアプレートの下にフィリピンプレートが潜り込んでいく中で、海水が引き込まれるのだそうで、引き込まれた海水が地下で熱せられて、豊富な地下水がその影響で温められて温泉となって湧き出るのだそうです。

実際、南紀白浜温泉の湯温は100度にもなるそうですが、私たちの足元の地球の奥深くには、人智などはるかに及ばない苛烈な自然が潜んでいるんだとそんなことを考えたりしました。

 

調べ終わった時には、「ふーん、なるほど」という感じで受け止めていたのですが、年が明けて能登半島で震度7の地震が起きた際に目にした地震のメカニズムに関するニュースを見て、「あれっ?もしかして」と思うようになり、そこから少し情報収集に努めました。

なぜかというと、能登半島の地震も、おおもとに遡れば、フィリピンプレートの潜り込みによって起きているということだったので、もしかしたら和歌山の温泉の話と共通する点があるのではないかと思ったからです。

聞きかじりの知識ですが、どうやらビンゴのようです。

能登半島ではここ数年群発地震が続いていて、一昨年の5月にもかなりの規模の地震が起きているのですが、この群発地震のメカニズムを研究している京大や金沢大等の学者が、一昨年の地震の際、以下のようなことをおっしゃっていたのです。

そのうちの金沢大学の平松教授の発言ですが、「この群発地震は、フィリピンプレートの潜り込みとそれに伴う大量の『流体』の影響で起きており、この流体の影響が海底の断層に及べば、さらに大きな地震や津波が起きる危険もある」と明言されていました。

そして、この正月にまさにその指摘通りの事態が起きてしまったわけです。

最近読んだ、東京工大の中島教授という方の研究成果の記事でも、「流体には浮力があり、この流体が地下断層に及べば、液体の影響で断層が滑りやすくなって、地震を誘発する」と記載されていました。

 

私は、今回の地震のニュースで初めて「流体」という言葉を知りましたが、プレートが潜り込んで、海水が引き込まれていくということであれば、火山帯がない場所に温泉が出るのとまったく同じメカニズムということになります(実際、能登半島の地下の流体は非常な高温のようです)。

実は、和歌山の温泉の情報に接したときには、このプレートの潜り込みというのは、紀伊半島の下くらいまでだと勝手に思い込んでいたのですが、そんな規模ではなく、プレートは日本列島を超えて、日本海側にまで潜り込んでいたというわけです。

この潜り込んでいるプレート(今回は位置的にフィリピンプレートなのかもしれませんが、伊豆半島から東側は太平洋プレートが潜り込んでいますから、同じことです)を舌にたとえると、日本列島は常にこの凶暴な震える舌の上に乗っかっていることなわけで、つくづく日本は地震に見舞われるリスクが非常に高い地理的な条件の国なのだとあらためて痛感させられます。

となると、日本列島では、いつどこで巨大地震が起きるかは本当に紙一重といえますし、この島国で暮らす私たちの日常や経済的繁栄なんて自然の驚異の前では砂上の楼閣にすぎないのかもしれません。

この話はさらに続きますが、長くなるので続きはPart2で書きたいと思います。

 

2024年02月12日 > トピックス, 日々雑感

事件日記~最近当事務所において解決した、ある交通事故案件についてのご報告

葵法律事務所

弁護士は、事案に応じ、局面に応じ、様々な選択をしなくてはなりませんが、その中で大変なのは、新しい法律知識や判例の検討はもちろん、実務の動向にも気を付けなくてはならず、実は、それが落とし穴になることがあるということです。
最近扱った、ある交通事故の件がその好例といえますので、今回はその事件を取り上げてみます。

事件は、高齢の女性が横断歩道上を渡っていたところ、広い交差点であったため、青信号で渡り切れず、赤信号になってしまい、前を見ないで突っ込んできたバイクに撥ねられ、高次脳機能障害になったというものですが、この事件の加害者の男性は自賠責保険にしか入っていませんでした。
自賠責で支払われる額は、通常、任意保険よりもかなり低額になることが多いのですが、この事件では、たまたま、依頼者の息子さんが別の総合保険に入っていて、家族が人身傷害の被害を受けた場合も一定の補償を受けられるようになっていましたので、症状固定後、自賠責の被害者請求を行い、さらに当該保険会社からの条件提示を受けるに至りました(実際にはそれまでも紆余曲折はあったのですが)。
提示された条件は、検討してみると、加害者が任意保険に入っていた場合に比べ、やはり低額なものでした。
そこで、当職らは加害者に対して損害賠償請求訴訟を提起することとしたのです。
この点がポイントなのですが、この提訴の主目的は、資力の乏しい加害者から賠償を得るということではなく、人身傷害特約付きの保険契約を締結している損害保険会社から上乗せの保険金の支給を受けるというものでした。
実は、平成24年ころに保険実務が変更になったことで、被害者側が、加害者側に対して、訴訟を提起し、裁判所での和解もしくは判決で損害額が確定した時点で、上乗せの金額が支払われる場合があり、本件ではそれを利用してみる価値があるということで、訴訟を提起することとしたのです。
訴訟先行型と呼ぶのですが、つまりは、この制度を知らなければ、保険会社側が提示した金額をベースとした解決で終わってしまうことになるわけですから注意が必要なわけです。

訴訟になれば、事故態様からして、裁判所から早期の和解案提示がなされるのではないかと想定していましたが、実際には加害者側の代理人が、事故態様、過失割合等を正面から争ってきたことから、事故態様の立証などにエネルギーを割かなくてはなりませんでした。
確かに、加害者側としては、保険会社から将来求償を受ける可能性がある以上、損害額を減らしたいと考えるのは当然でもあり、このあたりはやむを得ないところでもありました。

ただ、この事件は、途中から様相を変えました。
加害者の代理人が、急に、破産申し立ての検討を始めたと伝えてきたのです。
そこで、保険会社側に確認するなどして検討したところ、破産が先行してしまうと、加害者側への求償が難しくなるため、当初の提示額にとどまってしまうという話が出てきたので、そこからは、一方で保険会社側から規約の提示を受けたりしながら、他方で、裁判所や加害者側との折衝を行うという両面対応を余儀なくされました。
結論的には、加害者側が破産申し立てをする前に、和解を行うのであれば、上乗せ額が支払われるという点を保険会社側に確認したうえで、裁判所に和解提案を求め、加害者側もそれを了承して、和解に漕ぎつけ、無事に解決に至りました。
保険会社の当初の提示額よりも1000数百万円程度の上乗せとなり、訴訟先行型の実を得られる解決となり、我々としても胸を撫で下ろしました。

交通事故に遭った時、加害者が任意保険に入っていないため、十分な賠償を受けられないというケースは、遺憾ではありますが、決して稀なことではありません。
そのことについて思うのは、事故のほとんどは過失によるものですが、任意保険に入らず、車を運転するというのは、「故意」であり、そのこと自体が厳しく罰せられるべきではないかということです。
なぜなら、大部分の運転者にとって、避け難いような状況で起きた事故であっても、ひとたび事故が起きれば、何らかの過失を問われることがあり得ますし(特に歩行者相手の事故についてはそういえます)、そうである以上、十分な賠償がされるための任意保険への加入は、「任意」ではなく、運転者の基本的な義務といえるからです。
ただ、実際は、任意保険に加入していない、さらには自賠責にすら入らず、ハンドルを握っている人が少なからず存在します。
そんな人がいったん事故を起こせば、被害者のみならず、加害者やその家族にとっても時に一生を左右しかねないほどの経済的な重荷を背負うことになるのです。
そうである以上、被害者側にとっても、別の損害保険に入って、人傷特約を結んでおくことは、いざという時の備えになりますし、本件であらためてそのことを痛感しましたし、弁護士としても、そのような事件に遭遇した場合には、保険の規約を精査し、それを最大限生かすような活動をしなくてはなりません。
なお、これも訴訟の中で知ったことですが、一言で訴訟先行型といっても、保険会社から受けられる保険金額は、会社によってその計算方法がかなり違っていますので、この点でも注意が必要です。
ともあれ、人生、いくつになっても日々勉強です。

2024年01月23日 > トピックス, 事件日記

医療事件日記~中心静脈カテーテル(CV)挿入の際の血管損傷による死亡事故の解決のご報告Part1

葵法律事務所

本件は、以前、当ホームページでも、事故後の院内調査が極めて不十分なものであったことについて医療事故調査制度のあり方との関係で取り上げた症例です。
事故の内容について概要で申し上げますと、中心静脈カテーテル(CV)の挿入の手技を試みた際に、誤って主要動脈を損傷し、その日のうちに出血性ショックで亡くなられたという非常に痛ましい事故です。
事故後の院内調査が杜撰なものであったことについては、繰り返しとなるので、本稿では中心的に述べません。
以前の記事をお読みいただければと思います。

同事故についてもう少し詳しく述べますと、それは、ある総合病院で、若い医師が鼠径部(足の付け根あたり)からのCVカテーテル挿入を試みたもののうまく行かず、約10回もの穿刺を行うも成功せず、穿刺針を長い針に変更して穿刺を終えたところ、術後に、血圧の急激な低下や皮下血種形成が確認されるなどの事態が起きていたのに、医療介入されることもなく、その後急変し、死亡に至ったというものでした。
ところが、事故直後の説明では、このような経緯を経たにもかかわらず、「COVID-19による感染症の増悪によるもの」との説明がなされています。
確かに、入院のきっかけは新型コロナウイルス感染でしたが、その説明に遺族が疑問を持ったことから、画像診断が実施され、その結果、骨盤内に血種様の所見が確認されたことから、解剖が実施されて右下腹壁動脈損傷による出血性ショックが死因であることが明らかとなったのです。

本件事故では、患者さんがなくなられるまでの医学的機序はほぼ確定できたのですが、ポイントは、鼠径部へのCV挿入の際に、手技の過失があったか否かという点と、術後の管理という点での落ち度が認められるかという点にあると考えました。
鼠径部への挿入の手技については、鼠経靭帯よりも頭側での挿入は動脈損傷のリスクが高いので避けるべきというのが、協力医の見解でもありました。
ただ、この点について病院側の代理人は過失を明確に認めないのです。
実際には、本件でCV挿入を実施した医師は研修医であり、臨床経験が足りませんし、実際に生じた結果からみても挿入部位を誤った可能性は高いといえるのですが、鼠経靭帯より尾側での挿入であっても、挿入の角度によっては下腹壁動脈等の損傷を引き起こす可能性がないとまではいえません。
このあたりについては、事故から学ぶべき教訓であったり、医療過誤の主張立証責任のあり方という問題もありますので、Part2で取り上げます。
ただ、いずれにしても、血管損傷があっても即出血性ショックで死に至るわけではありません。
実際には、体内を循環する血液量が減少していくため、脈拍数や呼吸数が増加し、末梢への血流不足でチアノーゼになるなどのいわゆる代償性ショックとなり、それから非代償性ショックへと移行して行きますし、その間には一定の時間を経るので、代償期に医療介入していれば、十分に救命は可能であり、本件事故でも、CV挿入後の異変に気付いてすぐに介入していれば救命できた可能性は高いといえるわけです。
このような二段構えの指摘を受けて、最終的には病院側も責任を認め、死亡の責任を認めたと評価できるレベルの示談解決を図ることができました。
また、示談にあわせて病院側からは、謝罪と再発防止を約束する内容の書面を受け取ることもできました。

何度も書いていることですが、民事事件で責任を認めての早期解決は、医療側にとっても決して大きな負担とならず、ミスを犯した医師の方にとっても、早期に、ミスを教訓にして前向きに医療に取り組める機会が訪れるわけですから、医療側でも、いたずらに構えて、黒を白と言い繕うのではなく、民事事件で早期解決を図ることの意味を前向きにとらえべく発想を変えていただければと思う次第です。
なお、本件で教訓にすべきことはほかにもあると思うのですが、長くなりますので、Part2に続きます。

2023年11月09日 > トピックス, 医療事件日記

事件日記~将来の相続への備えのお話

葵法律事務所

高齢化が進んでいる影響もあるのでしょうが、ここのところ、当事務所でも相続開始後の遺産分割だけでなく、遺言や将来の相続に関する相談や依頼が多くなっているように感じます。
遺言だけでなく、いつか必ずやって来る相続という事態に、前もって備えておくことは、せっかく蓄積してきた財産を次の世代のために残せば、大切な人たちの生活を安定させることに繋がりますし、親族間の無用の紛争を回避できることにもなります。
ところで、将来の相続への備えといっても、相続それ自体への備えと、将来納めることになる相続税への備えという問題があります。
というわけで、このあたりの考え方を整理しつつ、ポイントになりそうな点についてご説明してみたいと思います。

相続税対策とは、端的に言えば、将来の相続税の申告の際に納める相続税を少しでも減らして相続人等に少しでも多く残すための備えということになります。
今の政治が、国民から巻き上げた税金を一般国民のためにちゃんと使ってくれていないという現状も考えれば、国民としてはなおさら無駄な税金は払いたくないところでもありますが、なんにせよ、遅かれ早かれ必ずやってくる事態への備えをしっかりやっておくかどうかで、納める税金が大きく違ってくる場合があることは間違いありません。
一方、全体的な相続対策は、たとえば、自分が死んだ後に子供たち同士でいがみ合わないでほしいであるとか、逆に、自分の世話を一生懸命やってくれた人に多く残したいとか、あるいは、残された人の将来を心配して憂いなくしてあげたいとか、相続税を少なくするということ以外にも、様々な動機があり、あらかじめ何ができるかをより広い観点で検討しておくべきものです。
仮に相続税の基礎控除の範囲内に収まる遺産しかなく、相続税を納める必要がないとしても、いざ相続となれば、相続人間で揉めることはいくらでもあることですから、そうならないためにも、相続対策をやっておく意味はやはり大きいといえるわけです。

ただ、この相続税対策と相続対策は、一応区別できるものの、実際には関連し合っているところがあります。
相続税対策が相続対策になっているところもあれば、逆に相続税対策として行ったことが相続にいろいろと影響を及ぼすこともあります。
したがって、具体的に何が可能か、何をしておいたらいいかは、総合的に考えておく方がよいといえるわけです。
相続税に限りませんが、税の仕組みや運用は、しょっちゅう変更されたりしますし、かなりテクニカルなところもあり、本来は税理士さんの領域です。
一方、相続対策は、生前中の権利調整をしておいた方がいい場合や遺言の作成の必要も出てきたりとかで、トータルに考えておいた方がいいところもあるので、こちらについては弁護士の領域といえます。
まあ、経験が一定以上ある方であれば、弁護士でも税理士でもどまちらでもいいといえますが、それぞれの強み、弱みもあり、視点や発想の違いもあるので、弁護士と税理士がうまく連携できるのが一番望ましいように思います。
実際、当事務所でも、税金の問題が絡むような事案では信頼できる税理士に常に相談できるようにしています。

ところで、相続税対策が必要か否か、そして、具体的に何をすべきかは、当然ながらその方の財産状況によって選択肢が大きく異なってきます。
不動産が多ければ、そのままがいいか、あるいは不動産を処分、あるいは借金をしてアパートを建てたりする方がいいのか、また、それを誰の名義で建てるのがいいのかといったことを比較検討したりするのに対し、預貯金や有価証券類が多いような場合には、不動産と違い、そのままでの評価となりますので、住宅資金贈与や教育資金、さらには生命保険等に関する税法上の特例のうまく利用することを検討して行くことになります。
もちろん、元々遺産となるものが明らかに基礎控除の範囲内ということであれば(定額で3000万円、さらに相続人の人数×600万円)であれば、そもそもこうした対策は必要ないことになりますが、気をつけなくてはならないのは、特例を利用すれば相続税がかからないとか大きく減るというケースでは、申告そのものはしなくてはならないということです。

相続税対策となるようなものはいろいろあります。
たとえば、住宅資金贈与については、法定相続人の場合、一人1000万円までということで遺産を目減りさせる効果が大きいのですが、対象不動産や期間などの要件がありますので、注意が必要です。
生命保険の特例は一人500万円でこちらも節税効果としては大きいのですが、高齢になると、利用できる生命保険は限られて来ます。
ですので、この特例を利用するのであれば、できるだけ早く検討されておいた方がいいと思います。
もっとも、最近扱ったケースでは、外貨建てですが、90歳以上の方が加入できる生命保険があり、円安が進んでいる中では外貨建てのリスクが低くなるというメリットがあり、非常に有効な対策になりました。
ほかにも、条件が合う人であれば、教育資金贈与、さらには相続時精算課税制度といった節税対策もありますし、一般的に知られているところでは、「年110万円までの贈与に贈与税がかからないという特例」が「塵も積もれば山となる」で有効ですが、制度変更があり、恒例となってから始めるのでは効果が見込めない場合も出て来るようになりましたので、気をつける必要があります。
あと、年110万円の贈与については、贈与されたという実体がないと「名義預金」、つまりは遺産として扱われてしまうので、こちらも注意が必要です。
とまあ、いろいろとあるわけですが、こうした相続税対策は細かい条件や非常にテクニカルなところもありますので、専門家の助言を受けられるようお勧めします。

以上に挙げたような相続税対策ですが、相続本体への影響が当然あります。
あらかじめ、特定の相続人が遺産の前渡しを受けるということになるので、その分がいわゆる特別受益にあたると評価されることになるからです。
全員が平等にもらっていればいいですが、現実にはそういうケースの方がむしろ少なく、それが紛争のもとになることが往々にしてあるわけです。
そうした紛争をできるだけ避けるために、最も有効な手段は遺言を残しておくことです。
ただ、遺言も万能ではなく、いざ相続開始となれば、特別受益の問題は出てきます。
しかし、遺言の作成の際に、そうした経緯も踏まえて、条項中に、遺言者の想いを丁寧に綴っておくことで、相続人間の疑心暗鬼を解消することができて紛争回避につながることも期待できます。
ほかにも、たとえば、ずっと献身的に面倒を見てくれた相続人により多く残したいというような場合にどうするかなど、具体的な事案に応じて取れる選択肢はいろいろとありますが、やはり非常にテクニカルで創意工夫が必要なところがありますので、こちらについても、早め早めの対策をご検討されることをお勧めします。

2023年10月02日 > トピックス, 事件日記
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