事務所トピックス
弁護士 折本 和司

事務所の近所に行きつけの喫茶店があるのですが、そこでアルバイトをしている若い女性のウエイトレスさんと会話をしていたら、韓国人男性とお付き合いを始めたという話になり、そこから話の流れで広島の平和祈念公園(以下、平和公園といいます)にある「亀の慰霊碑」のお話になりました。

私は広島出身の被爆二世ですが、生まれ育った場所がまさに平和公園のすぐそばだったこともあってこの亀の慰霊碑には特別な思い入れがあります。

というわけで今回はこの亀の慰霊碑のお話をさせていただきます。

 

私が地元の広島国泰寺高校に通っていた当時、平和公園は私の毎日の通学路でした。

平和公園を西から斜めに突っ切るようにして東側の平和大橋を渡るのが最もオーソドックスなルートだったのですが、朝の通学の際に最初に渡る橋が本川橋でした。

この本川橋は、私の家のすぐ近くで、ちょうど平和公園の真ん中を西から東に通り抜ける道の西側、本川(太田川)に架かっている橋なのですが、位置的には原爆投下の目標となったとされるT字の形をした相生橋のすぐ川下(南側)ということになります。

そして、亀の慰霊碑はこの本川橋の脇に1970年に設置されたのです。

慰霊碑には当時も千羽鶴が掛けられていたので、被爆者の慰霊のための碑であることはわかっていましたが、当時の私は、いつも見ていた亀の慰霊碑が、誰を慰霊しているのか、なぜそこにあるのかについて関心がなく、毎日の日常風景の一つとして、何気に見過ごしていました。

 

亀の慰霊碑が、広島で被爆した、韓国人の被爆者を慰霊するためのものであることを知ったのは確か高校を卒業して間もないころだったと思います。

韓国の人たちにとって、亀は神の使いを意味し、「死者は亀の背中に乗って昇天する」という故事もあることから、亀をモチーフにした慰霊碑になったとのことでした。

ですが、そのことを知っても、「ふーん」という程度の受け止めしかできていなかったのですが、問題は亀の慰霊碑が設置された場所だったのです。

正確にいうと、最初、亀の慰霊碑が設置されていた場所は、平和公園から本川橋を渡ってすぐ右側にある土手の緑地の中でした。

つまり、亀の慰霊碑の設置場所は平和公園の中ではなく、外側だったのです。

では、なぜ、平和公園の外側に慰霊碑が設置されたかといいますと、公には、被爆して亡くなった「李ウ」という朝鮮の王族の方の発見場所付近だからと説明されているようです。

しかし、実際の設置の経緯はそう単純な話ではありません。

当然のことですが、当時、慰霊碑の設置のために活動していた人たちは、平和公園の内側への設置を求めていたそうです。

しかし、当初は前向きだった広島市側が、途中で「公園内の慰霊碑設置を認めない」という姿勢に変わったため、やむなく本川橋の西詰に設置することになったというのが真相のようなのです。

実際、この問題を知った当時、そういった話をよく聞かされました。

その後も、被爆者団体、韓国人の団体などが粘り強く声を上げ続けた結果、1999年になって亀の慰霊碑はようやく平和公園内に移設されたのですが、考えてみればつい最近のことです。

 

よくよく考えると、この問題は二重三重の悲劇であり、広島という世界平和の象徴ともいえる都市に、依然として差別意識が根深く残っている現実を示すものといえます。

そもそも、1910年に韓国が日韓併合により植民地化されて以降、多くの韓国朝鮮人の方々が日本に強制的に連れて来られたという歴史的背景があるわけです。

広島、長崎で被爆した在日の韓国朝鮮人は、日本が起こした戦争に巻き込まれ、その挙句に祖国から遠く離れた場所で被爆して亡くなって行ったわけですから、その苦しみの大きさからすれば、日本人の被爆者と同等以上に慰霊されるべきは当然といえるでしょう。

にもかかわらず、当時、韓国人の方々が望んだ「平和公園内への設置」を拒み、その実現にさらに30年近くを要したということ自体、日本人として重く受け止めておくべき「負の歴史」といえます。

人の心に棲みついて歪んだ価値観を生み出す「差別意識」を、如何にして払拭していくかは、いつの時代であれ、真剣に考え続けなくてはならないことだと強く思います。

 

この話を喫茶店のウエイトレスさんとしながら、ふと思ったのは、今、韓国の人が平和公園に行っても、亀の慰霊碑は平和公園内に設置されているので、慰霊碑の設置を巡る経緯に気づく人は少ないか、ほとんどいないだろうということでした。

でも、日本人が海外の人たち、特にアジアの人たちと交わって行く時には、かつて日本人がアジアの人たちに対して非道な振る舞いをしてきたという負の歴史と、にもかかわらず、現代になっても、かなりの日本人の中に、差別意識が根深く残っており、そのような排外主義的な出来事があちこちで続いていることを知っておくことは、個人レベルでの相互理解という意味でもとても大切なことだと思います。

実際のところ、若い彼女とその彼氏である韓国人男性が交際を深めて行くためには、両国間の不幸な歴史やそれに派生する出来事を詳しく知る必要はないのかもしれませんが、たとえば、より深く付き合い、結婚ということになれば、お互いの友人や親族との交わりが出てくるわけで、その時に、この亀の慰霊碑の歴史について知っておいて、そのことについて語り合うことができれば、お互いの周囲の人たちとの信頼関係がより深まるのではと思ったりもしました。

過去の日本人が非道なことをしたことで若い人が卑屈になる必要はありませんが、かつて植民地支配をした側で生まれ育った人間はより謙虚であるべきでしょう。

今は関係ないにせよ、加害者側の人間が被害者側の国々の人たちに対して、開き直ったような態度を取ることは心情的な対立を煽るだけで、何も良いことはないに違いありません。

 

もし、この記事を読んだ方が広島に行かれる際には、ぜひ亀の慰霊碑を訪ね、日本人が周囲の国の人たちと仲良くしていくことの大切さに思いを巡らせていただければと願って止みません。

 

 

 

2023年07月08日 > トピックス, 日々雑感
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