事務所トピックス
弁護士 折本 和司

宮崎駿監督(以下、敬意を籠めつつ敬称略とします)の「君たちはどう生きるか」を公開初日の夜遅くに観てきました。

「未来少年コナン」のころからのファンで、宮崎駿の考え方や創造性に共感してきた私としては、引退を撤回して彼が制作に臨んだこの作品(まあ、引退撤回は今回が初めてではありませんが)は絶対に観ようと思っていたので、夜遅くではあったのですが、思い切って足を運んだ次第です。

というわけで、この作品について個人的な感想を述べてみたいと思います。

 

この作品については、事前情報がほとんどなかったこともありますが、実際に観た人の感想を見ても、「よくわからない」といったコメントも多いようです。

私も、正直、観終えた瞬間は、頭の中に、もやもやっとした感じがあって、消化しきれていないというか、いったい何を描きたかったのだろうか、伝えたかったのだろうか、さらにはエンターテインメントしてどうなのだろうかといったいくつものクエスチョンマークが頭の中を駆け巡っていました。

ただ、少し経ってから、映画のシーンをあれこれ回想しているうちに、ふと思いついたことがあります。

それは、「君たちはどう生きるか」の本が出てきた場面の意味についてです。

あまり書くとネタバレになるので気をつけますが、あの場面にはやはり特別な意味があったのではと思うようになったのです。

 

映画の主人公である真人(まひと)は、お母さんの死を心情的に引きずっており、心の中に「虚無」が潜んでいる少年でした(この「虚無」は「風の谷のナウシカ」の漫画版でもしばしば強調されています)。

実際、そこまでの彼の振る舞いは、何処か醒めているというか、諦めているというか、とにかく、人と深く関わることを拒絶し、殻に閉じこもっていました。

しかし、「君たちはどう生きるか」という本を手に取って読み、そのあと、彼は涙を流すのですが、そこから彼は明らかに変わり始めます。

映画の中では淡々と描かれていて、特に言葉で語られるようなことはないので、何気に見過ごしていたのですが、あとで全体を振り返ると、やはりあの場面こそが転換点だったと思うのです。

彼がその本を手に取って読んだのは、ある理由でその本が彼にとって特別の価値があったからですが、とにかく、彼はその本を読んでからほどなく異世界に飛び込み、そこでいろいろなものに遭遇していく中で、段々と心の中の「虚無」を振り払って、周りにいるものや世界そのものを救うために抗う人へと成長し始めるのです。

もっとも、この異世界の冒険というのが、これまでの宮崎駿ワールドの既視感満載の、何とも摩訶不思議なファンタジーで、未だによくわからないところがあります。

特に、主人公と一緒に異世界で戦うヒミですが、彼女がなぜ登場したのかすら未だによくわかりませんし、ほかの登場人物や塔の意味なんかについてもわからないところがいっぱいあります。

いずれ、このあたりが理解できたら、またこの映画の評価はさらに変わるような気もしていますが、そのあたりの「深さ」というか「わかりにくさ」もまた、宮崎駿たる所以なのでしょう。

ただ、何にせよ、「君たちはどう生きるか」の本を読む前の主人公と読んだ後の主人公の「生き方」「生きる姿勢」の変化こそが、宮崎駿が描きたかった重要なメッセージに繋がっているという気がしてなりません。

さらにそのことについて考えてみました。

 

本作品の数少ない事前情報の一つだったのですが、宮崎駿自身、この映画のタイトルとなっている「君たちはどう生きるか」という吉野源三郎の著作を若いころに読んですごく影響を受けたのだそうです。

もしかすると、私にとってのジョンレノンのような存在かもしれませんが、人生においては、生き方に影響を与えるような何かは誰にでも起こり得るわけで、宮崎駿にとっては、それが「君たちはどう生きるか」だったのかもしれません。

吉野源三郎という方は、戦中戦後を通じてずっと反戦平和を訴え続けた人物として知られており、宮崎駿の生き方や価値観と相通じるところがあるように感じますが、とすると、主人公の真人は、宮崎駿が自身を投影した存在とも捉えられるわけで、彼自身の自伝的な意味合いがあるようにも思えます。

 

ただ、それ以上に思ったことは、宮崎駿は、この作品を誰に観てほしいのだろうかということについてです。

彼は、映画を創る時、よく、それを誰に観てほしいかという話をしていました。

彼のこれまでのそうした発言からしても、引退を撤回してまで創ったこの映画においてもそんな思いを巡らせながら制作に臨んだに違いないと思うのです。

そして、彼がこの映画を観てほしいと思った相手ですが、とりわけ迷える10代の人たちにこそ、この映画のメッセージを届けたかったのではないかという気がするのです。

実際、本作で主人公が少年だということはやはり特別な意味があるように思います。

というのは、今の日本は、特に若い世代にとって、将来に向けて夢や希望が持てない、閉塞感に満ちた、不公平で不条理な社会だからです。

金や権力を持ち、あるいはそれらにすり寄ってうまく立ち回った人間だけがいい思いをし、大手を振って歩いている、それが今の日本であり、その一方で、誠実に生きたくとも、未来に夢を描けない若者の自殺が増え続けているのが現実です。

そんな若者に対して、「人生を変えるきっかけになるものは確かに存在するのだ」ということを伝えたいのではないかと、そんな気がするのです。

不条理な現実を受け入れ、不満や不安を抱きつつ、妥協を重ねるであるとか、あるいは、現実や将来を悲観して死を選ぶ若者の心には「虚無」が潜み、じわじわと蔓延っているような気がしてなりません。

そうした心の中の「虚無」を振り払い、前を向いて、何か大切なもののために抗い、道を切り開いて行く、そんな生き方を見つけるためには、何かのきっかけが必要だけれど、それはすぐそばにあるのだと、そんなことを訴えているのではないでしょうか。

かつて少年だった宮崎駿にとっては、「自分にとってのきっかけは『君たちはどう生きるか』だったんだよ。だから君も何か、自分を変えるきっかけを見つけて」と、感受性豊かで、時に絶望して死を選んでしまいかねない若い世代の人たちに、そう伝えたかったに違いないとそう思うのです。

 

この映画はすごく内省的なところもあり、描かれている異世界も、もしかしたら宮崎駿の頭の中の出来事なのかもしれませんが、そこで訴えているメッセージは普遍的なものだと感じます。

賛否両論ある作品ですが、映画の中で起承転結が完結してしまう作品よりも、観終わった後に、それぞれの視点で深く考察し、検証していくことができることの面白さという意味でこの映画に優るものはないのではないかというのが私の評価です。

ですので、観終わった直後の評価は60点くらいだったのですが、いろいろと思い返した今の評価は90点に跳ね上がっています。

未観賞の方は、ぜひ身近な友人と一緒に観て、感想を語り合い、明日への糧にしていただければと思います。

2023年07月20日 > トピックス, 日々雑感
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