事務所トピックス

日々雑感~岡江久美子さんが亡くなられたことについて思うこと

弁護士 折本 和司

女優の岡江久美子さんが、コロナウイルスに感染して亡くなられました。

ドラマや、クイズ番組、朝のワイドショー等でずっと活躍されていて、明るく親しみやすいキャラクターで多くの方に愛された女優でもあり、先の志村けんさん同様、本当にとても残念でなりません。

しかし、岡江さんの亡くなられるまでの経緯を知るにつけ、この死は避けることができたのではないか、人災なのではないかという気がしてなりませんので、そのことについて書いてみたいと思います。

 

コロナ危機が表面化して以降、政府や厚労省は、医療崩壊を招きかねないなどとして、検査実施につき、実質的にも手続的にも要件のハードルを上げており、安倍首相自らが一日2万件の検査が可能と言っていたにもかかわらず、未だに一日数千件の実施にとどまっていますが、この政策は間違いだということは、このホームページでもずっと指摘してまいりましたので、過去の記事を読んでいただければと思います。

実際、この間、全国各地で院内感染によるクラスターの発生が確認されていますが、誰が感染者かわからない状態で、病院内を人がうろつけば院内感染が避けられないことは、ちょっと考えれば子供でもわかるような話であり、院内感染の広がりは、検査の実施が不徹底であったことの結果といっても過言ではありません。

何度も書いていますが、コロナウイルスは、インフルエンザよりも発症までの潜伏期間が長く、しかもその間に感染するリスクが高いという特徴を持っているので、検査を徹底して感染者の洗い出しをしない限り、感染の終息は容易に見込めず、その間に国民生活も疲弊、劣化してしまうことは避けられません。

政府も、ここに来てやっと検査のためのハードルとなっていた指針を変更すると言い出していますが、これまで検査が十分に実施できていなかった理由について、安倍首相も加藤厚労大臣もまるで他人事のような言い逃れをしており、呆れてものが言えません。

このたびの岡江さんの死も、一人一人の国民の命を軽視し続けた政府の誤った政策による犠牲であり、同様の犠牲者がほかにも大勢いるに違いないと感じていますが、そのことについて、医療事件における法的な視点に加え、「感染症のリスク」という医学的な視点も交えて指摘したいと思います。

 

まず、報道によりますと、岡江さんの場合、4月3日に発熱があり、その時点では、主治医から「自宅で4~5日様子を見るように」との指示を受けたので、その指示に従い、検査を受けることなく、自宅で静養していたところ、3日後の朝までに急激に症状が悪化し、病院に搬送され、検査で陽性反応が出て、人工呼吸器をつけるなどの治療を受けたものの、治療の甲斐なく帰らぬ人となられたということのようです。

この中で最も重要な情報は、岡江さんが乳癌を患っておられ、直前まで放射線治療を受けておられたという事実です。

もっとも、問題は放射線治療より癌そのものにあります。

一般的に、糖尿病や癌などの持病を持っておられる方は、医学的には「易感染症患者」に分類されます。

「易感染症患者」とは、その字のとおり、健常な人に比べて感染のリスクが高く、また感染した場合に重篤化するリスクが高いとされる患者です。

癌について述べますと、元々、人間の体内ではごく普通に癌細胞が生まれて来るのですが、それが癌の発症に結び付かないのは、白血球中のナチュラルキラー細胞(NK細胞)などの免疫系細胞が癌細胞を退治してくれているからです。

ところが、免疫系は複雑なバランスの上に成り立っていて、大まかにいうと、体内に存在し、免疫系が暴走しないようにバランスを取っている免疫抑制細胞が、癌細胞の増殖とともに増加し、免疫系細胞の活動を強く抑制して、癌細胞への攻撃をブロックするため、結果として癌細胞がさらに増殖するという機序が存するとされています。

つまり、癌患者の体内では、免疫抑制細胞が多く存在しているため、体内の免疫は十分に機能しない状態に陥っていることになるのです。

現在、私は、感染症に関する医療事故案件を複数抱えており、コロナ危機が起きる少し前に、国内で著名な感染症の専門医に鑑定意見書を作成していただいていたのですが、癌患者が易感染症患者に分類されることについて、「癌患者や糖尿病患者などの易感染症患者の場合は、感染症を起こしやすく、さらにいったん感染症になるとより重篤化しやすいということが基本的な医学的知見である」「それゆえ、易感染症患者については、感染症の発症、増悪につきより厳重な診察と感染症対応が必要である」と明確な指摘を受けています。

 

翻って、今回の岡江さんの場合を見てみると、詳細な事情は不明ながら、主治医がもし岡江さんの癌のことを知っていたのであれば、易感染症患者に該当する以上、何はともあれ、検査の実施と病院内における厳重な観察へとリードしてあげるべきであったと思うのですが、その時点のPCR検査実施の実態からすると、それは医師の落ち度というよりは、検査の実施を拒否しているに等しいほどの高いハードルを設けていた国の誤った方針が招いた結果といえるように思います。

つまり、順序が逆であり、易感染症患者に該当する患者については、仮に症状的には軽かったとしても、まずは検査を実施し、陽性か否かの判断をすべきなのです。

そこで陽性の結果が出た場合には(岡江さんの場合は経緯からして当然に陽性となったはずですが)、仮に、その時点の症状が比較的穏やかであったとしても、「感染症を起こしやすく、さらにいったん感染症になるとより重篤化しやすい」易感染性患者である以上、何を措いても、入院を指示し、しっかりと感染症対策を取らなくてはならないことは自明の理であり、それは決して結果論ではなく、上記の感染症に関する基本的知見を踏まえれば、当然の論理的帰結なのです。

もちろん、検査の結果が陽性であったとしても、「易感染症患者」に分類されるような持病を有しない人、呼吸器系に問題がない患者は自宅待機もしくは相応の施設内での観察でいいわけですが、その判断のスタートラインは検査の実施であるべきなのです。

とにかく、岡江さんの場合もそうですし、同様に検査さえ受けれずに自宅待機のまま亡くなられた易感染症患者に該当する人たちについては、国の誤った指針によって「入院して適切な治療を受ける機会を奪われた」ことになるわけです。

 

コロナ危機の克服について、様々な形の活動の自粛であるとかいった努力の意味を否定するつもりはありませんが(ただ、そのやり方については異論もありますが)、検査のハードルを無用に高くしておいて感染者の扱いについて曖昧な方針を頑なに維持し続ける今の政府や厚労省のやり方ではいつまで経っても感染が終息しないでしょうし、岡江さんのような犠牲者がこれからも増えて行くのではないかということが強く危惧されます。

現時点でも岡江さんのケースは氷山の一角にすぎず、本当なら死を避けられたはずの方が国の政策の誤りによって、すでに相当多数犠牲になっている可能性が高いのではないでしょうか。

もちろん、検査が速やかに実施されていれば確実に助けられたかについてはケースバイケースかもしれませんが、弁護士の立場から見ると、検査の実施に関する誤った指針を頑なに続けたことで適切な治療の機会を奪った国や自治体の国家賠償責任が問われてもおかしくない、そのような実例が少なからずあるのではないかと思います。

 

医療事件を扱っていると、単なるヒューマンエラーというよりは、その背景にある疲弊した医療現場の実態であるとか、さらに医療を巡る様々の環境的な制約であるとかに目を向けなくてはならないと痛感することがしばしばありますし、そのさらなる背景として、医療費削減に偏った国の誤った政策が根っこにあると感じることも少なくありません。

今回のコロナ危機においても、検査実施の不徹底にとどまらず、医療者の不足、集中治療室、人工呼吸器などの必要な設備の不足という事態の改善を図ることなく、また、保健所の役割を軽視され、減らし続けてきたことなど、国が、国民にとって最も重要なセーフティネットの一つである医療を軽んじて来たという背景があり、そのしわ寄せで、患者が適切な医療を受けられなくなってしまっていることを私たちは決して見過ごしてはいけないと思います。

岡江さんのような被害者をこれ以上増やさないために、まずは検査実施の徹底、そして、この機会にこそ、一人一人の国民が適切な医療を受けられるべく医療の仕組みを再構築し、医療者が患者のために医療に打ち込める環境が実現されることを強く願わずにはいられません。

日々雑感~コロナ危機を脱するために取るべき政策PART1

弁護士 折本 和司

コロナウイルスの感染の影響で町が死んだようになっています。

その影響はボディーブローのように、また波状攻撃のように私たちの生活を脅かし続けていますし、今後もそれはまだまだ続くものと予想されます。

しかし、政府の対策は相変わらず不十分で的外れなものといわざるを得ません。

ここで、今どのような政策が取られるべきかをちょっと書き記しておきたいと思います。

おそらく、人類は今後も繰り返し未知のウイルスと対峙せざるを得なくなるに違いないので、現在進行形で取るべき対策について、その都度整理しておくことには大きな意味があると思うからです。

 

まず、政府、厚労省が、依然として対応を渋っている(としか見えない)PCR検査の徹底という政策ですが、いろいろな意味で間違った対応です。

感染を鎮静化するという意味で重要な政策であることはいうまでもありませんが、いわゆる「出口戦略」という点でも、PCR検査に消極的な姿勢は決定的にまずい対応なのです。

つまり、検査を徹底しなければ、表向き、感染者が減ったように見えても、「まだ感染者がいるのではないか」という不安心理がいつまでも拭えず、国民が社会活動に積極的になれないし、経済活動を再開しなければ死活問題となる事業者に対し、不安を抱えた一般国民がバッシングを行うということが長く続いてしまうことになります(これもコロナウイルスの影響による自粛生活や今後への不安を抱える状況が長く続いていることによる鬱々とした状況の影響なのかもしれません)。

また、コロナウイルス感染の蔓延から起きた国際的な人、モノの移動の制限は、各国の航空事業を危機的な状況に陥れていますので、それぞれの国は、他国からの渡航制限処置が解かれるようにしなくてはならないところ、諸外国の数分の1、あるいは10数分の1しか検査が行われていない日本に関しては、他国からの渡航制限処置が解かれる時期が大きく遅れる可能性があります。

実際、アメリカ大使館は、日本国内にいる自国民に対し、日本国内における検査の不十分さ、情報開示の不十分さを理由に帰国を促すアナウンスをしていますが、「きちんと感染を抑え込んでいる」というアピールをするためには、その前提として検査の徹底は必須です。

このまま不十分な検査しかなされない状況が続けば、国際的な人やモノの交流に出遅れ、その結果、観光のみならず、輸出産業においても、コロナ危機以前に有していた海外におけるシェアを大きく失う可能性があります。

そうした面の国益を損なわないためにも、PCR検査の徹底は不可欠ですし、それとあわせて感染に関する情報の開示の徹底もやらなくてはならないはずですが、実際は真逆な対応になっており、この点も非常に大きな問題があります(日本の場合、元々、政府、官僚組織とも隠蔽体質がありますが、そのことはまた別に述べます)。

外務省は、広報予算を組んでとか言っているようですが、そういう問題ではなく、まず、感染に関する情報を遅滞なく、正確かつオープンに開示することこそが国民、そして諸外国の不信感を払しょくするためにやらなくてはならないことなのです。

長くなるので、PART2に続きます。

2020年05月08日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~国民を愚弄する安倍政権のコロナ対応に怒りの声を!PART1

弁護士 折本 和司

「疾風に勁草を知る」という中国の古い格言がありますが、今の安倍政権に対しては、「疾風に勁草でないことを知る」という表現に置き換えたいと思います。

「疾風に勁草を知る」とは、困難な時にこそ、人の真の価値がわかるというような意味ですが、今回のコロナウイルスによる感染の拡大という危機に対する政府などの対応を見ていると、彼らが、如何に私たち一般国民のことを軽んじているか、そして、この危機を乗り切って行くための為政者としての知恵、意欲を持ち合わせていないかがはっきりと見えているように思います。

 

ところで、世界中で笑いものにされた「アベノマスク」の配布という愚策に続いて、安倍政権が打ち出したさらなる愚策が「一世帯あたり30万円の支給」でした(今回は、怒りのあまり、以下の文章は「ですます調」でなく、「である調」に変えることにしましたので、悪しからずご了承ください)。

家族構成だって人それぞれで違うのに、「一世帯あたり30万円の支給」という条件自体の不公平さもさることながら、よくよく見ると、「非課税限度額の範囲内」か「主たる世帯主の収入が半減して、非課税限度額の50%以下になってしまっていること」が支給条件になっているではないか。

こんな条件では、多くの国民にとってぬか喜びとなることは見え見えで、張り子の虎、見掛け倒しもいいところだ。

ざっと調べてみると、後者の条件の場合、たとえば2人世帯の場合、世帯年収600万円強以上の収入を得ている世帯の収入が300万円以下に落ち込めば該当しそうだが、それだけ見ても、かなり限られた条件ということになる(しかも、それは主たる世帯主の収入のみを対象にするので、配偶者がパートをやめさせられても、その合算が半減する前の基準にならないというルールなので、実質的にはさらに少ないことになるというのだから、さらに腹立たしい限りだ)。

そもそも、多くの国民は、それまで得ている収入を見込んで、たとえば家のローンであるとか、車のローンであるとかを抱えているし、ましてや受験を控えた子を抱えている家庭を抱える勤労者は、歯を食いしばって収入減を避けようとするに違いないから、ベースの収入が多少多かったとしても、経済的に追い詰められてしまうことに変わりはないのだから、どう見てもこんな条件は不合理だとしか言いようがない。

結局のところ、この政策もまた、「クルーズ船の隔離」「検査体制拡充宣言」「学校の休校要請」さらには「アベノマスク」に引き続く、実効性が乏しく、実質的には法の下の平等に反するともいえる「対策やってますよ詐欺」ではないのかという気すらしてくる。

「アベノマスク」も200億円どころか466億円つぎ込むらしいが、マスクなんて、キッチンペーパーとパンストの紐とテープ、針金で誰でも簡単に作れるとある病院の方から聞いたばかりだから、それを聞いてまた腹が立ったのだ。

さらに、安倍政権は、コロナウイルス対策に108兆円をつぎ込むと大見えを切ったが、これも実体は全然違っており、去年の台風への対策費などすでに予定した支出などが組み込まれていて、これまた「対策やってますよ詐欺」にしか見えないのだ。

 

前にも書いたとおり、まず何よりもやるべきは、「感染拡大を何としても防止すること」と「コロナウイルスの影響で仕事や収入源を失った国民生活、国民経済を下支えする実効性のある政策」であり、一刻の猶予もない状況だ。

このままでは、多くの国民が、失業、倒産、廃業といった状況となって、コロナウイルスのせいで死ぬより先に、収入源を絶たれて、経済的な死に追い込まれることは必至だからだ。

バブル崩壊の後に起きた悲惨な事態を思い出すが、それよりも遥かに不幸な事態が起きる可能性が日に日に高くなっている。

それを防ぐためには、これまでと同じ弥縫策の繰り返しでは絶対にダメなのだ。

 

しかし、この期に及んで、安倍政権のやり方を支持し、事態を楽観視する人も少なからずいる状況なので、そのことについても一言指摘しておく。

確かに、感染者数は検査数との兼ね合いで信用できないものの、死者数のみを比較すれば、まだ日本は、ヨーロッパ諸国に比べれば感染爆発の程度は低いという見方もあるだろう。

この点については、地続きのヨーロッパや広大なアメリカ(個々の州が国のようなものだ)と違い、島国であるという地政学的な幸運に恵まれている面がある等(BCGの予防接種のおかげではないかという意見もあるそうだが)、別に今の政権の手柄でもなんでもない。

 

それよりも問題とされるべきは、2月に入り、国内での感染の広がりの兆候が見られるようになって以降、感染源になりそうなところには一切手を着けず、東京オリンピック実施に拘ったせいか、検査実施にも消極的であったため、ここに来て、感染爆発という事態を招いた大失態であり、さらに、この期に及んでも、口では「かつてない規模の対策」といいながら、感染拡大を抑え込むことにも、国民生活の破綻を防ぐことにもつながらない、あまりにせこい政策を、しかも張り子の虎のように大きく見せて目先の状況をしのごうとしているこの政権の無能さなのだ。

そもそも、今になって、歓楽街がどうだとか言っているが、2月頃に政府、厚労省あたりが問題としていたのは、屋形船、スポーツジム、クラブといった、実際に感染が起きたものばかりで、歓楽街での遊興を問題とするような呼びかけなどまったくなかったことは記憶に新しい(実際、2月から3月にかけての記事を検索してみれば一目瞭然だ)。

歓楽街、特に性風俗系の店こそ、濃厚接触そのもので成り立っている商売であり、すでに首都圏、京阪神などの大都市部で感染者が現れている以上、2月の時点で規制なり注意喚起なりをすべきなのに、そのような対応はまったくなく、安倍政権は、「学校の休校要請」という、実施されれば、給食業者や母子家庭で働く人にばかりしわ寄せが行く的外れな愚策を打ち出していたのだから、空いた口が塞がらないとはこのことだ。

あの時、安倍首相は、ここ1~2週間が大切といっていたが、歓楽街は普通に商売をし、私の地元の横浜関内あたりでも、夜の賑わいは相変わらずだった(まあ、自分の嫁さんの夜遊びすらコントロールできないのだから、それまでといえば身も蓋もないのだが)。

長くなったので、PART2に続きます。

2020年04月12日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~コロナウイルス問題から考える「あるべき医療とは」

葵法律事務所

安倍首相が、「かつてない規模の対策を行う」と宣言し、その一方で、「布マスクを各世帯に2枚ずつ配布する」との政策を決めたというニュースを目にした時、確かにこれまで見たことも聞いたこともない??な政策でしたし、配布にかかるであろう膨大な費用のことも考えると、「かつてない規模」のせこい援助に、「かつてない規模」の無駄な経費を使う、ブラックジョークのような話だと唖然とした次第です。
また、この政策が発表されたのが、4月1日だったため、エイプリルフールの冗談ではと海外でも失笑を買ってしまっているようですが、こんな馬鹿げた政策が、何処かでストップがかかることなく、国のトップからいきなり発表されたということ自体、本当に衝撃的なことで、今回のコロナウイルスの感染の拡大は、端無くも、今の日本が抱えている、決して看過してはならない問題を明るみに出してしまっているという見方もできそうです。
というわけで、これから、何度かに分けて、そうした問題について順に取り上げ、問題提起をしていきたいと思います。

そこでまず取り上げたいのは医療の問題です。
医療事件を扱っていてしばしば考えさせられるのは、医療現場の疲弊が事故の背景にあるのではないかということです、
これまでにも取り上げたことがありますが、超高齢化社会となり、今後もさらなる少子高齢化が避けられないとされるこの国では、かなり前から、膨れ上がる医療費を如何にして削減するかが行政側の政策の中で一つの大きなテーマとなっていました。
それは、記憶が間違ってなければ、1980年代に、当時の厚生省の役人によって書かれた「医療費亡国論」という論文のようなものからスタートしています(もちろん、それ以前から内部では議論されていたのかもしれませんが)。
いかにして医療費を削減するか、その具体的な政策の柱の一つが、保険点数の見直しです。
日常生活の中で、医療機関にかかる側としてはあまり意識しないことですが、保険点数が引き下げられ、また医療に関連する政策が打ち出されて行く中で、医療機関にとっても経営上のダメージが大きく、それが年々積み重なって経営がひっ迫して行くわけです(実際、今の日本の医療機関の内、4割以上が赤字経営になっているという統計もあります)。
いうまでもないことですが、医療機関の経営がひっ迫してしまえば、患者である私たちが受ける医療の質に間違いなく影響が出ます。
たとえば、総合病院では、急性期の医療には一定の保険点数が認められますが、急性期を過ぎれば、保険点数が大きく引き下げられており、収支的には見合わなくなっています。
そのため、多くの人が経験していると思いますが、外科手術を受けると、早期の退院を強く求められるようになります。
実際、外科手術の後の術後管理が杜撰なために生じる医療事故は少なくないのですが、術後間もない時期から退院を迫る医療の現状が事故を誘発しているという面は間違いなくあると感じます。
また、総合病院が経営上の観点から手術などの急性期の医療に注力するということは、当然のことながら、それに携わる医師、看護師の負担を過大なものとします。
そうした医師、看護師の加重負担が事故を誘発する面も少なからずありますし、医療機関としては、経営が厳しくなれば、人件費を削らざるを得なくなりますからなおさらです。
以前扱った医療事故でも、心臓外科医が不足しており、患者の容態の管理に手が回らなかったために起きた死亡の症例があり、解決にあたって病院側が医師の不足が背景にあったことを認め、それを改善するという約束をしたこともあります。
ここで何度か取り上げた研修医による医療事故が多くなっているという話も、病院側が、人件費を圧縮するために、給与が低く、使い勝手のいい研修医を臨床現場で多用しているという面があり、それが事故の発生につながっているのではないかというのが率直なところです(実際、ある医師から聞いたところでは、神奈川県内のとある有名な総合病院の救急外来は研修医だらけだそうです)。

とまあ、長々と書きましたが、医療費削減に血道を上げる厚労省の発想が正しいのか、どこにお金を使い、どのような社会を作るべきか、医療は私たちの暮らす社会の最も大切なインフラ(セイフティーネット)の一つなのだから、そのことを真剣に考えるべき時期に来ているのではないでしょうか。
弁護士が医療事件を扱う意義として、「医療事件を減らすためには、発想の転換が必要であり、患者のための医療を実現するためには、医療現場が疲弊しないような工夫が必要なのだ」とずっと思ってきました。
ですので、今回のコロナウイルスの問題は本当に大変な事態ですが、医療のあり方に焦点が当たることは、せめてもの救いであり、非常に意味のあることだと感じています。
確かに、世界に例のない速さで少子高齢化が進む日本において、医療費がさらに膨れ上がることについて一定の歯止めが必要だということはそのとおりだと思います。
しかし、国民の命を守るための最も重要な社会的インフラである医療を、金食い虫のように扱って軽んじ、如何にしてその費用を削減するかという発想で政策を推し進め、医療現場を疲弊させた結果、現在のコロナウイルスによる感染に対して、医療機関がマンパワー的にも施設のキャパシティとしても十分に対処できない状況に至ってしまった面があることは否定できないと思うのです。
実際、オバマ大統領時代に、国民皆保険の導入ができなかったアメリカでは、検査も治療も受けられない国民が多くいることも影響してか、今のところ、コロナウイルスによる感染が収まる気配は見えません。
詰まるところ、コロナウイルスの問題は、社会で暮らす人にとって万遍なく医療が提供されることが如何に価値のあることかを私たちに改めて実感させてくれています。
また、今こうしている瞬間も、世界中で、数えきれないほどの医療者が、患者の命を救うために、自ら感染、そして命の危険のリスクと向き合いながら、懸命に医療に取り組んでおられるわけで、そのことに対しては、本当に感謝と尊敬の念しかありません。

そんな状況であるからこそ、私たちも、この機会にもう一度、医療を受けられることのありがたさを実感し、臨床現場で医療者が疲弊しないような社会にするために何をすべきか、大切なインフラである医療を守るために政策として何が優先されるべきかといったことを、決して人任せにせず、自らの問題として真剣に考えなくてはいけないのだと強く思います。

2020年04月04日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~「これは経費で落ちません」の舞台は横浜!

弁護士 折本 和司

普段、あまりテレビドラマは観ないのですが、今期は、多部未華子さんが主演しているドラマを気に入り、欠かさず視聴し続けています。

そのドラマのタイトルは「これは経費で落ちません」。

その名のとおり、会社の経理部を舞台としたドラマなのですが、お仕事ドラマとしても、人間ドラマとしてもなかなか良く出来ていると思います。

個人的には、多部未華子さんという女優さんはわりと好きでして、以前「あやしい彼女」という若返りの映画を見て、実に歯切れの良い振り切った演技のできるコメディエンヌだと感じ、ファンになりました。

で、このドラマなのですが、経費の精算のために持ち込まれる領収証や支払伝票、帳簿の中から、時に不正を見破り、あるいはビジネスの世界で働く人たちの葛藤を、コメディータッチながらとても丁寧に描いている作品です。

ドラマの構成も、シンプルな勧善懲悪という感じではなく、経費処理も含め、結末の落としどころが絶妙だと感じる回もあるし、人情の機微に沿うバランスの取れたストーリーで、ほっこりした気持ちになれます。

 

ところで、この作品が気に入っているもう一つの理由が、舞台が横浜になっていて、しかも、まさに、うちの事務所からほど近いところでロケが行われているということでして、そのおかげもあってとても親近感が湧きます。

舞台となる石鹸会社のあるビルは、海岸通りの神奈川県警本部のすぐ近くですし、馬車道や日本大通り、さらには海岸近くの風景なんかもしょっちゅう登場します。

ですので、視聴しながら、「あれっ、ここ何処だっけ?」と背景に気を取られることもしばしばなのです。

特にびっくりしたのが部長二人が立ち食い蕎麦を食べるシーンで、なんと、その蕎麦屋さんはうちの事務所の真ん前のお店だったのです。

先日、そのお店に行ったときに伺ったら、お店の人は、笑いながら壁に飾ってある色紙を指さしていました。

 

多部未華子さん演じる主人公の上司である経理部長の役を演じているのが、吹越満さんという味のある男優さんで、その蕎麦屋さんにも来られていたのですが、特に、吹越さんも含め、個性豊かな経理部の面々のやりとりが、良く練られた出来の良いコントを見ているような楽しさで、このドラマの魅力の一つにもなっています。

もちろん、主演の多部未華子さんの演技はやはり素晴らしく、彼女の振り切った演技力と表情豊かな表現力はもちろん、さらには心に響くような独特の声質を併せ持つ魅力的な女優さんだとあらためて感じ入りました。

あともうちょっとでこのドラマは最終回を迎えてしまいますが、ドラマを観てぜひとも続編を作ってもらいたいという気持ちになったのは本当に久しぶりのことです(ちなみに、あるドラマレビューサイトでは、今期のドラマの中で最も高い評価となっています)。

NHKに友人がいるので、頼んでみようかな・・・って、何の効果もないんですが。

 

ともあれ、観たことのない方は、残り少ないですが、ぜひご視聴あれ!

 

2019年09月16日 > トピックス, 日々雑感
Pages: 1 2 ... 5 6 7 8 9 10 11 12
  • ٌm@{VAK
  • ٌm@ܖ{ai
  • ٌm@m
  • ٌm@|{D


 | 事務所紹介 | 弁護士紹介 | 取扱事件領域 | 費用のご案内 | トピックス 
(c)2016 葵法律事務所 All Rights Reserved.

ページトップへ戻る