事務所トピックス

日々雑感~ついに前期高齢者になりました。

弁護士 折本 和司

昨日、私は65歳の誕生日を迎え、前期高齢者の仲間入りをしました。

こんなカテゴライズはクソだとか、いろいろと思うことはありますが、この日を迎えられたこと、そして、多くの人たちに助けてもらったことを心から感謝し、心から御礼申し上げたいと思います。

ところで、ここ数日、昔からの友人たちと話す機会がありました。

中でも、誕生日に話をした高校時代からの親友とは高校入学前の2月に出会っているので、出会いから50年という節目をすでに迎えたことになります。

他人にはどうってことのない話ではあるのですが、ちょっとそのことを書いてみたいと思います。

 

どうやって彼(こんがらがるので、とりあえずKとしておきます)と出会い、そして親しくなって行ったかについて思い返してみると、実際、人生には奇跡のような偶然の重なりというものが存在するのだと不思議な気持ちになります。

Kと最初に出会ったのは、広島の修道高校の受験会場でした。

実は当時の成績では、修道高校の合格は無理だということはわかっていました(また、うちは貧乏なので、私立はだめだとも言われていました)。

しかし、ある日、中学3年の時の担任に呼ばれて「修道と広大付属を受けろ」といわれたのです。

すかさず「無理です。受かるわけないから」と断りました。

しかし、担任は、「とにかく受けろ」の一点張りで、両親が説得されてしまい、結局受験することになりました。

あとで聞いた話ですが、担任の狙いは二つあったそうです。

一つは、私がいつもぎりぎりにならないと勉強に身が入らないタイプの生徒だったので、受験日程をまめに入れた方がいいというものでした。

もう一つの狙いは、私のためということではありませんでした。

実は、同じクラスで一番勉強ができる生徒がいて、彼(こんがらがるので、とりあえずIとしておきます)が私と親しかったのですが、Iの志望校が修道と広大付属だったのです。

なので、担任は、私が一緒に受験すればIがリラックスして受験に臨めるということも考えたというのです。

その担任はすでに亡くなられており、今となってはその真偽は不明ですが・・・。

 

ともあれ、私は友人Iと待ち合わせ、一緒に修道高校に行き、受験会場をうろうろしていました。

すると、そこでIがある受験生と挨拶をしたのです。

人懐っこい、ジャガイモみたいな顔の男でした。

その時、私は二人の会話をただ横に立って聞いていました。

修道高校の受験が終わり、今度は広大付属の受験に臨みました。

その時も、Iと待ち合わせて広大付属に行き、受験会場をうろうろしていたのですが、またもや修道の時と同じ受験生と出くわし、そこで二人はまた挨拶をしていました。

 

結局、私の方は番狂わせなどなく、修道と広大付属に落ちて地元の県立国泰寺高校に入学しました。

そして、入学初日、1年7組の教室に行くと、なんとその同じ教室に修道と広大付属で出会ったジャガイモみたいな顔をしたKがいるのです。

その時は、お互いに奇妙な偶然に驚き、あらためて挨拶をしました。

Kは非常に人望のある男で、その後クラス委員となり、私たちの代の生徒会長を務めることになります。

また、Kとの縁は1年生の時だけでなく、3年間ずっと同じクラスになりました。

一方の中学時代のIとは高校は別々になったものの、もう一人仲の良かった友人Oと放課後に会い、Iの家にしばしば泊まるなど、その関係は続いて行きます。

ただ、徐々に知ることになるのですが、私とKを引き合わせたIとKの関係は、その当時、若干微妙なものでした。

実は、IとKは元々同じ中学に入学していたのですが、Iは途中から私のいる中学に転校して来ました。

Iが元々いた中学は、市内で最も荒れていることで有名でした(広島の地元の人間なら大体わかるはずです)。

そこで、Iは上級生の不良たちから目をつけられ、家の前で不良たちが待ち構えているような状況になっていたので、ご両親がやむなく転校させたのです。

一方のKは、そのままその中学を卒業するのですが、彼は中学でも生徒会長を務めています(あとで聞いたら、親の引っ越しで一瞬だけ転校したものの、つまらないと感じて元の中学に戻ったそうなのですが)。

KはIが転校に追い込まれた事情を知らなかったこともあって、高校入学当時は、Iに対して複雑な思いを持っているような話をしていました。

 

それはともかく、高校卒業後も、私はK、そしてIやもう一人の中学時代の友人Oとの関係が続きます。

Iは中央大学に進み、困っている人、労働者を助け、世の中を良くする仕事に就きたいといって、司法試験を志します。

一方の私は、音楽をやりたいとほざきながら、だらだらとした大学時代を過ごすのですが、Iとは月に1回以上は、池袋か渋谷で会って、それからどちらかの家に行き、朝方まで酒を飲みながら話をするという関係を続けていました。

いよいよ大学を卒業する間近になり、就職するかどうかを迷っていたのですが、結局、IやKの影響もあり、私自身、世のため人のためにできることをしたいという思いがありましたので、そこから司法試験を目指すことを決めました。

一方のKはさらにピュアで、紆余曲折はありましたが、困っている人の力になりたいといって福祉の仕事を志すようになります。

 

やがて、私もIも司法試験に合格し、Iは地元である広島に戻り、私は横浜で、それぞれ弁護士になりました。

Iが広島に戻ったことで、IとKとの関係はさらに深まります。

Kは、ある知的障害者の施設で働くようになり、現在はその施設の責任者になっていますが、職場や障害者の問題でもIにしばしば相談するようになりました。

最近では、広島に戻る時は、3人で会うことが多くなっています。

そこに、もう一人の中学時代の友人Oや、なぜかその関係性を気に入って割り込んできた私の大学時代の友人N(彼は現在中央大学の教授ですが)や、ちょっと変わった新聞記者なんかも加わって、何やら猥雑な人間関係が構築されて行ったのです。

Nについていえば、彼の現在の重要な研究テーマの一つは、日本の被爆者運動だそうで、時々、広島に行ってKやIに会い、そこからいろいろな人を紹介してもらったりしながら調査を重ねているそうです。

 

ここのところ、私は以前にも増して日々の生活に追われ、またコロナの影響もあってなかなか広島に戻れないのですが、近々、広島に戻る計画を練っています。

その理由は2つあります(本当はもう一つあるのですが、この記事と関係ないので省きます)。

実は、Kに腫瘍が見つかり、予後はさほど心配ないそうですが、近々入院して手術を受けることになりました。

一方、Iの方はといえば、4月から広島弁護士会の会長に就任することになったのです。

昨年の夏にもちらっとそんな話を聞いていましたが、ずっと高い志を持ち、時に挫折を味わいながらもぶれることなく生きて来たIが、被爆地広島の弁護士会長を務めることは、とても意味のあることだと思いますし、また、本当に嬉しくて堪りません。

先日、彼らの話を、共通の友人であるNに話したら、一緒に広島に行ってKの快気祝いとIの会長就任祝いをやろうと持ち掛けられました。

話はとんとん拍子に進んだので、今月中には広島で再会することになるはずです。

もしかしたら、もう一人の中学時代の友人O(彼は今和歌山で有機農業を営みながら、経営コンサルタントの仕事をやっています)も日程を調整して駆けつけてくれるかもしれません。

今からその日が楽しみです。

 

IもOもKも、そしてNも、みんな私にとっては本当に大切な友人です。

Nは大学からですが(それでも優に45年になります)、I、O、Kとの関係は半世紀を超えるものになりました。

しかし、この関係がより濃密で、何物にも代え難いほど貴重なものとなったのは、紛れもなく、あの日、受験会場でIとKが偶然に出会い、そしてまた偶然にKと私が高校で同じクラスになるという、私にとって奇跡のような偶然の積み重ねがあったからだという気がしてなりません。

日々の出来事に関する記憶力の衰えを強く感じるこの頃ですが、修道と広大付属の受験会場でIとKが挨拶した時の情景は今でも鮮明に思い出すことができます。

その偶然が、今に連なっていると思うと、やはり人生は面白く不思議なものだと感じます。

まもなくやってくる4月は新しい出会いの季節ですが、これから進学、進級、就職する人たちにとっても、そこで出会う人が一生の友人になるかもしれません。

そこまでの日々がどんなにしんどかったとしても、なんとか気持ちを切り替えて、前を向いて、わくわくしながら新しい季節を迎えてほしいと心から思うのです。

 

最後にもう一度、こんな私と長く付き合ってくれている友人たちに、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。

貴方たちがいたから、今、私はここにいることができたのだと、そう感じています。

2021年03月14日 > トピックス, 日々雑感

事件日記~刑事事件で忙殺された年末年始のこと

弁護士 折本 和司

いろいろと記事にしたいことがあるのですが、しばらく何もできないでおりました。

その最大の理由は、年末、それも大みそかに刑事事件を受任したためでした。

正直、あれこれと宿題が溜まっており、年末年始のお休みの間にそれを片付けようと思っていたのですが、その目論見はものの見事に外れました。

実は、年末が迫る中で、周りの人から、「今年はいつまで働くのか?」と問われ、「大みそかまで」と答え、さらに「新年はいつから働くのか?」と訊かれ、「元旦から」と冗談で答えていたのですが、よもやよもや(最近の流行り言葉)で、現実になってしまったのです。

というわけで、充実(!?)した年末年始を与えてくれた刑事事件のお話をします。

 

まず、大みそかに接見に行くと、事件の中身もさることながら、それ以上に、ご本人の関係者に連絡をしてあげなければならない緊急の事情があったため、弁護人に就任することとなりました。

そこで、その日(大みそか)の内に、本人の希望を受けて、家族や関係者と連絡を取ったのですが、逆に、本人にいろいろと確認しなければならないことが出て来て、翌日、つまり、元旦のお昼頃、警察に接見に出かけたのです。

それからは、毎日のように、急ぎで連絡をする必要のある件が生じて、本人と関係者の間で伝言係を務めざるを得なくなりました。

結局、1週間ぶっ通しで警察に接見に行ったわけです。

こうした個人的な連絡については、刑事弁護そのものではないし、弁護士によってはやらないという人もいるようですが、常々、私はそのような考え方は間違いだと思っています。

なぜならば、刑事事件の被疑者、被告人になる、とりわけ身柄拘束をされてしまう人にとっての不利益とは、無実の罪を着せられたり、起訴されたり、実刑とされたりすることだけではなく、自由を奪われることによって社会的な面で受ける不利益も含まれるはずであり、時にはその不利益の方がより重大な場合もあるからです。

そうである以上、社会正義に反するようなものでない限り、そうした不利益をできる限り回避してあげることも弁護士の役目だと信じるからです。

という私なりの信条もあり、実際、その事件では、関係者に連絡をしてあげなければ、本人だけでなく、周りにも重大な不利益が生じることが避けられない状況だったため、正月休みを返上して、警察通いの毎日を過ごしたのでした。

 

一方、事件そのものについて差支えのない範囲で触れますと、なぜこの件で警察が逮捕に踏み切ったのか、大いに疑問を感じるところがありました。

また、1月4日の御用始め以降は、検察官とも何度か話し合ったのですが、率直に言って、警察のおかしな捜査をチェックすべき検察官の役目がまったく果たされていないと感じましたし、警察が、被疑者を欺くような取り調べ手法を取っていたりすることについても、それを諫めるような姿勢が感じられず、検察官に対する失望を禁じ得ませんでした。

さらに、裁判所も、勾留延長請求の時点で、こちらから意見書を提出したのに対して、「逃亡の恐れがある」などとして6日間の勾留延長を認めてしまいましたが、この判断もひどいもので、その後、勾留延長に対して準抗告を行ったところ、勾留延長は取り消されることになりました(詳細は省きますが、本件の場合、被疑者が逃亡することなど絶対にあり得ない状況だったにもかかわらず、それが勾留延長の理由の一つになっていました)。

 

国外逃亡したカルロス・ゴーンの肩を持つ考えはさらさらありませんが、日本の刑事手続の実務には、間違いなく「人質司法」と非難されても仕方のないような実態があります。

実際、今回の事件では勾留延長のところでぎりぎり勝負できましたが、途中では、早期に釈放してもらうために全面的に非を認める供述をした方が、トータルな意味では被疑者の利益になるのではないかという考えが何度も頭を掠めました。

刑事司法の現実を知らない人からすると、いったん自白し、裁判で無罪を争う被告人について、無実なら自白しないはずではないかと思ったりするかもしれませんが、実際に逮捕、勾留されている人にとっては、そんな単純な話ではないのです。

検察官が警察に対するチェック機能を怠り、裁判所が、安易に勾留を認めてしまうという現実が改められるような方策が採られない限り、「人質司法」と非難される、この国の歪んだ刑事司法の健全化は期待できないのではないかと痛感します。

 

そんなことをいろいろと考えながら、警察通いを重ねた年末年始でした。

そして、今も、その後遺症で休日返上で仕事に追われております。

 

皆様も、コロナで大変な状況が続きますが、くれぐれもご自愛ください。

 

2021年02月06日 > トピックス, 事件日記

日々雑感~なすべき基本を見失っている政府のコロナ対応の過ちについて

葵法律事務所

先日の記事で、コロナウイルス感染拡大の「分水嶺」のことを書きました。
特に、人口密度が高いだけでなく、交通網が発達していて活動範囲が広く、移動も頻繁な大都市圏においては、どのような対策を執っても爆発的に感染者が増えることになる「分水嶺=デッドライン」があるはずで、それを超えないようにするためには、検査の徹底が図られなくてはならないという趣旨の内容でした。
今回は、分水嶺を超えるとどうなるかにつき、イギリスでのコロナ感染の推移を検証しつつ、コロナ対応について、なすべき基本を見失っている菅政権の対応の過ちを指摘するとともに、あるべきコロナ対応について述べてみたいと思います。

あるべきコロナ対応を考えるうえで参考になると思いますので、イギリスでのコロナ感染の推移を取り上げます。
イギリスは総人口が6000万人台ですので、概ね日本の半分強となります。
加えて、日本と同じ島国であり、他国と地続きではないという共通性もあります。
そのイギリスでは、ここに来て感染力の強い変異種が見つかったというニュースもあり、年末年始をまたいで1日の感染者数はずっと5万人を超えています。
感染者数だけを単純に対比すると、まるで対岸の火事のようにも思えますが、イギリスの推移を検証してみると、決してそのようにはいえないと思います。
ざっと感染者数の推移を見て行きますと、イギリスで1日あたりの感染者数が100人台に乗ったのは去年の3月12日ですが、1000人台に乗ったのはそれからわずか9日後の3月21日です。
現在の日本の1日あたりの最多感染者数である4000人台ですが、前述のとおり日本の総人口はイギリスの2倍近いので、4000人の半分にあたる2000人にイギリスが到達したのがいつかを見てみると、3月26日となります。
つまり、1000人台になってわずか5日後なのです。
さらに、3月31日には3000人台、4月3日には4000人台、そしてその2日後の4月5日には5000人台になっています。
要するに、2000人台から5000人台に到達するまでにわずか9日しかかかっていないことになるわけです。
これを日本に当てはめれば、4000人台になったのが12月31日ですから、1月9日に1万人に達することになります。
もちろん、当初から急激に感染者数が増えた欧州の一角であり、検査数も異なるイギリスとの単純比較はできませんが、この急激なネズミ算式な増え方こそがコロナ感染の恐ろしさです。
前にも書いたとおり、コロナ感染の厄介なところは、無症状の感染者が自身の感染を自覚できないまま感染を広げてしまうことであり、そうである以上、人口が密集するエリアでは、一定のラインを超えれば加速度的に感染者数が増加するであろうことが容易に想像できるからです。
イギリスに限りませんが、世界中で感染者数が加速度的に急激に増加してきたという現実を見るにつけ、超えるとネズミ算式に急激に感染者が増えることになる「分水嶺=デッドライン」なるものが存在することは間違いないでしょう。
ちなみに、その後のイギリスにおける感染者数の推移を見ると、しばらく数千人台が続き、夏場にかけていったん感染者数が落ち着きを見せますが、秋に入って再び増加し、10月に入ると1日あたりの感染者数は1万人台から一気に2万人台となり、11月には3万人台となって、12月の下旬には5万人台に到達しています。
今のイギリスの数字を人口比で日本に当てはめますと、1日あたりの感染者数は10万人を超えることになるわけですから、そう考えただけでも本当に恐ろしい話です。
あくまでも統計的な比較ではありますし、イギリスでの最近の急激な増加は、感染力が強いとされる変異種の影響かもしれませんが、とにかく、コロナの場合、感染が急激に広がり始めると、そこからわずかな期間で桁違いの感染者数になってしまうであろうことを念頭に置いて政策を考えなくてはなりません。

翻って日本の状況を見ますと、感染者数がここに来て右肩上がりで増加しています。
夏場の8月の増加は措くとして、10月以降で見て行くと、11月5日に1000人台、11月18日に2000人台、12月17日に3000人台、12月31日に4000人台、そして1月5日は4900人強とイギリスほどではないにせよ、十分に急激な増加傾向といえます。
中でも、東京圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)の増加は顕著です。
それは、検査数との対比でみても明らかです。
ある報道によると、東京で大みそかに1300人台を記録していますが、これはその2日前の検査結果を反映したものとのことで、その日の検査数は1万件を超えていたそうです。
それに対し、1月4日の800人台の感染者数は、その2日前の検査数が3000人台であったとのことですので、対比すると、もし1万人規模で検査が実施されていれば、2000人を優に超える人数がはじき出された可能性があることになります。
もちろん、このような検査数との単純比較の信ぴょう性については異論があるやもしれませんが、問題なのは検査数が少なすぎるということであり、そのため、本来把握され、移動が制限されるべき無症状の感染者が野放しになってしまっているであろうということなのです。

ところで、このような急激な感染者数の増加を受け、菅政権は、国民からの非難と支持率の急激な低下に恐れをなしてか、Go toを止め、緊急事態宣言の発令を決めました。
もっとも、現時点までで示されている今回の緊急事態宣言の内容を見ると、飲食業については午後8時までの営業自粛を強く求めるようですが、それ以外の業種や、当面の国民生活に影響のあるものについては、どうやら幅広い規制をかけない方向で検討しているようです。
しかし、それではあまりに中途半端で効果は乏しく、またずるずるとコロナ感染が遷延化して行くことは避けられないと思います。

本気でコロナ感染を封じ込めようというのであれば、執るべき基本政策は二つに一つでしょう。
一つは、1か月間のロックダウンです。
生活必需品の購入などのための外出を除き、また医療や福祉、役所などの欠くべからざる生活インフラに携わる人を除き、すべての外出を制限するという方法です。
感染から治癒までが概ね2週間とすると、仮に家族の中に感染者がいたとしても、2クールで治癒させることができますし、無症状の人は外出しなければ他者に移すこともないわけです(もちろん、症状の出た人は病院に行くことになります)。
その場合、外出が制限されるすべての国民に対して、一か月分の生活費や避けられない支出を補償することがセットとなります。
もう一つの方法ですが、ロックダウンほどの厳しい制限をかけず、移動や接触を許容するというのであれば、その代わりに徹底したPCR検査の実施を義務付けるという政策をセットにします。
何度も指摘しているとおり、無症状で無自覚な感染者が外出して他者と接触することを容認している限り、感染拡大は避けられません。
したがって、もし、外出を強く規制しないというのであれば、最寄り駅などでのPCR検査を義務付けるなどして、検査を移動、外出の条件とするほかないと思うのです。
特に、東京圏、大阪圏など、県境をまたいでの移動が当たり前の大都市圏では、徹底した感染の洗い出しが不可欠です。
検査は、規制の実施に伴い、2~3週間の間を置いて2回行えば足りるでしょう(もちろん、感染者の濃厚接触者についてはそれとは別に実施すべきですが)。
ほかにも医療への手厚い補助など、組み合わせるべき政策はいろいろとあいますが、基本とすべきはこのいずれかの政策を措いてほかないでしょう。

とにかく、今の政府の中途半端なやり方ではコロナを短期間で収束させることは不可能です。
特に、東京圏ではすでに潜在的な無症状感染者が激増しているので、感染者の徹底した洗い出しもせず、中途半端な規制を行うだけでは、無症状で無自覚な感染者が他者と接触するということを防げず、今後、一気に爆発的な感染増となる可能性が高いし、地方への波及も防げません。
国会議員の人たちには、党派を超えて、一刻も早く、その場しのぎではなく、コロナの徹底的な封じ込めにつながるような政策を決め、それを実行してもらいたいと強く望みます。

2021年01月05日 > トピックス, 日々雑感

新年のご挨拶

葵法律事務所

あけましておめでとうございます。

コロナウイルス感染が始まってから、瞬く間に世界が一変し、それから1年近くが経過しようとしているのに、未だ先行きが見通せない状況が続いています。
日本国内においても、ここに来て感染は拡大の一途をたどっており、しかも、「疾風に勁草を知る」の諺どおり、今の政治が国民に寄り添おうという姿勢からほど遠いものであることもまた明らかになっています。
そうした人災の面も色濃くありますが、医療や福祉の現場を始め、飲食産業、観光産業など、様々なところで、コロナの影響は極めて深刻なものとなっています。
困っている人に寄り添って危機を乗り切るために知恵を絞るのが私たち弁護士の使命ですので、新年を迎えて、初心に立ち帰り、これからも日々の仕事に誠心誠意取り組んで行きたいと決意を新たにしている次第です。

本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

2021年01月03日 > トピックス

日々雑感~この国に正義はあるか?

弁護士 折本 和司

安倍前首相が「桜を見る会の前夜祭」に関する疑惑で、東京地検特捜部が「嫌疑不十分不起訴」としたとの報道がありました。

その理由は、「桜を見る会の前夜祭」のホテル利用料の補填をしたことについて、自身は知らなかったという安倍氏の弁解を覆す証拠がないということのようです。

しかし、こんな説明で納得する人間なんているのでしょうか(納得した振りをする人間はいるかもしれませんが)。

ましてや、証拠を精査し、被疑者の不自然な言い訳の中にある嘘を見抜いて真実に到達することが生業であるはずのプロフェッショナルの検察官が納得するなんてまずもって考えられないことです。

なのに、不起訴?

しかも、この年末のコロナの大変な時期に、拙速に?

検察がそのような結論を出してしまったなんて、もはやこの国に正義なんてものは存在しないといっても過言ではないのかもしれません。

法治国家である(あった)はずのこの国の現実に深い絶望と憤りを禁じ得ませんので、今日はこの問題を取り上げます。

 

まず、この「桜を見る会の前夜祭」に関する疑惑について、簡単に問題点を指摘します。

「桜を見る会の前夜祭」は、「桜を見る会」の直前に安倍氏の支援者らを集めてホテルニューオータニで開かれた会食形式の集まりですが、参加者が負担した会費は5000円にすぎませんでした。

しかし、腐っても(言葉のあやです)ニューオータニですから、5000円で済むはずはありません。

そこで、不足分を安倍氏側が補填していたのではないかという疑惑が持ち上がることになります。

もちろん、そうなれば、選挙区の選挙民、支援者に対する利益供与となるので公職選挙法違反の問題も生じますし、収支報告書への不記載もあるため政治資金規正法違反の問題も生じます。

それを恐れてのことだったのでしょう。この問題について、安倍氏は、森友や加計の時と同様、補填の事実を否定し、ホテル側から領収証を渡されたことについても否定するなどして、参加者の名簿も開示せず、国会の質疑で、しらを切る姿勢を取り続けます。

今にして振り返ると、今年8月末の突然の首相退任表明もこの問題が表面化することが避けられないと見たからなのかもしれません。

 

そしてこの退任表明からわずか4ヶ月弱で、不起訴処分での幕引きが図られようとしているわけです。

皆さんはどう感じておられるでしょうか。

私は、最初に書いたとおり、この国の現実に絶望しています。

もはや正義はないのだと。

かつてボブ・ディランが、無実の黒人ボクサーを救えと歌った「ハリケーン」という曲の中で、「この国では正義はゲームでしかない」と訴えていましたが、まさに、今の日本では、正義なんてものは、権力者の都合で、恣意的に操作できる歪んだものに成り下がってしまいました。

 

安倍氏の弁解はおよそ信じがたいものであることは、事件の経緯を振り返れば明白です。

たとえば、この桜を見る会の前夜祭で行われた補填は、この年が初めてではなく、少なくとも5年間は繰り返されているとのことですが、1回限りのことならいざ知らず、毎年、多くの選挙民、支援者を呼び寄せて、その費用の一部を負担するということが、秘書だけの判断でなされていたなんてこと(少なくとも安倍氏が全く知らないなんてこと)があり得るでしょうか(不起訴後の会見では、さらにその原資が個人の預金からのものと述べていますので、なおさらおかしなことになります)。

また、国会での質疑で、彼は、補填を何度も強くきっぱりと否定していますが、そうだとすると、一国の首相ともあろう人物が、秘書の虚偽の説明を鵜呑みにし、自身ではその裏付けを取ることもなく、国会できっぱりと疑惑を否定し続けていたことになります。

しかし、実際にいくらかかったかについては、一方当事者であるホテル側に確認すればすぐに明らかとなったはずですし、実際、野党側からの照会には回答がなされ、答弁の矛盾点が示されたにもかかわらず、安倍氏はその後もまったく検証を試みることすらしていません。

実際、ニューオータニのトップは、安倍氏の支援者の一人とされており、本当の会費がいくらであったか、領収証を誰宛に発行したかなどは、なおのこと、容易に確認し得たはずです。

それをやろうともせず、国会で嘘を垂れ流し続けたということ自体、ほかならぬ安倍氏自身が嘘であることを承知していたからというのが、ごく自然な見方でしょう。

いくら、ニューオータニの代表者が安倍氏の支援者であるとしても、さすがに多くの出席者がいる集まりについて、安倍氏の嘘に沿うような証拠を公に出せるはずはなく、ニューオータニに対して証拠の開示を求めることは墓穴を掘る(嘘がばれる)ことになるからです。

つまり、国会での審議中に、安倍氏がニューオータニに証拠開示を求めなかったこと自体が、「わかって嘘をついている」ことを裏付ける重要な事実となるのです。

変な言い方かもしれませんが、秘書のせいにして逃げ切るなら、国会審理中に「ホテルに確認したところ、補填の事実が明らかになった。秘書が勝手にやっていたことだが、すべて私の不徳の致すところで、責任を痛感している」とでもいえばよかったわけです(まあ、責任は痛感しても、責任を取らないのが安倍流なのですが)。

そこまで知恵が回らなかったか、今回もごまかしていれば逃げ切れると読んだのかわかりませんが、国会での疑惑追及が進行中の間の安倍氏の振る舞い自体、一連の補填が安倍氏の指示もしくは了解のもとに行われ続けたことの証左といえるでしょう。

 

ところで、安倍氏の不起訴と同じ日に、くしくも安倍氏が検事総長にと目論んでいた黒川元検事長の賭け麻雀疑惑について、検察審査会が「起訴相当」の結論を出したとの報道がありました。

安倍氏についても同様の判断が出ることを予感させるニュースですが、裏を返せば、この国の刑事司法のメインエンジンである検察庁がまともに機能しておらず、権力に取り込まれてしまっている現実が二重に浮き彫りになったともいえます。

黒川元検事長の賭け麻雀疑惑について、今後、検察がどのような結論を出すのかにも注目が集まりますが、安倍氏の処分についていえば、今後の展開による条件付きの状況ではあるものの、検察に対して強く求めたいことがあります。

おそらく安倍氏の不起訴処分については、今後、検察審査会への申立がなされるでしょうから、そこで「起訴相当」もしくは「不起訴不相当」の結論が出された時には、今度こそ、勇気を見せて、検察こそが正義の実現の担い手なのだという気概を私たち国民に示してほしいのです。

特に、担当となる検察官に対しては、もし上からの圧力があっても、決してそれに屈することなく、場合によっては、内部告発をしてでも、安倍氏を正式に起訴してもらいたいと思います(この件は、検察審査会で2回起訴相当の判断が出る可能性が十分にありますが、そうなること自体、検察の死を意味するといっても過言ではないでしょう)。

 

最後に申し上げたいのは、こうした問題の根っこにある、今の自民党中心の露骨な利権誘導型政治を終わらせない限り、この国の未来は暗澹たるものになるということです。

多くの国民が感じているように、コロナ感染再拡大という今の日本の状況もまた、やはり自民党の露骨な利権誘導型政治によってもたらされた人災の面が大きいといえますが、安倍氏の一連の疑惑もまた同根といえます。

野党は頼りないし、軸がぶれぶれの議員も多いですが、アメリカのように、現状を変えることで政治が浄化されるということには、それ自体、大きな意味があるはずです。

私たち国民一人一人が、常に政治のあり方に関心を持ち、怒りの声を上げなければならないし、そうしなければ本当に手遅れになってしまうと、心からそう思うのです。

 

2020年12月27日 > トピックス, 日々雑感
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