事務所トピックス

医療事件日記~厚労省が定めた「三原則」を守らない電子カルテの証拠保全Part1

葵法律事務所

最近行った証拠保全で呆れかえるくらいでたらめな電子カルテに出くわしました。
いろいろと由々しき問題を含んでいると思いますので、取り上げてみたいと思います。

受任事件は整形外科の症例ですが、医師の落ち度は明白であり、かつ結果も非常に重大となった事故に関するものです。
すでに任意開示で一部の記録は入手済みだったのですが、たとえば、手術記事に肝心な経過が記載されていないなど、記載内容に疑義があって、改ざんされた可能性もあることから、証拠保全の申立に踏み切りました。
当日、病院に赴くと、すでに会議室のような場所に医療記録一式が置かれていました。
しかし、電子カルテですので、それではだめだということを告げ、パソコンの画面上でデータの更新履歴や、出力画面で漏れがないかを確認する必要があると話したのですが、事務方の担当者は、その理由がよく理解できず、しばらくは嚙み合わないやりとりが続きました。
そのやりとりの中で、事務方の担当者に、「この病院の電子カルテはどこのベンダーのものか」と尋ねてみたところ、「自前で構築したものだ」という説明がありました。
自前で構築した電子カルテに出くわしたのは2度目のことですが、この時点でちょっと嫌な予感がしたのです。
実は、電子カルテは、同じベンダーのものでも、医療機関の要求や実情に合わせて仕様がアレンジされていることがあり、保全の際にそれに応じた対応が求められ、てこずることもあるのですが、自前の電子カルテとなると、より病院側に都合のよい仕様になっている可能性があることが予想されたからです。
本来、今回の証拠保全の対象となる診療期間は実質的には3日間なので、スムーズに行けば午後4時前には終わると踏んでいたのですが、その後、この嫌な予感が的中する事態となります。

事務方の担当者では埒が明かないため、電子カルテを扱える別の担当者が対応することになりました。
ただ、ノートパソコンでは印刷ができないとのことで(それもおかしなことではあるのですが)、デスクトップパソコンが置いてある事務局スペースに案内されます。
そこで、私たちは、驚愕の事実を知ることとなります。
この病院の電子カルテのシステムでは、個々の記載の更新履歴を画面上に表示することができず、そのため、更新履歴についてはプリントアウトすることもできないというのです。
「そんなばかな」ということで、「何とか表示できないのか」と食い下がりましたが、担当者は、「そういうシステムになっているので、どうしようもありません」と答えるばかりです。
まあ、こう書くとにべもない対応のように聞こえますが、実際には、担当者の方は、とても誠実な方で、尋ねたことにもきちんと答えてくださり、要求したことにも嫌な顔をみせることもなく丁寧に対応してくださっていたのですが、仕様の問題で如何ともし難いということで申し訳なさそうな様子でした。

この「更新履歴が表示されない」「印刷できない」という不具合は、一般の方からするとピンとこないかもしれません。
しかし、私たちが証拠保全を行う目的は、その時点までのデータをすべて入手し、真相解明に役立てることですから、過去の更新履歴が保全できないのでは証拠保全を行う意味がないに等しいのです。
実際、カルテの改ざんは、日常茶飯事とまでは言いませんが、全然珍しいことではなく、そのため、更新される前の記事を検証することは必要不可欠なのです。
そうしたことを防止するため、電子カルテについては、厚労省が定めた「三原則」といわれるものがあります。
このことは前にも書きましたが、再度書きます。
そもそも、カルテは紙媒体による保存が義務付けられていたのですが、その規制が緩和され、電子保存が可能となった際に、厚労省は、「電子保存の三原則」なるものを定めました。
その三原則とは、「真正性」「見読性」「保存性」の3つです。
この内、「真正性」とは、正当な人が記録し確認された情報に関し第三者から見て作成の責任の所在が明確であり、かつ、故意または過失による、虚偽入力、書き換え、消去、及び混同が防止されていることです。
次に、「見読性」とは、電子媒体に保存された内容を、権限保有者からの要求に基づき必要に応じて肉眼で見読可能な状態にできることですが、「診療に用いるのに支障が無いこと」だけでなく、「監査等に差し支えないようにすること」も必要とされています。
また、「保存性」とは、記録された情報が法令等で定められた期間に渡って真正性を保ち、見読可能にできる状態で保存されることです。
こうしたことは厚労省のガイドラインに書かれていることですが、電子データである電子カルテの場合、容易に書き換えができ、痕跡を残さず改ざんできてしまうという代物ですので、「紙カルテと同等のもの」が確保されていなくてはならないとされたわけなのです。

今回の病院の電子カルテが、この内の「見読性」の原則に反することは明らかでした。
ただ、そうはいっても、そのまま帰るわけには行きません。
そこから、現場での悪戦苦闘が始まったのです。
最初にも書いたように、医療事故の真相究明の観点からして、これは非常に由々しき問題であり、そうしたことも含めて、Part2に続きます。

2021年07月04日 > トピックス, 医療事件日記

日々雑感~「東京オリンピック」を中止すべき理由について

弁護士 折本 和司

ゴールデンウイークに入ったので、久々に連投します。

 

ちょっと前に、宮本亜門さんが東京オリンピックの中止を訴えておられましたが、全く同感です。

一方、政府や組織委員会は、国内外でコロナウイルス感染が収まる気配が見えない中で、スポンサー絡みの聖火リレーをこそこそ続けたり、さらにはオリンピックのために医療者を500人確保すると宣言するなど、相変わらず、国民の命や健康よりもオリンピックの開催を優先させる姿勢を変えていません。

政策の優先順位として論外であり、怒りを禁じ得ませんが、オリンピック開催の可能性という観点からしてもずれているとしか言いようがありません。

もはや、オリンピックが、多くの諸外国や多くの国民が納得する形で開催されることはおよそ期待できないからです。

以下、私が東京オリンピックを中止すべきと考える理由について述べます。

 

今回の東京オリンピックは、招致の段階から、安倍首相が原発事故の影響についてアンダーコントロールと実態とかけ離れたプレゼンテーションを行ったり、震災の地と離れた場所での開催なのに「復興五輪」を謳ったり、さらには、海外の捜査で、IOCの委員への買収疑惑が取りざたされたりする等、のっけからケチの付き通しでした(そんなことに比べれば、一時大きく取り上げられたエンブレムに関する疑惑など、かわいいものだったと感じる人も多いのではないでしょうか)。

さらには、コンパクト五輪を謳いながら、いざ招致が決まると、みるみる予算が膨れ上がり、当初7000億円強程度だったはずの予算額は、いつの間にか数兆円は下らないとも言われるようになっており、オリンピック利権という甘い蜜に有象無象が群がっているようにしか見えない状況になっています。

これは日本だけの問題ではなく、オリンピック自体が、ロサンゼルスオリンピックの頃から、商業五輪へと変質し、腐った商業主義が究極にまでエスカレートしてしまっていることの現れともいえるでしょう。

オリンピックが夏の暑い盛りに実施されるようになった理由も、高額の放映権料を支払うアメリカのテレビ局の都合が優先されたためだそうですが、言うに事欠いて、招致の際に、日本政府は、この時期の穏やかな気候が開催に適しているという発言をしてもいました。

しかし、マラソンなどの体力の限界に挑む過酷な競技が酷暑の盛りに行われることが如何に危険であるかは子供でもわかる話で、そのこと一つを取っても、「アスリートファースト」は口先だけで、オリンピックビジネスを成功させるためだったらなんでもありという印象を抱かせます。

要するに、もはやオリンピックは、それに乗っかって一儲けしたい人たちのためのイベントに成り下がっており、このような商業主義が跋扈している限り二度と誘致すべきではないし、オリンピック出場を夢見て頑張って来られたアスリートの人たちには申し訳ないのですが、「アスリートを利用し、食い物にする銭儲けのための運動会」という根っこが変わらない限り、世界の何処であれ、開催されること自体に否定的な感情が湧いてくるほどです。

 

そんなわけで、オリンピック自体に否定的な考えを持っている私ですが、そうした考えをいったん封印した上で、今のコロナ禍におけるオリンピック開催の是非という点のみに絞って意見を述べたいと思います。

ですが、コロナ感染の広がりとの関係のみからしても東京オリンピックの開催は無理だというのが、かなり前からの私の結論です。

もちろん、コロナ感染については、感染抑制のためにどのような政策が採られるかによっては、あと3か月弱の間に劇的に収束する可能性がまったくないとまではいえませんので(まあ、その可能性もほとんどないでしょうが)、日本国内のことだけにフォーカスするなら、もう少し様子を見てからという考え方もあり得なくはないのかもしれません。

また、無観客開催とか、入国者数を制限するとか、入国の際の検査を徹底するとかいったことで、感染拡大を防ぐ取り組みが一定程度奏効する可能性もないとはいえないでしょう。

 

しかし、国内におけるコロナウイルス感染リスクをある程度抑制できたとしても、別の視点から見れば、やはり東京オリンピックの開催はおよそ不可能であり、このままで行けば、中止に追い込まれることは必至と思います。

なぜならば、仮に国内の感染がある程度抑制されたとしても、世界中のコロナ感染状況があと2か月くらいの間に劇的に改善することはまずもってあり得ないからです(実際、ここに来て、変異株が一気に広まっていますし、インドではたった3日で100万人以上、一日あたり40万人以上が感染するという凄まじい状況になっています)。

自国内のコロナ感染がある程度収まらない以上、そう遠くない時期にかなりの国がオリンピックへの参加をボイコットするという決断をすることになり、そうなれば、世界のアスリートが平等に参加できるイベントとはいえなくなるに違いありません。

欧米ではワクチン接種が進んでいる国もありますが、十分に行き渡っているわけでもありませんし、あちこちで変異種も発生していて、ワクチンがそのすべてに効くのかも不明です。

要するに、世界を見渡せば、コロナパンデミックが収まる気配はなく、冷静に見れば、日々多くの感染者が出ている国の人たちにとっては、とてもオリンピックイベントなんかにうつつを抜かしているどころではないでしょう。

もちろん、未だ予選すら開催できていないという競技もあります。

オリンピックは、世界の最高峰のアスリートが一斉に集い、培った力を競う4年に一度の貴重な機会ではありますが、コロナ禍で混乱する世界の現実を見れば、スポーツ大会の開催が優先されるべき状況でないことは明白です。

 

かつて、政治や戦争などでオリンピックが開催できなかったこともあり、また一部の国のボイコットによりアスリートが無念の涙を流したこともあるわけで、「スポーツと平和の祭典」であるはずのオリンピックが政治や戦争などに左右されることなく開催され、全世界のアスリートが集えることには、何物にも代えがたい価値があります(そこが変質してしまっているということに抗うべきであると思うのですが、その点は措きます)。

ただ、逆にそうであるがゆえに、もはや全世界のアスリートが集えることができないことがほぼ確実となっている東京オリンピックを、世界中でコロナにより多くの命が日々失われている現実から目を背けてまでして、開催に向けて血道を上げることが、如何に誤った選択であるかは火を見るより明らかではないでしょうか。

もし、このまま開催につき進めば、他国の人たちからも軽蔑され、また大部分の日本国民からも批判を浴びるという、「呪われたオリンピック」になることは想像に難くありません(逆に、ここで開催を断念すれば、その決断については多くの国から理解は得られるでしょうし、またこれまでの準備が無になったことへの同情も集まるはずであり、その方が国益に叶うとも考えられます)。

もちろん、そこから先のことは、各競技の国際団体が中心になって考えることかもしれませんが、もし、来年あるいは再来年になってコロナの状況が落ち着けばオリンピックに代わる個別競技の世界大会を実施するという目標を立てるということはありかもしれません。

オリンピックに向けてトレーニングを積み、研鑽を重ねて来たアスリートの人たちに報いてあげるという意味があると思うからです。

 

とにもかくにも、諸外国が次々と参加ボイコットを表明した挙句に中止に追い込まれる前に自ら中止を表明し、徹底したコロナ対策に注力して国民の生活を守ることこそが、政府の取るべき道だというのが私の意見です。

2021年05月02日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~国民を「緩慢な死」に追いやる政府や一部自治体のトップらの無策に憤る  

弁護士 折本 和司

 

いったい、今の自公政権はコロナ禍で苦しむ国民のことをどう思っているのか、本当に疑問だし、憤懣やるかたない気持ちになります。

東京や大阪などに3度目の緊急事態宣言が出ました。

ゴールデンウイークを直撃するものですし、日本の二大都市圏を狙い撃ちにするわけですから、国民の生活に重大な影響が生じることは避けられません。

という以上に、地道に生活している人たちにとって、生活の基盤を奪われ、生死にすら直結しかねないわけで、その状況を思うと胸が苦しくなります。

すでに、私たちの職場である横浜関内近辺でも飲食店を中心に閉店を余儀なくされた方々が大勢おられます。

対策の遅れ、混乱は、もはや一刻も許されないはずなのに、いったい、この国の政府は何を考えているのでしょうか。

実際、今回の緊急事態宣言はもう結果が見えていると思います。

宣言からしばらく経った時点では多少減少するかもしれませんが、緊急事態打ち切りでそこからほどなくすれば再び感染者数は増大するでしょう。

要はそんなことの繰り返しなのです。

そんな中途半端な効果しか見込めないのに、かき入れ時のゴールデンウイークにかけて宣言を出されれば、観光やレジャー、飲食、ショッピングなどを中心に、幅広い業種にダメージを与え、さらにはそれぞれの業種で働き、生計を得ている多くの国民の収入源を奪う結果となるのです(あくまで自粛「要請」ですので、それに見合う補償もありません・・・ここが本当にずるいのです)。

 

大多数の国民は、これまでずっと国の政策に疑問を感じながらもその要請に従って歯を食いしばって政府の要請に従って協力して来たにもかかわらず、政府は相変わらず小手先の対応に終始し、コロナ終息のための有効な手立てを見いだせないでいます(なのに、オリンピックだけは、すっとぼけて開催すると断言し続けています)。

今回の緊急事態宣言に至っては、1月に緊急事態宣言、3月にどこが違うかよくわからない「まん延防止措置」に切り替えて、舌の根も乾かないうちに、大々的に宣伝した「まんぼう」の結果の検証すらないまま、よりにもよって、ゴールデンウイークにぶつける形で慌しく発令されたわけで、今の自公政権の混乱ぶりは目に余ります。

というわけで、執るべきコロナ対策のことなどについてもう一度書いてみます。

 

約1年前の記事でも「政府がこのまま中途半端な政策を続けると、だらだらと感染が長引き、かえって日本経済や国民生活が重大なダメージを受けることになる」と書きましたが、まさにそのとおりの事態になっていると実感します。

日本は極東の島国であり、地続きのヨーロッパ諸国や広大な国土を持つアメリカ、ブラジル、インド等と異なり、コロナ感染の拡大が抑えやすいという地政学的な有利さがあるわけで、比較的感染者数が少ないのは、そうしたことの恩恵という面があります(それと日本人の真面目さ、勤勉さも影響しているのかもしれません)。

にもかかわらず、未だに感染がなかなか収まらず感染が再々拡大の様相を示している状況は、一言でいえば政府の無策によるものというほかなく、ここに来ての感染拡大は天災ではなく、もはや人災と断言してもよいでしょう(東京都知事、大阪府知事などがやっていることも五十歩百歩ですが)。

 

これも前に書いたことですが、コロナ感染を終息に向かわせるためには、検査の徹底か1か月程度の徹底したロックダウンに踏み切るしかないと思います(ほかにも消費税ゼロ、公平な収入補償など併用すべき政策がありますが)。

しかし、今の自公政権が打ち出している政策はあまりに中途半端であり、大都市部を中心に一定以上の感染者いる現状において、今のやり方で感染を封じ込めることはおよそ不可能です。

多くの国民が、緊急事態宣言に従わなくなりつつあるのは、自粛疲れということもあるでしょうが、真面目に自粛しても感染が収まらないであろうと多くの国民が感じていることが大きいのではないでしょうか。

実際、緊急事態宣言がいかに的外れなものであるかは、現実に歓楽街、オフィス街が混在する関内あたりで生息しているとよくわかります。

たとえば、飲食店ですが、緊急事態宣言下で午後8時に閉まるとなると、午後6時ころからは店は非常に混みあいます(逆に、時短要請に従わないところは、午後8時以降に混み混みとなっているようでした)。

電車も普段と異なり、午後8時すぎまでが非常に混雑しますし、スーパーなども早くに閉まってしまうため、早い時間帯から混みあっています。

つまり、皮肉なことに、緊急事態宣言によってかえって「密」が作り出されているわけです。

さらに問題なのは、いびつに金をばらまいてまで実施した時短要請にどの程度の効果があったかが疑わしいということです。

最近目にしたある統計において、一般の飲食店での飲食は主要な感染ルートではないという結果が指摘されていました。

確かに、飲食店はもしクラスターになれば商売自体できなくなるので、多くの店が感染対策には気を配っていますし、客もエチケットとして、マスクや消毒、距離を保ち、大声で話さない等、気をつけていますから、一般の飲食店に対する時短要請は感染の抑制という点ではたいした効果がないという意見には十分に首肯できるところがあります(今年1月の時短要請で感染者が減ったのは、一般的な飲食店ではなく、濃厚接触を基本とする性風俗系の飲食店の多くが休業したことが大きかったと見ても矛盾しません)。

にもかかわらず、政府や東京都知事などは、相変わらず、飲食店での飲食が諸悪の根源であるがごとき発言を繰り返し、緊急事態宣言下で、飲食店の時短の要請に加え、ここに来て酒の提供を止めるようにとまで言い出していますが、何を根拠にそんな妄言を吐くのでしょうか?

政府や東京都知事などの発言は、メッセージとして重いものであり、人々の心理や行動に大きく影響するのですから、きちんとしたエビデンスが示されなくてはならないはずです。

私たち国民は、そのことに疑問を持ち、エビデンスを示すよう、声を上げなくてはならないと強く思います。

「GO TO~」についても、政府は感染を助長したことを認めていませんが、感染者数の推移からすれば、その影響は明らかだし、前倒しで再開した宮城県の感染者数の増加という事実も、「GO TO~」が感染拡大を持たらした可能性が極めて高いことを裏付けています。

しかし、政府は、相変わらず、「GO TO政策」に執着しています。

最近も、奈良県では、「GO TO~」再開を決め、医療者からの反発を受け、慌てて取りやめたということがあり、奈良県が批判されましたが、「GO TO~」の再開については「GO TO~」を推進する政府側の組織があり(さらにいえば、その背後で甘い汁を吸おうとしている連中がいます)、そこからの働きかけがあるわけで、最も批判されるべきは、相変わらず「GO TO~」に執着する政府の姿勢であるべきです。

飲食店や集客施設を感染の巣みたいに取り上げて自粛要請のターゲットにしているのは、「GO TO利権」隠しのためのスケープゴートではないかとすら感じます。

もちろん、観光、旅行業界は大変です。

しかし、コロナ感染の終息が見えない状況で、大都市圏から地方への感染の広がりを助長する「「GO TO TRAVEL」も、飲食店への自粛要請と明らかに矛盾する「「GO TO EAT」も、それ自体、いびつな政策だし、依存を招くだけで、長い目で見れば逆効果になりかねない愚策に違いないと思うのです。

とにかく、「GO TO~」にせよ、飲食店などへの時短要請の協力金にせよ、国民の税金が使われています(本稿に直接関係はありませんが、オリンピックにも、リニア新幹線建設にもです)。

コロナ対策と称して、政権に近い人間や組織が甘い汁を吸っていると実態があるわけで、詰まるところは、私たちが汗水たらして働いている中で、国民から吸い上げられた税金の使い道に関することに、私たち国民が関心を持って声を上げなければ、国民の命や健康を守るための政治なんておよそ実現不可能に違いありません。

 

話を戻します。

前にも書きましたが、今の日本でコロナ感染が収まらず、だらだらと感染が続く主な理由を2つ挙げます。

1つ目は、ずっと指摘していますが、コロナの場合、無症状感染者と健常者の見分けがつかず、一見すると健康に見える無症状感染者が日常生活の中で他人と濃厚接触をし、感染を広めてしまうためです。

性風俗系の店に行けば当然感染は広まりますが、そうでなくても身近な人との濃厚接触もあります。

症状の発現時期と他者への感染が広がる時期が一致するインフルエンザとの違いは決定的に大きく、コロナ感染が容易に収まらない根本原因はここにあります。

2つ目は、これも前に指摘しましたが、大都市、特に東京圏(神奈川、千葉、埼玉の通勤圏を含む)では、すでに潜在的な感染者数がけた違いになっている状況に陥っていることです。

大都市圏で潜在的な感染者数がけた違いになっているということは、緊急事態宣言が発令されて多少感染者数が減っても、潜在的な感染の広がりが完全に抑えられない以上、他者との接触の機会が増えれば当然に感染も広がるという悪循環が繰り返されることを意味します。

つまり、1つ目のコロナの特質を理解した上で、2つ目の大都市圏の潜在的な感染者数の増大をいかにして抑え込むかという発想で対策を考えない限り、将来、コロナが弱毒化するか、真に有効なワクチンが国中に行き渡るまでは、いつまで経っても感染の終息は見込めないことになります。

なのに、今年1月の緊急事態宣言以降、東京圏では全体的に検査人数が減っているとの王道もありますが、表向きの感染者数を少なく見せたいという意図が見え隠れしていると感じます(オリンピックもあるし、感染者数が増えれば政権や自治体のトップが批判を浴び、選挙で不利になるということもあるのかもしれません)。

しかし、これは本末転倒というほかありません。

この点、コロナのことについて騒ぎすぎだと発言する人もいますが、その考え方も無責任で間違っていると思います。

何度も書きましたが、コロナの恐ろしさは、無意識のうちに感染者となり、他者に感染を広げ、油断すると、あっという間に爆発的な感染を引き起こし、さらに、基礎疾患を抱え、免疫機能の衰えている人を死に至らしめる疫病だということにあります。

自分は罹っても平気だとかという発想の人間は、他者に思いやりを持つ必要がないと言い放っているに等しい愚か者です(自分の身近な人がそのような目に遭った時、どう感じるのでしょうか)。

インドでは、たった3日で100万人を超える感染者が出たそうです。

イエメンでは墓を掘る人が足りないそうです。

コロナ感染が爆発的になるということはそういうことです。

いかにして潜在的な感染者を把握するかといえば検査の徹底しかないし、潜在的な感染者増加の状況で観戦を封じ込めるには、ロックダウンしかありません。

 

最後に言いたいのは、オリンピック利権だか、GO TO利権だか何だか知りませんが、自公政権が中途半端な政策でお茶を濁そうとしている内に、多くの国民が日に日に苦境に追い込まれている状況を何としても変えなくてはならないということです。

そのためには、真に国民のために働こうという気持ちを持ち、国民の痛みをわがこととして受け止める政治家が、勇気をもって党を超えて団結し、ドラスティックな発想の転換で、思い切った政策を打ち出してもらいたいと思いますし、今年行われる国政選挙では、私たち国民も、保身や目先の利益なんかではなく、大局的に国民のために汗をかいてくれる政治家を選んで投票すべきだと強く思います。

 

2021年05月01日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~ついに前期高齢者になりました。

弁護士 折本 和司

昨日、私は65歳の誕生日を迎え、前期高齢者の仲間入りをしました。

こんなカテゴライズはクソだとか、いろいろと思うことはありますが、この日を迎えられたこと、そして、多くの人たちに助けてもらったことを心から感謝し、心から御礼申し上げたいと思います。

ところで、ここ数日、昔からの友人たちと話す機会がありました。

中でも、誕生日に話をした高校時代からの親友とは高校入学前の2月に出会っているので、出会いから50年という節目をすでに迎えたことになります。

他人にはどうってことのない話ではあるのですが、ちょっとそのことを書いてみたいと思います。

 

どうやって彼(こんがらがるので、とりあえずKとしておきます)と出会い、そして親しくなって行ったかについて思い返してみると、実際、人生には奇跡のような偶然の重なりというものが存在するのだと不思議な気持ちになります。

Kと最初に出会ったのは、広島の修道高校の受験会場でした。

実は当時の成績では、修道高校の合格は無理だということはわかっていました(また、うちは貧乏なので、私立はだめだとも言われていました)。

しかし、ある日、中学3年の時の担任に呼ばれて「修道と広大付属を受けろ」といわれたのです。

すかさず「無理です。受かるわけないから」と断りました。

しかし、担任は、「とにかく受けろ」の一点張りで、両親が説得されてしまい、結局受験することになりました。

あとで聞いた話ですが、担任の狙いは二つあったそうです。

一つは、私がいつもぎりぎりにならないと勉強に身が入らないタイプの生徒だったので、受験日程をまめに入れた方がいいというものでした。

もう一つの狙いは、私のためということではありませんでした。

実は、同じクラスで一番勉強ができる生徒がいて、彼(こんがらがるので、とりあえずIとしておきます)が私と親しかったのですが、Iの志望校が修道と広大付属だったのです。

なので、担任は、私が一緒に受験すればIがリラックスして受験に臨めるということも考えたというのです。

その担任はすでに亡くなられており、今となってはその真偽は不明ですが・・・。

 

ともあれ、私は友人Iと待ち合わせ、一緒に修道高校に行き、受験会場をうろうろしていました。

すると、そこでIがある受験生と挨拶をしたのです。

人懐っこい、ジャガイモみたいな顔の男でした。

その時、私は二人の会話をただ横に立って聞いていました。

修道高校の受験が終わり、今度は広大付属の受験に臨みました。

その時も、Iと待ち合わせて広大付属に行き、受験会場をうろうろしていたのですが、またもや修道の時と同じ受験生と出くわし、そこで二人はまた挨拶をしていました。

 

結局、私の方は番狂わせなどなく、修道と広大付属に落ちて地元の県立国泰寺高校に入学しました。

そして、入学初日、1年7組の教室に行くと、なんとその同じ教室に修道と広大付属で出会ったジャガイモみたいな顔をしたKがいるのです。

その時は、お互いに奇妙な偶然に驚き、あらためて挨拶をしました。

Kは非常に人望のある男で、その後クラス委員となり、私たちの代の生徒会長を務めることになります。

また、Kとの縁は1年生の時だけでなく、3年間ずっと同じクラスになりました。

一方の中学時代のIとは高校は別々になったものの、もう一人仲の良かった友人Oと放課後に会い、Iの家にしばしば泊まるなど、その関係は続いて行きます。

ただ、徐々に知ることになるのですが、私とKを引き合わせたIとKの関係は、その当時、若干微妙なものでした。

実は、IとKは元々同じ中学に入学していたのですが、Iは途中から私のいる中学に転校して来ました。

Iが元々いた中学は、市内で最も荒れていることで有名でした(広島の地元の人間なら大体わかるはずです)。

そこで、Iは上級生の不良たちから目をつけられ、家の前で不良たちが待ち構えているような状況になっていたので、ご両親がやむなく転校させたのです。

一方のKは、そのままその中学を卒業するのですが、彼は中学でも生徒会長を務めています(あとで聞いたら、親の引っ越しで一瞬だけ転校したものの、つまらないと感じて元の中学に戻ったそうなのですが)。

KはIが転校に追い込まれた事情を知らなかったこともあって、高校入学当時は、Iに対して複雑な思いを持っているような話をしていました。

 

それはともかく、高校卒業後も、私はK、そしてIやもう一人の中学時代の友人Oとの関係が続きます。

Iは中央大学に進み、困っている人、労働者を助け、世の中を良くする仕事に就きたいといって、司法試験を志します。

一方の私は、音楽をやりたいとほざきながら、だらだらとした大学時代を過ごすのですが、Iとは月に1回以上は、池袋か渋谷で会って、それからどちらかの家に行き、朝方まで酒を飲みながら話をするという関係を続けていました。

いよいよ大学を卒業する間近になり、就職するかどうかを迷っていたのですが、結局、IやKの影響もあり、私自身、世のため人のためにできることをしたいという思いがありましたので、そこから司法試験を目指すことを決めました。

一方のKはさらにピュアで、紆余曲折はありましたが、困っている人の力になりたいといって福祉の仕事を志すようになります。

 

やがて、私もIも司法試験に合格し、Iは地元である広島に戻り、私は横浜で、それぞれ弁護士になりました。

Iが広島に戻ったことで、IとKとの関係はさらに深まります。

Kは、ある知的障害者の施設で働くようになり、現在はその施設の責任者になっていますが、職場や障害者の問題でもIにしばしば相談するようになりました。

最近では、広島に戻る時は、3人で会うことが多くなっています。

そこに、もう一人の中学時代の友人Oや、なぜかその関係性を気に入って割り込んできた私の大学時代の友人N(彼は現在中央大学の教授ですが)や、ちょっと変わった新聞記者なんかも加わって、何やら猥雑な人間関係が構築されて行ったのです。

Nについていえば、彼の現在の重要な研究テーマの一つは、日本の被爆者運動だそうで、時々、広島に行ってKやIに会い、そこからいろいろな人を紹介してもらったりしながら調査を重ねているそうです。

 

ここのところ、私は以前にも増して日々の生活に追われ、またコロナの影響もあってなかなか広島に戻れないのですが、近々、広島に戻る計画を練っています。

その理由は2つあります(本当はもう一つあるのですが、この記事と関係ないので省きます)。

実は、Kに腫瘍が見つかり、予後はさほど心配ないそうですが、近々入院して手術を受けることになりました。

一方、Iの方はといえば、4月から広島弁護士会の会長に就任することになったのです。

昨年の夏にもちらっとそんな話を聞いていましたが、ずっと高い志を持ち、時に挫折を味わいながらもぶれることなく生きて来たIが、被爆地広島の弁護士会長を務めることは、とても意味のあることだと思いますし、また、本当に嬉しくて堪りません。

先日、彼らの話を、共通の友人であるNに話したら、一緒に広島に行ってKの快気祝いとIの会長就任祝いをやろうと持ち掛けられました。

話はとんとん拍子に進んだので、今月中には広島で再会することになるはずです。

もしかしたら、もう一人の中学時代の友人O(彼は今和歌山で有機農業を営みながら、経営コンサルタントの仕事をやっています)も日程を調整して駆けつけてくれるかもしれません。

今からその日が楽しみです。

 

IもOもKも、そしてNも、みんな私にとっては本当に大切な友人です。

Nは大学からですが(それでも優に45年になります)、I、O、Kとの関係は半世紀を超えるものになりました。

しかし、この関係がより濃密で、何物にも代え難いほど貴重なものとなったのは、紛れもなく、あの日、受験会場でIとKが偶然に出会い、そしてまた偶然にKと私が高校で同じクラスになるという、私にとって奇跡のような偶然の積み重ねがあったからだという気がしてなりません。

日々の出来事に関する記憶力の衰えを強く感じるこの頃ですが、修道と広大付属の受験会場でIとKが挨拶した時の情景は今でも鮮明に思い出すことができます。

その偶然が、今に連なっていると思うと、やはり人生は面白く不思議なものだと感じます。

まもなくやってくる4月は新しい出会いの季節ですが、これから進学、進級、就職する人たちにとっても、そこで出会う人が一生の友人になるかもしれません。

そこまでの日々がどんなにしんどかったとしても、なんとか気持ちを切り替えて、前を向いて、わくわくしながら新しい季節を迎えてほしいと心から思うのです。

 

最後にもう一度、こんな私と長く付き合ってくれている友人たちに、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。

貴方たちがいたから、今、私はここにいることができたのだと、そう感じています。

2021年03月14日 > トピックス, 日々雑感

事件日記~刑事事件で忙殺された年末年始のこと

弁護士 折本 和司

いろいろと記事にしたいことがあるのですが、しばらく何もできないでおりました。

その最大の理由は、年末、それも大みそかに刑事事件を受任したためでした。

正直、あれこれと宿題が溜まっており、年末年始のお休みの間にそれを片付けようと思っていたのですが、その目論見はものの見事に外れました。

実は、年末が迫る中で、周りの人から、「今年はいつまで働くのか?」と問われ、「大みそかまで」と答え、さらに「新年はいつから働くのか?」と訊かれ、「元旦から」と冗談で答えていたのですが、よもやよもや(最近の流行り言葉)で、現実になってしまったのです。

というわけで、充実(!?)した年末年始を与えてくれた刑事事件のお話をします。

 

まず、大みそかに接見に行くと、事件の中身もさることながら、それ以上に、ご本人の関係者に連絡をしてあげなければならない緊急の事情があったため、弁護人に就任することとなりました。

そこで、その日(大みそか)の内に、本人の希望を受けて、家族や関係者と連絡を取ったのですが、逆に、本人にいろいろと確認しなければならないことが出て来て、翌日、つまり、元旦のお昼頃、警察に接見に出かけたのです。

それからは、毎日のように、急ぎで連絡をする必要のある件が生じて、本人と関係者の間で伝言係を務めざるを得なくなりました。

結局、1週間ぶっ通しで警察に接見に行ったわけです。

こうした個人的な連絡については、刑事弁護そのものではないし、弁護士によってはやらないという人もいるようですが、常々、私はそのような考え方は間違いだと思っています。

なぜならば、刑事事件の被疑者、被告人になる、とりわけ身柄拘束をされてしまう人にとっての不利益とは、無実の罪を着せられたり、起訴されたり、実刑とされたりすることだけではなく、自由を奪われることによって社会的な面で受ける不利益も含まれるはずであり、時にはその不利益の方がより重大な場合もあるからです。

そうである以上、社会正義に反するようなものでない限り、そうした不利益をできる限り回避してあげることも弁護士の役目だと信じるからです。

という私なりの信条もあり、実際、その事件では、関係者に連絡をしてあげなければ、本人だけでなく、周りにも重大な不利益が生じることが避けられない状況だったため、正月休みを返上して、警察通いの毎日を過ごしたのでした。

 

一方、事件そのものについて差支えのない範囲で触れますと、なぜこの件で警察が逮捕に踏み切ったのか、大いに疑問を感じるところがありました。

また、1月4日の御用始め以降は、検察官とも何度か話し合ったのですが、率直に言って、警察のおかしな捜査をチェックすべき検察官の役目がまったく果たされていないと感じましたし、警察が、被疑者を欺くような取り調べ手法を取っていたりすることについても、それを諫めるような姿勢が感じられず、検察官に対する失望を禁じ得ませんでした。

さらに、裁判所も、勾留延長請求の時点で、こちらから意見書を提出したのに対して、「逃亡の恐れがある」などとして6日間の勾留延長を認めてしまいましたが、この判断もひどいもので、その後、勾留延長に対して準抗告を行ったところ、勾留延長は取り消されることになりました(詳細は省きますが、本件の場合、被疑者が逃亡することなど絶対にあり得ない状況だったにもかかわらず、それが勾留延長の理由の一つになっていました)。

 

国外逃亡したカルロス・ゴーンの肩を持つ考えはさらさらありませんが、日本の刑事手続の実務には、間違いなく「人質司法」と非難されても仕方のないような実態があります。

実際、今回の事件では勾留延長のところでぎりぎり勝負できましたが、途中では、早期に釈放してもらうために全面的に非を認める供述をした方が、トータルな意味では被疑者の利益になるのではないかという考えが何度も頭を掠めました。

刑事司法の現実を知らない人からすると、いったん自白し、裁判で無罪を争う被告人について、無実なら自白しないはずではないかと思ったりするかもしれませんが、実際に逮捕、勾留されている人にとっては、そんな単純な話ではないのです。

検察官が警察に対するチェック機能を怠り、裁判所が、安易に勾留を認めてしまうという現実が改められるような方策が採られない限り、「人質司法」と非難される、この国の歪んだ刑事司法の健全化は期待できないのではないかと痛感します。

 

そんなことをいろいろと考えながら、警察通いを重ねた年末年始でした。

そして、今も、その後遺症で休日返上で仕事に追われております。

 

皆様も、コロナで大変な状況が続きますが、くれぐれもご自愛ください。

 

2021年02月06日 > トピックス, 事件日記
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